廣重博信・電通(第2営業局営業部部長)勤務。開成高校、東京大学経済学部卒。

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■「東大卒」だけで内定が出たとは思えない

「東大卒だから、すぐに内定? ガハハ……(笑)。いや、そこまで甘くはないと思います。就職活動をしていた頃、私の同級生で、総合商社の試験に落ちた学生も大勢いました。転職しようとした際も、『東大卒』だけで内定を得たとは思えないですね」

広告会社・電通に勤務する廣重博信氏(第2営業局営業部部長)が淡々と語る。

筆者が、東大卒ということで新卒や中途の採用試験のとき、相当スムーズに進んだのではないか、と尋ねたときだった。

廣重氏は、開成高校から東京大学経済学部に現役で合格した。就職活動では、OB訪問などを含め、数十社の会社を回った。「学歴だけで判断されるのではなく、自分のことをきちんとみたうえで評価してくれる会社に好感を持った」のだという。

裏を返すと、学歴だけで内定をもらえる会社があったのかもしれない。そのあたりについて聞くと、数秒の間をおいて「ガハハ……ハハハ」と高校生のような表情で笑う。そして、「そこまで甘くはないと思います」と繰り返す。

東大卒業後は、総合商社の三菱商事に入社した。1993年、23歳だった。

「他の会社では、『あなたは東大卒だから、うちから内定をもらっても、他社に行くのでしょう?』と圧迫面接を受けることもあったのです。三菱商事の試験では、それが一切ない。紳士的な方が多く、誠実に対応をしていただきました」

主に印刷関連の機械や資材を海外に輸出する業務に関わった。同期生の総合職は130〜140人ほどだったという。

廣重氏は、学閥のようなものは感じなかったと振りかえる。「様々な大学の卒業者を受け入れて、バランスが取れているようにみえました。東大卒だけを優先して採用した、とは感じませんでしたね」

約5年間、在籍し、海外赴任になる日が迫っていると感じたとき、辞めることを決めた。

「人事異動の辞令が正式に出ていたわけではないのですが、そろそろ、海外勤務かな……と思ったのです。仕事や人間関係にとても恵まれていて、人事評価は同期生の中で高かったと思います。やりがいを感じる日々でした。ただ、このまま海外に赴任すると、この業界にずっと身を置くことになると感じたのです」

本当にやりたい仕事をするべきと決意を新たに、1998年、28歳のとき、大手広告代理店に移った。

■人事評価は同世代でトップレベルだった

この広告代理店の中途採用では、グローバル営業要員を募集していた。面接でのやり取りなどから、学歴よりも前職での仕事の実績などを確認しているように思えたという。

「社会人になり、5年が過ぎていますから、当然のことでしょうね。学歴のことは話題にもなりませんでした。東大卒であろうと、グローバル営業要員にはふさわしくないと判断されるキャリアならば、書類選考にも漏れたのかもしれません」

当時は、金融不況が叫ばれていた頃だ。多くの企業が中途採用などで受け入れる枠を減らしていた。それでも、内定だった。

「東大卒だから? いや、そうではないと思いますね。商社の頃は、人事評価も高く、私なりに誠実に仕事をしていました。それらを評価してくださったのではないかなと思います」

この会社に入る前に、実は業界1位の電通の人事部に電話をしていた。電通にもかねてから興味を持っていたからだ。だが、中途採用の試験は行っていないという返事だった。そこで、内定を得た広告代理店に入社した。

半年ほどすると、電通がグローバル営業要員を募集していることを新聞の求人広告などで知った。このとき、三菱商事から移ってわずか半年。新天地での仕事に不満はない。人間関係にも恵まれていた。だが、意中の会社の募集だ。

廣重氏は、当時の心境を語る。

「エントリーしたところで、たぶん無理だろうなと思っていました。転職して、半年ほどしか経っていないから……。だけど、行ってみたい会社でした。思いきって、履歴書などを送ってみたところ、書類選考、面接と進み、内定でした。うれしかったですね」

筆者が採用試験の舞台裏を取材する限りでは、人事部などは、転職を短い期間で繰り返す人には警戒する傾向がある。ところが、あっさりと内定。やはり、学歴がモノを言っているようにみえた。

廣重氏が、高校生のような表情をみせつつ、答える。

「東大卒だから? ガハハ……(笑)。そうではないと思いますね。前職(広告代理店)でのキャリアは短いけど、商社の頃は、人事評価は同世代でトップレベルだったのです。ボーナス支給時の査定評価をみると、それがよくわかりました。そのことは、(電通の)面接試験の場で伝えたと思います」

筆者は、このようなことも尋ねた。中途採用では、エントリーする人の大半が前職などでの実績をアピールする。それでも、電通にはなかなか入れないのではないか、やはり、東大卒が決め手になっているのではないだろうか。

廣重氏が答える。

「採用する側ではないから、正確なところはわかりません。社会人になってからのキャリアを中心に判断していただいた結果ではないのでしょうか」

■役人になるよりは、企業で働きたいと思った

1999年、29歳のとき、電通に入社する。入社後は第1営業局を経て、現在の第2営業局に移った。大手自動車メーカーなどのブランドキャンペーンなどに携わる。ブラジルの現地法人に1年間、赴任もした。

44歳の現在は、営業部の部長として、大学受験予備校・東進ハイスクールをはじめ、多くの企業の広告などにチームを率いて関わる。

「広告の仕事は、ひとりではできないのです。たとえば、チームをまとめていくことができる人は評価される傾向がありますね。入社した後は、学歴は関係ないと思います」

廣重氏は、筆者が取材で接する機会が多いコンサルタントなどと比べると、学歴を前面に出すことをしない。その理由の1つには、開成高校の頃の経験があるのかもしれない。入学時は成績がよかった。だが、しだいに成績が下がり、上位100番以内にはなかなか入れなかったのだという。

「あのときにつくづく感じました。ナチュラルに頭がいい生徒はいるのです。彼らは、英語の教科書を1回読むと、すんなりと頭に入るのでしょうね」

「彼らほどには、頭がよくなかった」と謙遜しながらも、現役で東大に合格した。入学試験を終えた日に、「合格した!」と手ごたえを感じたようだ。父親もまた東大卒で、役所に勤めていたという。子どものときから、父の働く姿をみていると、素晴らしい仕事ではあるが、国のために働く役人になるよりは、企業で働きたいと思ったようだ。そのようなこともあり、経済学部を選んだ。

筆者には、開成高校に入ることも難しく思える。そのあたりを尋ねると、廣重氏は「いや、小中学生の頃は体育が好きでしたから……ガハハ……(笑)」と、これ以上は答えなかった。

(ジャーナリスト 吉田典史=文)