関ヶ原・山中の戦いの「決戦地」(写真・AC)小早川秀秋という人物については、実際に会ったことのある藤原惺窩(ふじわらせいか)が「大体、その性格が軽薄で、感情の起伏が激しく、その兄たちに及ばぬこと甚だ遠い」(姜𦫿・朴鐘鳴訳注『看羊録朝鮮儒者の日本抑留記』平凡社、1984年)と酷評しているけれども、彼の去就は事前の黒田長政や浅野長政らによる働きかけによって入念に決定されていたことが笠谷和比古氏(