じつは、第一次世界大戦を「予見」していた文学作品があった…「芸術家と戦争」の意外な関係

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世界を触知する力

私たちが生きている社会は、いったいどのような空気や風潮、あるいは雰囲気のうえに成り立っているのか……私たちはときおり、このような、大きく、茫漠とした問いを前に立ちすくんでしまうことがあります。

こうした問いについて考えるためには、これまでの歴史のなかで、どのような思想がつむがれてきたのかを知ることが必要になります。

私たちがそうした知識にふれるうえでいまもっとも便利な書物が、『徹底討議 二〇世紀の思想・文学・芸術』(松浦寿輝、沼野充義、田中純)です。タイトルのとおり、圧倒的な実績を誇る3人の研究者が、20世紀のさまざまな思想や文化のあり方について徹底的に討議した様子をまとめたもので、少し読むだけで、多くの知識が得られます。

たとえば、芸術家や文学者が、戦争をどのようにとらえていたかを紹介する部分。第一次世界大戦の少し前、ヨーロッパやロシアでは、その後を予見するような作品がいくつか見られました。

文学者は、社会の危機をいち早く察知する「炭鉱のカナリア」などと言われることがありますが、実際に以下の事例を目にすると、彼らが未来を予見する力、世界の変化を触知する力に驚かされます。

田中純さんの発言を引用します(読みやすさのため、一部編集しています)。

〈世界戦争のヴィジョン自体は、第一次世界大戦以前の文学や芸術に、いろいろな形で登場しています。よく知られているのは、一九一四年の、しかし開戦の前に発表されているH・G・ウェルズの『解放された世界』という作品です。これは当時すでに核戦争を主題としており、その設定では、一九五六年にヨーロッパで起きた局地的な紛争が世界規模へと拡大し、原子爆弾によって二百もの都市が壊滅的に破壊されてしまう。そうした破局的な破壊の後に世界政府を樹立することで、人類は戦争から解放される。

このような意味で「解放された世界」のヴィジョンを描くところにウェルズの関心はあったわけですけれども、つまり、現実の世界の国際連盟につながる組織の構想に力点が置かれていたわけですが、それに先立つものとして、世界規模の戦争がそこですでに描かれていた。

カナダの歴史家モードリス・エクスタインズが『春の祭典』という、ストラヴィンスキーの作品の名前をタイトルにして、第一次世界大戦とモダニズム文化の誕生の過程を非常にヴィヴィッドに描いた著作を書いています。ストラヴィンスキーの作曲した『春の祭典』は、バレエ・リュス、つまりロシア・バレエ団がバレエ化し、一九一三年に公演を行いました。

この公演が、世界大戦とその後の社会・文化を予兆するものと位置づけられるという視点から、エクスタインズは論述を進めているのですが、それによると『春の祭典』は、当初は「犠牲」というタイトルになるはずだった。犠牲に伴う死と再生の儀式をあらわした作品だった。

さらにロシア語の原題は『聖なる春』だそうです。『聖なる春』というのは、この間の討議で私も触れましたけれども、ウィーン分離派の機関誌のタイトルでもあり、「春」なるものはそこで新しい芸術の芽生えとしてたたえられていた。ただし、世紀末以来のヨーロッパ芸術に通底するモチーフとして、そこにはあくまで死を通じた再生への欲望がある。まず死がある〉

芸術や文学が、世界の空気を鋭敏に触知する。

さらに【つづき】「「レーニンのミイラ」と「レーニン廟」が、ソ連の政治に与えていた「意外な影響力」」の記事では、20世紀初頭の、ロシア・ソ連の政治状況について紹介しています。

「レーニンのミイラ」と「レーニン廟」が、ソ連の政治に与えていた「意外な影響力」