『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』(NHKスペシャル深海プロジェクト取材班+坂元志歩著/光文社新書)
通常のカバーの上からかけられた特製カバーには、2012年夏に小笠原の海中で撮影されたダイオウイカの写真が使われている。
本書以外にも時期を同じくして、Gakken Mook『ダイオウイカと深海の生物』(NHKスペシャル深海プロジェクト監修)など、関連書も立て続けに刊行されている。

写真拡大

この夏はダイオウイカが熱い! その火付け役は、今年1月に放映されたNHKスペシャル「世界初撮影!深海の超巨大イカ」だ。小笠原沖にて、世界で初めて海中でダイオウイカの映像をとらえた同番組の視聴率は16.8%と、ドキュメンタリーとしては異例の数字を獲得した。来月には同番組に未公開映像を追加した劇場版の公開も控えている。

明日(7月27日)放映のNHKスペシャルでは、「シリーズ 深海の巨大生物」の第1回として、「伝説のイカ 宿命の闘い」と題し再びダイオウイカがとりあげられる(ちなみに翌日放送の第2回では、NHK取材班がダイオウイカと並行して追ってきた深海ザメのドキュメンタリー「謎の海底サメ王国」が放送される予定)。

テレビや映画のなかばかりではない。東京・上野の国立科学博物館での特別展「深海 ―挑戦の歩みと驚異の生きものたち―」(会期は10月6日まで)では、同館所蔵のダイオウイカの標本が展示中だし、六本木の東京ミッドタウンでは、去る7月19日〜21日の3日間、「深海4Dスクエア ―夏の夜に浮かび上がる幻のダイオウイカ―」というイベントも開かれた。これは、ダイオウイカの大型模型に、気象データにもとづくプロジェクションマッピングの映像を投影するというもの。

イカというと、日本人にはとかく食べるものという認識が強い(世界で獲れるイカの約半分は日本で食べられているという)。それだけにダイオウイカがこれほどまでに話題になったのは意外な気もする。そもそも、いままでダイオウイカの名前ぐらいは知っていても、日本近海に生息するということまで知っていた人は少ないのではないか。

先ごろ光文社新書より刊行された『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』(著者はNHKスペシャル深海プロジェクト取材班+坂元志歩)には、こんなエピソードが紹介されている。NHKの深海プロジェクトのメインプロデューサーである岩崎弘倫は2002年、世界に先駆けてダイオウイカの映像を撮ろうと準備を始めた。岩崎の命を受けディレクターの小山靖弘が小笠原に赴き、ダイオウイカ研究の第一人者である窪寺恒己(国立科学博物館)らの調査に同行する。

だが番組の企画じたいはなかなか通らなかった。その理由としては、本当に撮影できるのかどうか、あまりにリスクが高かったことに加え、日本でのダイオウイカの知名度の低さがあげられる。欧米では古くから幻の怪物として、誰もがロマンをかきたてられる存在であったのに対し、日本ではその魅力は理解されにくいのではないかと考えられたのだ。

けっきょく小山は、ある上司の勧めで、ダイオウイカの天敵であるマッコウクジラを前面に出して企画書を提出、ようやく受理されることになる。これと前後して、窪寺によるダイオウイカなど深海性の調査が、国から出ていた科学研究費補助金が打ち切られたため暗礁に乗り上げていた。NHKで企画が通ったことは、窪寺に助け舟を出すことにもなった。

Nスペの「世界初撮影!深海の超巨大イカ」が、窪寺をはじめ世界各国から集まった研究者たちにスポットを当てていたのに対し、『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』では、岩崎や小山、あるいは水中撮影のスペシャリストであるカメラマンの河野英治など、NHK側のスタッフの動向を中心に、ダイオウイカのプロジェクトの経緯が描き出されている。その道のりは、撮影に成功するまでじつに10年を費やしたことからもうかがえるように、けっして平坦ではなかった。

2004年には、世界で初めて海中のダイオウイカの連続画像(静止画)の撮影に成功、翌年、窪寺が論文で発表したところ、世界中のメディアが取材に押しかけた。しかし2012年までに彼らの前にダイオウイカが全体像を現したのは、このときと2006年に船上から水面に釣り上げられた姿を動画に収めたときの2回にとどまる。

小山と岩崎は、NHK独自に潜水艇をチャーターしてダイオウイカを撮影するつもりで、局内で大型の番組企画に応募し続けた。だが、これまたなかなか会議を通らない。そこで岩崎は、国際共同制作としてプロジェクトを進めることを思い立つ。2008年、フランスでの国際テレビ見本市で、アメリカのディスカバリーのサイエンスチャンネル社長に直談判、幸いにも先方は即座に話に乗ってきた。翌年にはディスカバリーの複数のチャンネルを取りまとめる社長からも承諾を得て、NHK内部で企画を通し、ダイオウイカと深海ザメというテーマ2本立ての「深海プロジェクト」がついに発足する。

当初、プロジェクトは2009〜2011年の3年間の予定だった。それが2年目をすぎても、思ったように成果が出ない。スタッフたちが焦るなか、東日本大震災が起こる。小笠原での調査中に震災に遭遇したカメラマンの河野は、東京に戻ろうにも戻れず、《撮れるあてのないダイオウイカ取材。放送人として、こんなことをしていいのかと(中略)自責の念に苛まれた》という。津波警報で船が出せなかった上、東京〜小笠原間にはもともと航空便がなく、唯一の交通手段であるフェリーは震災直前に父島を出港したばかりで、次の便まで1週間は待たねばならなかったのだ。

震災により、予定されていた番組編成も大幅に変更され、緊急性の低いものは延期か休止されていく。当然ながら深海プロジェクトも選択に迫られる。このころリーダーの岩崎は、局内ですれ違いざま「(ダイオウイカが)撮れなかったら岩崎は家を売るんだよな」と声をかけられることもしばしであったという。相手は冗談のつもりだが、本人にしてみれば少しも笑えなかった。悪いことは重なり、潜水艇とその母船のチャーターをめぐってトラブルが発生、岩崎は悩んだ末にプロジェクトの1年間の延伸を決断するにいたる。

しかしそれまでの試行錯誤はけっして無駄ではなかった。通算520回にわたり「縦縄」という仕掛けを設置した経験から、ダイオウイカの撮影に最適な季節は6〜7月であると判断された。また2011年に、腕だけではあるが連続してあがったダイオウイカが、いずれも「ダイオウイカ化け」というイカ専用の疑似餌の仕掛けにかかっていたことから、《イカ化けこそダイオウイカを捕獲する手段だ》との確信が得られた。実際、翌2012年夏に窪寺がダイオウイカの撮影に成功したときにも、おとりを使った作戦(このときは疑似餌ではなく、本物のイカをおとりにしたのだが)がとられた。

さて、窪寺をはじめ各国の研究者たちが小笠原に集まっての調査で、最初に海中でのダイオウイカの撮影に成功したのは、アメリカの“エディー”ことエディス・ウィダーという研究者による「発光作戦」だった。これは、深海生物の発光を真似た青い光を放つ球体の機器(エレクトリック・ジェリー=Eジェリー)に、30時間撮影できるメドゥーサという機器を組み合わせた、無人の装置を使っての作戦だ。

もっとも、当初、日本側のスタッフはこの作戦に懐疑的だった。自分たちも集魚用発光LEDを使っていたが、現れるのはアカイカとヒロビレイカばかりだったこと、またメドゥーサのサイズは洗濯機よりも大きいので、警戒心の強いダイオウイカはその前には現れないだろうと思われたのだ。

だが予想を裏切って、Eジェリー&メドゥーサは見事にダイオウイカの姿をとらえた。日本側の使っていた発光の手法が、釣具屋のライトのレベルにとどまったのに対し、Eジェリーは確実に大型生物を引き寄せる能力を持っていたのだ。そのことがわかり、このあと窪寺の乗りこんだ潜水艇にもEジェリーが取りつけられた。それにしても、Eジェリーについて次のような一文を読むと、彼我の違いを感じずにはいられない。

《アメリカの雑誌やテレビ局が、次々と生きもののスクープを手に入れることができるのも、こうした研究を抱え込める国の支えがあってこそだ。エディーの発光研究も、もともとは海軍の支援を受けてきた》

『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』は科学読み物としてももちろん楽しめるのだが、その語り口はどこか往年のNHKの人気番組「プロジェクトX」を彷彿とさせる。あの番組でとりあげられた多くのプロジェクトがそうであったように、ダイオウイカ撮影もまた、プロジェクト中止の危機に何度となく直面しつつも、チームのメンバーらが工夫を凝らすことでそれを乗り越えていった。

ダイオウイカのプロジェクトは、多くの視聴者にロマンを抱かせた。が、その成功にいたるまでのプロセスを読むと、日本の自然番組の制作者や生物研究者たちがいかに苦しい境遇にあるかを思い知らされる。今回のブームが一過性のものに終わらず、少しでも境遇が改善されるきっかけとなることを願わずにはいられない。

※今年1月にNHKスペシャルの枠で放送された「世界初撮影!深海の超巨大イカ」は、NHKオンデマンドの特選ライブラリーで配信中(有料)。

(近藤正高)