スペインのコリア・デル・リオに立つ支倉常長像。

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今年は日本と英国、スペインにとって記念の年だ。なぜなら今から400年前の1613年、日本とそれら2国との交流が始まったのだ。

英国との関係は1600年にさかのぼる。悪天候の末、豊後国(今の大分県)に漂着したオランダ船、リーフデ号に乗っていた英国人ウィリアム・アダムス(日本名:三浦按針)が英国人として初めて日本の地を踏んだ。正式に日英の国交が開かれたのは、その13年後。英国王ジェームズ1世の国書がジョン・セーリスによって徳川家康へもたらされ、1613年に長崎の平戸を玄関口に貿易が始まった。

記念年となる今年は「ジャパン400」と銘打たれ数々のイベントが英国で開催される。現在1月31日から2月9日まで、ロンドン市内にあるサドラーズ・ウェルズ劇場で市村正親さん主演の『家康と按針(英名:Anjin)』が上演されている。そのほかにも専門家による日本に関する様々な講演が年間を通しておこなわれる。

今後の主な催しとして、6月にはロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)にて「江戸・明治期における日本文化と英国の役割」についてのシンポジウムが、7月にはイングランド南東部ケント州のメードストーン美術館で、長崎県平戸市の松浦史料博物館から貸し出された美術品の展示が開かれる。8月は大英博物館が収蔵するウィリアム・アダムス、ジョン・セーリスら日本に関連した東インド会社の書類の公開、9月にはケント州ギリンガムでウィリアム・アダムス祭がおこなわれ、平戸を治めていた大名、松浦家の茶道・鎮信流が披露される。さらに10月は大英図書館が春画の企画展を開催するなど12月の閉幕まで関連イベントが続く。

一方で、スペインと日本との関係は1613年に伊達政宗が、スペイン国王フェリペ3世およびローマ教皇パウロ5世に支倉常長を派遣した慶長遣欧使節に端を発する。太平洋を横断した一行はメキシコを経由し、翌年スペインに到着したのだ。

日本とスペインの出合いは一つの物語を作った。同国南部のコリア・デル・リオという町には、日本人の子孫と言い伝えられる「ハポン(日本)」という姓を持った人々が暮らしている(参照コネタ:サムライの銅像も立つ、400年前からスペインで暮らす日本人子孫の集落)。支倉常長一行が帰国する際、一部の日本人が現地にとどまったことに由来するという。

今回の「日本スペイン交流400周年」も英国と同様に多くのイベントがおこなわれる予定だ。まず日本側の名誉総裁に皇太子さまが、スペイン側の名誉総裁にはフェリペ皇太子が就任された。そして2013年から2014年にかけて、日本では「日本におけるスペイン年」をスペインでは「スペインにおける日本年」を開くことが、両国の首脳会談で取り決められている。観光客の増加も予想されている。

「国土は万里の雲海を隔てていれども、我らの領域は誠に近し」。徳川家康が英国王ジェームズ1世に送った文面のように、日本と英国、スペインは今年400年という歴史とともに、万里の雲海を越えてお互いの距離をぐっと近くする。
(加藤亨延)