発足からわずか数年で日本屈指の名門レーベルへ…70年代後半に世界の音楽ファンを唸らせた「伝説のレーベル」

写真拡大 (全15枚)

ジャズにロックやラテン音楽など、他ジャンルの音楽を融合させ、大衆化させたものを「フュージョン」と呼ぶ。日本においては1970年代後半から1980年代後半にかけてブームが巻き起こり、カシオペアや高中正義など多くのアーティストが人気を博した。海外で日本のシティポップがブームとなっているのはよく知られているところであるが、じつはいまフュージョンも人気に火がつきはじめている。日本が誇るフュージョンレーベルである「エレクトリック・バード」は1970年代後半にキングレコードで誕生した。音楽メディアSOUND FUJIではその知られざる誕生秘話が紹介されている。

音楽評論家の柴崎祐二氏と共に過去の音源を探求し、日本の音楽の奥深さと魅力に迫っていく連載『Unpacking the Past』。記念すべき第一回目のテーマは"J-FUSION"

長きに渡り続くシティポップの盛り上がりの次に、国内外で再評価の兆しが高まる日本のフュージョン。J-FUSION part2では70年代後半、国内外問わず魅力的なアーティストを見出し、当時最先端のサウンドで数々の名作を生み出してきたエレクトリック・バードレーベルを徹底解説。

文・構成:柴崎祐二 / アートワーク:清水真実

part1柴崎祐二×トリプルファイヤー鳥居対談【「ダサい音楽」だとレッテルを貼られた時代も…けっきょく、日本の「フュージョンブーム」は何だったのか】はこちらから

「エレクトリック・バード」誕生前夜

1977年某日。キングレコード社長(当時)町尻量光は、ある重要な使命を託すために、それまで海外ジャズ作品の編成を手掛けていた同社スタッフの川島重行を呼び出した。曰く、ニューヨークで活動するギタリストの増尾好秋が現地ミュージシャンと新アルバムを制作中で、是非キングからリリースしたいという相談を受けている。更には、その作品を第一弾として「エレクトリック・バード」という名のフュージョン專門レーベルを立ち上げ、優秀な日本人アーティストの作品を継続的にリリースしていってほしい……。

川島は、突然知らされたスケールの大きい構想に戸惑いながらも、憧れの原盤制作業務に携わることができる喜びに胸を踊らせた。CTIやコンテンポラリー、ブルーノートといった名門ジャズレーベルの編成業務を通じて培ってきた経験と人脈をもってすれば、なんとかやり遂げられるだろうという気持ちもあった。しかしそれは同時に、うるさ型の評論家やメディア関係者、更には耳の肥えたファンをも納得させるクオリティの高い作品を作り出さなければならないということでもあった。

入り混じる、不安と期待

不安と期待が入り混じる中、いよいよ同年11月にはレーベル第一弾作となるその増尾好秋のアルバム、『セイリング・ワンダー』が完成した。翌1978年にリリースされた同作は、幸先よくスマッシュヒットを記録する。続く第二弾アーティストには、ジャズ評論家・本多俊夫の息子でサックス奏者の本多俊之が抜擢され、その後も、渡辺貞夫とともに活動していたピアニストの益田幹夫や、ニューヨークで活動していたトランペッター大野俊三、更には、ロックバンド四人囃子のギタリスト森園勝敏、バンド「マライア」の一員としても活動していたサックス奏者・清水靖晃、学生時代から実力派として活動していたサックス奏者の沢井原兒他、数多の才能が続々と迎え入れられていく。その結果、エレクトリック・バードは、発足からわずか数年の間に日本のフュージョンシーンの重要な一角を担う名門レーベルへと成長を遂げたのだった。

海外アーティストの作品も積極的に手掛けるように

当初は日本人アーティストの作品を主軸にしていたエレクトリック・バードだが、ある人物との出会いをきっかけに、海外アーティストの作品も積極的に手掛けるようになる。キーマンとなったのは、益田幹夫によるエレクトリック・バード第一弾作『コラソン』(1978年)でストリングスの編曲を担当したピアニスト/アレンジャー=デヴィッド・マシューズだ。

レーベルプロデューサーの川島は、かねてよりハンク・クロフォードやジョージ・ベンソンらのCTI作品で聴ける彼のアレンジに心酔していたこともあって、同作の録音とその後の交流を通じて両者の間に強固なリレーションシップが構築されていった。川島とマシューズの二人が思い描いた共通のテーマは、「楽しくて、聞き手に元気を与える音楽創り」。

マシューズ自身のアルバムをはじめ、ジム・ホール、アール・クルーとの共演作や、スティーヴ・ガッドやミシェール・カミロ、ルー・ソロフ、ロニー・キューバー等の名手によるリーダー作、フレンチトーストやフューズ・ワン等のグループもの、更にはギル・エヴァンスやディジー・ガレスピー等のベテランによる新録作品等、本場ニューヨークでの録音を積極的に進めていった。エレクトリック・バードは、そうした「海外アーティストによる日本原盤作品の制作」というカテゴリーにおいても、きわめて先駆的な存在であった。

エレクトリック・バード入門

「エレクトリック・バード入門編」として、日本人ミュージシャンによる代表的なアルバムをいくつか紹介しよう。はじめに挙げるべきは、看板アーティスト増尾好秋による、レーベル最大のヒット作として知られる『グッド・モーニング』(1978年)だ。タイトル、ジャケットのイメージにも通じるブライトなギター演奏と躍動的なバンドアンサンブルの融合は、エレクトリック・バードのレーベルカラーとその魅力を端的に伝えている。

同じく、前述の益田幹夫『コラソン』(1978年)も、入門編として挙げるにふさわしい一枚だろう。そこはかとなくラウンジーでラテン〜ブラジルリアン風の演奏に、デヴィッド・マシューズのアレンジによる引き締まったストリングスが絡み合っていく様には、ポップさと派手派手しさを増していくその後の日本産フュージョン作品では味わえない、独特の奥ゆかしさが宿っている。

ラテン〜ブラジル風味ということでいえば、本多俊之のセカンドアルバム『オパ!コン・デウス』(1979年)の存在も見逃せない。若々しいトーンのサックスとセルジオ・メンデス&ブラジル88の主要メンバーを交えたアンサンブルの組み合わせの妙は、様々な音楽要素を取り入れながらキャリアを邁進することになる後の本多の姿を予見しているようだ。

エレクトリック・バードは、単に明るくキャッチーなだけでなく、時にフュージョンの枠組みを飛び越えるような野心的な作品も多く発表してきた。中でも、森園勝敏の各作作には、ロックとフュージョンの刺激的な交差を魅せつける数々の傑作が揃っている。独特のひんやりした浮遊感を湛えた『バッド・アニマ』(1978年)をはじめ、ロック〜ポップ色を増した『ジャスト・ナウ・アンド・ゼン』(1982年)や、森園勝敏ウィズ・バーズ・アイ・ヴュー名義の『スピリッツ』(1981年)等は、普段フュージョンに馴染みのないリスナーにこそ聴いてもらいたい、実にハイブリッドな内容となっている。

大野俊三のエレクトリック・バード第一弾作『クォーター・ムーン』(1978年)も、レーベル初期を代表する名盤だ。ジャズファンク色を押し出しつつも同時に品良くメロウな演奏は、これぞ世界基準というべき堂々たるクオリティに達している。

1980年代半ば以降の「隠れ名盤」

その他にも入門編/推薦盤として触れるべき作品は数多い。掲載済の対談記事でもいくつか紹介しているので是非参照してみてほしいが、ここからはあえて、既存の記事では触れられる機会の少なかった、1980年代半ば以降に録音された「隠れ名盤」的な作品をいくつか紹介していこう。

まず取り上げたいのが、元ランチャーズ〜ジャスティン・ヒースクリフのメンバーとしてロックファンにも名の知られる鬼才・喜多嶋修の1984年作『みなもと(The Source)』である。アイランドからの『弁財天』(1976年)や『オサム』(1977年)、アルファからの『素浪人』(1980年)等を通じて、プログレッシブロックとフュージョン、更にはニューエイジミュージックと日本の伝統音楽の融合を推し進めてきた喜多嶋だけあって、本作でも、尺八等の和楽器を取り入れて極めて耽美的で瞑想的なサウンドを展開している。近年、日本産のニューエイジミュージックや環境音楽が世界的な再評価を受けているが、本作にも新世代のリスナーから静かな注目が注がれている。

コロンビア傘下のベターデイズやRCAに傑作を残しているブラジリアンフュージョンバンド=スピック・アンド・スパンも、1985年にアルバム『トワイライト・イン・レブロン』をエレクトリックバードに残している。キャリアに裏付けられた巧みな演奏が、フュージョン多様化の時代にあって確固とした存在感を放っている。

エレクトリック・バードのカタログ中屈指のレア盤として一部マニアに知られているのが、そのスピック・アンド・スパンの吉田和雄が新たに始動させたスピックスによる1986年作、『マリブ・ダンス』だ。エレクトロニック風味を増したそのサウンドは、80’sリバイバルを通過した現在のリスニング感覚にこそぴったりとフィットするはずだ。ウーゴ・ファットルーソやヤヒロトモヒロといった個性派ミュージシャンの参加も、見逃せないポイントだ。

トロンボーン奏者の向井滋春とドラマー古澤良治郎を中心に結成されたグループ=ハップハザードによるセルフタイトル作もなかなかのレア盤だ。山岸潤史にギターをフィーチャーしたロック色強めの内容で、随所にレゲエリズムを取り入れるなど、野心的な試みが聴かれる。

長い歴史を持つエレクトリックバードのディスコグラフィーには、当然ながらCDのみで発売された作品も数多く残されている。1980年末以降に制作されたそれらの作品は、アナログ盤のコレクトに偏りがちな旧来の和モノファンからはほぼ見落とされてきたといっていい。実際、この時期のカタログからは、1980年初頭までのレーベル初期作品に比べて、統一的なカラーを見出しづらいというのも正直なところだ。しかし、そうした時代を経て制作された作品ならではのある種の雑多性さゆえに、現代のリスニング感覚を心地よくくすぐるものが少なくないというのも、是非指摘しておきたい。

バイオリン奏者・篠崎正嗣による『G線上のアジア』(1990年)は、まさにそうした「CD期エレクトリック・バード」の奥深さを象徴する一枚といえるだろう。様々なJ-POP作品や映画・ドラマ・CM等の音楽でも知られる篠崎だが、本作では、そのユーモラスなタイトルの通り、東アジア〜東南アジアの伝統音楽とニューエイジミュージック、クラシックをフュージョンさせた特異なサウンドを聴かせている。いわゆる「バレアリック」視点でのDJユースにも最適な、隠れた傑作だ。

プリズムやTHE SQUARE等の活動でも知られる鍵盤奏者・久米大作も、「久米大作&セラ」の名義でアルバム『9ピクチャー・カラーズ マルコポーロの耳』(1990年)を残している。当時のワールドミュージックのブームと連動したエキゾチックかつデジタル色の強いイージーリスニングジャズの佳作で、こちらも現在ならばバレアリック視点から再評価が可能だろう。

JVCからリリースした『モーニング・ピクチャー』(1984年)や『タッチ・オブ・レイン』(1985年)が近年急速に再評価されたベース奏者・鈴木良雄による『アローン・イン・ザ・パシフィック』(1991年)もおすすめだ。アコースティックなサウンドに溶け込む程よいエレクトロニクスが心地よく、昨今の音楽シーンでキーワードとなっている「アンビエントジャズ」の視点からも楽しむことができる。

繰り返しになるが、ここに挙げた以外にも名作や知られざる傑作は数多い。日本を代表するフュージョンレーベル=エレクトリック・バードのカタログを、この機会に奥深くまで味わってみてほしい。

■プロフィール

柴崎祐二(しばさきゆうじ)

1983年、埼玉県生まれ。評論家/音楽ディレクター。2006年よりレコード業界にてプロモーションや制作に携わり、多くのアーティストのA&Rを務める。単著に『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす 「最文脈化」の音楽受容史』(イースト・プレス 2023年)、『ミュージック・ゴーズ・オン〜最新音楽生活考』(ミュージック・マガジン、2021年)、編著書に『シティポップとは何か』(河出書房新社、2022年)等がある。

「ダサい音楽」だとレッテルを貼られた時代も…けっきょく、日本の「フュージョンブーム」は何だったのか