“人に迷惑をかけない子”がホントにいい子?いま必要な親の意識改革

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­好奇心の塊である子どもは、「あれに触りたい」「こっちに行きたい」と、大人の都合や常識などおかまい無しに動きまわるものですよね。

街中やお店の中で、子どもの後を追いかけては「それは触っちゃダメ!」「そっちに行かないで!」と困ったり、怒ったりしているママの姿をよく見かけます。

そんなこともあってか、「人に迷惑をかけるのが怖いから、子どもと外出したくない」という声もちらほら聞こえてきますが、子どもと外出するだけなのに、そのように思わなければならないなんて、なんだか変ですよね。

そして、そのような心境は私自身にも経験があるので、胸が痛みます。

小さな子どもを持った親が、罪悪感を持たずに生きるにはどうしたらいいのでしょうか?

それには、親を含めた社会全体の意識改革が必要なのです。

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「他人に迷惑をかけない子」になってほしい?
今の日本、とくに都市部では、“子ども達の行動に対する全責任は親が負うもの”という認識が濃いように感じます。

「どんな子になって欲しいか」という質問に対して、「他人に迷惑をかけない子」という回答をよく聞くことからも、親自身が、外で我が子が周りに迷惑をかけることを恐れる気持ちが伝わってきます。
「迷惑をかける」ことから、学ぶこと
誰もが、かつては小さな子どもでした。

何か失敗して大人に叱られたり、または、大目に見てもらって許してもらいながら育てられたはずです。

そういった経験の中には、人に迷惑をかけて初めて学んだこともあるでしょう。

それは、「大人によって、していいことと悪いことがある」ということだったり、「謝罪の仕方と、そのときのバツの悪さ」という感情だったり、「迷惑をかけたときの他人の反応」だったり、とさまざまですが、どんな学びであろうと共通していえるのは「すべて子ども自身の経験として活かされる」ということです。

逆に言うと、経験の無いところに学びはありません。
子どもの成長に責任を持たない社会
現代は、誰もが子ども達が起こす騒動の責任をとりたくないがために、リスクを回避する傾向にあります。

例えば、公園からは次々に昔ながらの遊具が撤去されています。

子どもがケガをしたら、遊具のせいになるからです。そして、“遊具のせい”だとすると、それは設置した行政機関の責任となります。

そうならないために対策を講じた結果、今や公園にあるのは特徴と面白みを欠いた画一的な遊具ばかり。

遊具が何も無くなった公園もあるくらいです。

そのようにして、危険を伴う遊びをする際の身のこなしや、ケガをしたときの痛みといった貴重な経験は、大人のリスク回避と共に、子ども達の成長過程から抜け落ちてゆきます。

“子どもがケガをする”などといった「面倒に巻き込まれたくない」という大人の思惑通りですが、一方で、子ども達が経験を得られなかったということに対する責任は誰も負いません。

これはとても不自然で、また危険なことです。
迷惑をかけられなかった子どもの行く先は…
なぜ危険なのかというと、それらの抜け落ちた経験に対する代償は、他ならぬ子ども達自身が払うことになるからです。

大人の目が行き届かないくらいに成長したときに、もうすでに会得しているはずのさまざまなことを、彼らは子ども時代が終わった後で経験する羽目になる可能性があります。

だからこそ、子どもが小さいうちに「迷惑をかけること」や「かけられること」を経験する事が必要です。それらの経験から子ども達は、生きる知恵、生きる力を学ぶ事でしょう。
子ども達の生きる力を育む社会にするための、3つの意識改革
「子ども達には、たくましく生き抜いて欲しい」と、親なら誰もがそう思いますよね。

でも、現代の子どもを取り巻く環境はとても不自然で、子ども達の成長を大切にしているとは到底思えません。

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子ども達をたくましく育てるためには、社会が変わる必要があります。

それにはまず、親自身の意識改革が必要!

そこで、意識改革のために心がけたい3つことをご紹介します。

▼意識改革1:「子どもは迷惑をかける存在」と思うべし


子ども達は人に迷惑をかけて育つことで、大人になって逆に迷惑をかけられたときに、大きな気持ちで手を差し伸べることができるようになります。彼らの失敗を責めず、困っていたら助けてあげましょう。

▼意識改革2:他人の子も遠慮なく叱るべし


「迷惑はお互い様」「他人の子も自分の子」のように、なにか悪い事をしていたら叱りましょう。そうすることで、親の肩だけに重くのしかかっていた負担が多少なりとも減る事にもなります。

▼意識改革3:他人が我が子を叱ったら、感謝の意を述べるべし


他人が我が子を叱ってくれるのは、ありがたいことです。それが例え、理不尽な部分があったり、感情的なやり方であったとしても、子どもにとっては等しく大切な”経験”となります。また、「自分の代わりに悪役を買って出てくれているのだ」という気持ちになれば、自ずと感謝の念が湧き起こってきませんか?

親自身を含めた社会全体がこのような意識であれば、子連れで外出することなどは苦にならないはず。

そして、人に変わって欲しいなら、まずは親自身が上記にあげた3つの事を意識してみてはいかがでしょうか。

ちなみに私自身、他人の子がうるさくしたり、何か間違っていると思ったときは躊躇なく注意します。もちろん、自分の子どももです。

そして、人から何か注意されたときは、身を小さくして子どもと謝り、こそこそと「気をつけようね」と反省します。

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かつて、子どもは大家族の中で育つものでした。

戦後のサラリーマン家庭、核家族の出現から、現代の孤独な子育ての歴史が始まったのだと考えると、まだまだその歴史が浅いことが分かります。

だから誰もがこういった状況においては“初心者”なのです。

そんな状況の中で子どもをたくましく育てるのは、考えるだけで骨の折れる仕事ですが、まずは親自身がタフになることが大事だと思います。

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­­<プロフィール>

文/mica

シンガポール在住、三姉妹と男子、計4人の母。 元ギャラリー勤務のアート好き。趣味は美術鑑賞と夫とのお泊りデート、薬を使わない台所手当て。子ども達が楽しむ後ろ姿を眺めること。

­ブログ ­http://ameblo.jp/tamken4930

­ItMama http://itmama.jp/author/mica/

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