『傲慢と善良』©2024「傲慢と善良」製作委員会

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 映画『傲慢と善良』が公開中である。辻村深月による累計100万部突破のベストセラー小説『傲慢と善良』(朝日文庫)を原作とした本作は、藤ヶ谷太輔と奈緒を主演に、マッチングアプリで出会った2人の恋とすれ違いを通して、現代の結婚観を問う映画だった。

参考:奈緒が役者を続けられる理由とは? 『あのクズ』主人公・ほこ美と重なる“しつこさ”

 原作である辻村深月の同名小説は第7回ブクログ大賞を受賞し、20代30代の圧倒的な支持を集めた恋愛ミステリの傑作である。読んでいて感じるのは、これは、人に自分の人生の決定権を委ね、意志を持たずに生きてきた一人の女性・真実が、初めて自分の選んだ道を行くまでの物語なのだということ。すなわちそれは、本作のタイトルが、「“究極の結婚小説”と言ってもいいのではないか」と作中でも言われるジェーン・オースティンの『傲慢と偏見』に因んでいることからもわかるように、恋愛ミステリの傑作であるだけでなく、現代における「究極の結婚小説」であり、現代のわたしたちがどう生きるかを巡る物語でもあった。

 映画『傲慢と善良』は、『ブルーピリオド』『サヨナラまでの30分』の萩原健太郎が監督を務め、『最愛』(TBS系)、『リバーサルオーケストラ』(日本テレビ系)の清水友佳子が脚本を手掛けた。原作は、真実と架の物語と、真実の失踪後、架が真実の過去を探す前半パートと、いわばそのアンサーである真実の視点から描いた彼女自身の物語と、真実のその後を描いた後半パートの2部構成からなる。その大作をいかに119分にまとめたか。

 後半部分の設定が宮城県の被災地ボランティアとして真実が写真館を手伝うエピソードから、佐賀県の災害ボランティアとしてみかん農家を手伝うエピソードに変わっているのであるが、それによってクラフトビール会社の社長である架とうまく繋がり、真実と架が、それぞれの道をひたむきに歩んだからこそ辿りつける、映画ならではのラストになっている。

 例えば、再会を約束した2人がそれぞれなりたい自分になって会おうと努力するも一筋縄ではいかず紆余曲折を経てようやく再会する、ケイリー・グラントとデボラ・カーが主演した『めぐり逢い』という映画を通して、観客はラブロマンスの素敵な顛末にうっとりするだけでなく、主人公2人の人生の物語に涙する。本作もまた、同様の構造を通して、恋愛ミステリであると同時にそれぞれの自立と成長の物語である原作の本質をしっかりと呈示して見せた。

 映画において奈緒が演じる坂庭真実は、観客にとって「鏡」のような存在だ。藤ヶ谷太輔が演じる西澤架も同様に。本稿は真実を中心に作品を紐解いていくことにする。真実は「いい子」である。親の過干渉を受け入れ続けた末に、自分で何かを考えるということをせず、恋愛をするタイミングを失ってきた、一見純朴で害のない子。一方ではじめてできた彼との大切な時間を、彼の目を盗んでひとつひとつこっそりSNSに投稿し、キラキラした言葉と写真で思い出を塗り固めたりもする、イマドキ女子の一面を持つ。

 親に薦められて会った結婚相談所の所長・小野里(前田美波里)に紹介された男性と過ごしても「この人とはキスできない」と思い、偶然会った女友達に恋人であるとは頑なに紹介しない。なぜなら自分とは不釣り合いだと心の中で思っているから。それでいて架に「ピンと来た」のは、ルックスの良さゆえであり、社会的地位ゆえであり、つまりは彼女が選んだ架は、小野里曰く「相手を鏡のようにして見る」真実自身の「自己評価額」に他ならないのだった。

 桜庭ななみが、登場した瞬間から男友だちの恋人・真実を値踏みするように見つめている、なんとも強烈な架の友人・美奈子を見事に演じているのであるが、彼女の言うことも傍から見れば頷けないこともない。確かに真実は「善良さと傲慢さ」を見事に持ちあわせている。そのことを思い知れば思い知るほど、この映画はいい意味で、なんと優しくない映画だろうと思った。真っ直ぐでいい子なヒロイン・真実の「純粋な恋愛感情」に感情移入すればするほど、観客はその中にあるザラザラとした感情に突き当たるのだ。そしてそれは、自分自身の「純粋な恋愛とその延長線上の結婚」の底にある様々な「純粋でないもの」を貫くのである。だから坂庭真実は、現代を生きる女性たちの鏡なのだ。

 真実を演じた奈緒はこれまで、様々な「わたしたち」を演じてきた。『君は永遠にそいつらより若い』のイノギや、『マイ・ブロークン・マリコ』のマリコの儚くも鮮烈な存在感は、観客の心から永遠に消えない。『あなたがしてくれなくても』(フジテレビ系)のみちは、本作の真実同様、葛藤の末、ちゃんと自分の足で歩くことの大切さを教えてくれた。

 そして、現在放送中の『あのクズを殴ってやりたいんだ』(TBS系)の佐藤ほこ美。海里(玉森裕太)に「羨ましいですよ、あんなに馬鹿になれて。素直に笑ったり怒ったり泣いたり」と言われるように、彼女は、喜怒哀楽すべての感情を身体中から発散させる。坂庭真実とは対極にあるその役もまた、奈緒以外にはできない役柄と言える。嫌なことがあると1人月を眺めてやり過ごしてきた、強いけれど、切ない背中。怒りを原動力にボクシングで人生を動かしていく姿は、安藤サクラが演じた『百円の恋』の主人公・一子を思い起こさせたりもする。

 奈緒が演じる女性たちは、時に儚げに、時にパワフルに、全身で生きている。だから、そんな彼女たちの生き様を通して、観客、あるいは視聴者は、自分自身を顧みずにはいられないのである。

(文=藤原奈緒)