佐藤文香(さとう あやか1985年)。俳人。中学1年生で俳句と出会い作り始める。2006年、第二回芝不器男俳句新人賞対馬康子審査員奨励賞を受賞。著作に、句集『海藻標本』『君に目があり見開かれ』、詩集『新しい音楽をおしえて』。漫画『ぼくらの17-ON!』(アキヤマ香著/双葉社)で俳句協力。好きな肉は鴨。

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第2句集『君に目があり見開かれ』を上梓した佐藤文香。
俳句とどうつきあっているの? 双極性障害とどうつきあっているの? 恋愛とどう向き合っているの? という3つ、そしてその3つがどう関わりあっているのかを聞いた。
先回りせずに、なるべくラフに質問した。話しにくい内容もたくさんあったと思うが、佐藤文香は率直にゆっくり話してくれた。

■双極性障害と鬱はどう違うの?
米光 句集『君に目があり見開かれ』ですごく気になった句が、
焼林檎ゆつくりと落ち込んでゆく
佐藤 林檎が焼かれて立体がダメになる、落ち込んでいく様子と自分を重ね合わせています。
米光 文香さんは双極性障害なんだよね? 鬱とはどう違うの?
佐藤 一般的には躁鬱と言われたりします。I型は躁が強く、II型は軽躁です。軽い躁だから、傍目には元気で自信のある人に見えます。自分から言わない限りほぼ気付かれない。わたしはII型です。
米光 軽躁のときと、鬱のときがあるってこと?
佐藤 そうですね。日々のアップダウンもけっこうあって。たとえば、取材のときに鬱状態では受けられないから、自分で軽躁に持っていく。外に出るときに、軽躁を心がけて出る。うまくいったときは「やったー! 楽しかったー!」でいいんですけど、ちょっとがっかりすることがあると「ガーン……(死)」。アップの分だけダウンがある状態です。

■つらかったときの句
米光 調子がいいときと悪いときで、句のつくりが違ったりする?
佐藤 『君に目があり見開かれ』のV章は、つらかったときの句をまとめてあります。たとえば、
ぬばたまの夜といふ夜ひとりぢゃ困るよ
とか、
泣きやんで泣いて泣きやむまでゐてよ
は、彼女のいる男性と付きあっていたときの句です。好きな人が彼女のいる家に帰ってしまう、それでわたしは自傷行為をしたり。わりと最近ですね。3年前。
米光 遺影めく君の真顔や我を抱き
も、ドキッとする。
佐藤 V章以外だと、
Tシャツをまた着て幸せな一日
とかも、すごいつらい。
米光 つらい? Tシャツ着て爽やかお出かけ、じゃなく?
佐藤 着てるのを脱いで、また着て、一日のことを思ってるということは、日中セックスしてる状態です。そういう場合、一緒に住んでいないと相手が帰ってしまう。今日は幸せだったなーと思っている切なさ。ほんとに幸せだったら幸せな一日ってたぶん言おうと思わないですよね。
米光 うん。
佐藤 幸せな一日を過ごしたと、自分をそう納得させている。こういう種明かしみたいなことは言わない方がいいって、俳句ではよく言われるんですけど。まぁそういう頃の句だ、ということです。

■きっかけは大学3年生
米光 医者にかかるようになったきっかけは?
佐藤 大学3年生のときに、「NHKの教育番組とか作りたい」と急に思い立って。放送局の募集でいちばん早いのがアナウンサーなので応募しました。ハイになってた。エントリーシートを3つ出して全部落ちた。当時つきあっていた男の子にも「いやアナウンサーとか無理でしょー」って言われて。傷つけようと思って言ってるわけじゃないけど、でも。
米光 うん。
佐藤 そのとき中高の国語の教員免許も取ろうとしていて。いま中学の教員免許を取るためには1週間の介護実習に行く必要があるんですね。1日目で、これは無理だって。
米光 介護実習の何がつらかったの?
佐藤 デイサービスの施設に行って、お年寄りが来て、ごはんを食べたり入浴したりする。そこにいるおじいさんおばあさん一人一人に人生があるのが見えるけど、全員の心の中をちゃんと聞いてあげるのは時間的にむずかしい。わたしは優等生ぶっていたというか、施設の人にいい子だと見られたい願望があって。さっさとこなさなければならないと焦りつつ。でも、いきなりそういう場に触れるとすごく抵抗がありました。1日いて「これ以上無理だ」と母に相談したら「2、3日やれば慣れるよ」って言われました。でも、本気で無理だと思った。ということは、教員免許がもう取れない。
米光 うんうん。

■お母さんを超えられるはずのわたしが
佐藤 それまでずっと、わたしは母の生き写しみたいな人生を歩んでいました。田舎の県立高校から指定校推薦で早稲田に入って。母から「模試はできなくていいから、定期テストだけはがんばりなさい」と言われて真にうけた結果です。でも、ずっと、お母さんなんか超えられるって思って生きていた。
米光 お母さんは教員だったっけ?
佐藤 そうです。「教員免許は人生の保険だから、文香は大きい出版社にでも就職したらいいわよ」と言っていて。母の「2、3日やれば慣れるよ」って言葉は、単純にドンマイってかんじの励ましですけど、そのときのわたしにとっては……。就職に失敗して、教員免許も取れない。お母さんを軽々と超えられるはずのわたしがー、みたいな。それまで、挫折の経験が一度もなかったので。人から見たら軽いパンチなんだけど、すぐに倒れてしまった。大学に行けなくなりました。人に会えない。会ったら泣いちゃうし。そのとき、5歳上のパニック障害をかかえている俳句の先輩と話す機会があり「文香ちゃん、それは病院に行きなさい」と言われて、早稲田大学の医療センターに行って鬱と診断されました。

■診断を受けて
米光 落ち込んで人にも会えなくなってから、病院に行くまでの期間はどれぐらい?
佐藤 一週間くらい。ものすごく早くて助かったっていう。
米光 その一週間は?
佐藤 お酒を飲んだり、一日中家の掃除をしたり。そのとき頼れるのが当時つきあってた男の子だけだったから、彼のバイト先まで、携帯と財布だけ持ってずーっと歩いてみたり。
米光 独りこもって身動き取れないというのではなくて。
佐藤 どうにかしないと、何かしないとって気持ちは焦ってるんだけど、人と喋るとダメだ、みたいな。
米光 それで、病院に行って。鬱ってすぐに診断されるの? それとも何回か通って?
佐藤 1回目で診断されました。人によると思うんですけど、わたしの場合は、このままじゃやばいっていう様子だったんだと思います。
米光 教職は?
佐藤 諦めて、3年の後期に3ヶ月大学を休みましたが、それまで真面目に単位を取っていたので卒業はできると分かった。一気に快方に向かいました。そこで欲が出て、大学院に行こうと思い立ったんです。勉強が苦手なのに(笑)。で、勉強を始めてすぐに勉強ができないと気づき、また落ち込むと。そのあたりからですね、鬱と軽躁の両方が出て。たぶんそのへんで薬が変わりました。気分を上向きにする抗鬱剤じゃなくて、アップとダウンの幅を狭めるお薬に。それ以降は、時期によって波はありつつもアップダウンアップダウン。
米光 最初に鬱と診断されて処方された薬はどうだった? 飲むと落ち着く?
佐藤 分かんないです。
米光 分かんないんだー。
佐藤 もともとお医者さんを信じるタイプの人間なので。ビタミン剤でも効いていたかもしれない(笑)。頓服薬は効きます。
米光 頓服薬?
佐藤 飲んだらすぐにぼーっとする薬。わたしはコンスタンというのを飲んでいます。ダメな状態の時はがたがた震えて過呼吸みたいになったりする。泣いちゃったりする。そういう時に飲んで鎮めたり寝たり。
米光 沈み過ぎてるのを抑えるかんじ?
佐藤 真ん中にゼロラインがあったとして、上下幅の上も下もよくない。がんばって外に出ていったにも関わらず、悪いことが起きたりするじゃないですか、自分のせいじゃなくても、自分のせいでも。そういうときに発作のように急に泣いたり、パニックになったりするので。

(米光一成)

「2」へ続く(全3回)