「玄関に鍵はナシ」「一切の身体拘束もナシ」…介護施設入居者が『自分らしい』生活を送れるように手が尽くされた『至上の介護施設』とは

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2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。

介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。

『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第9回

『「できない」と「しない」は違う…介護施設の入居者を『ひとりの人間』として扱うために必要な『見極め』の力』より続く

お年寄りの自己断念が自己実現に変わるとき

お年寄りは体が不自由になり、今まで通りの生活が思い通りにできなくなったとき、「生きていても死んでしまっても、どうでもいい」という心境の中で、たったひとつ「わが子のため」つまり大切な人のために施設に入居されます。それはいわば「大いなる自己断念」です。

この自己断念を経て、私たち施設介護職と出会い、もう1回、自分らしく生きていこうという「自己実現」へと展開していきます。これが私たち介護職が目指す「自立支援」です。

私が勤務していた介護施設「星のしずく」には100人のお年寄りが入居していましたが、玄関に鍵をかけていません。出て行きたければいつでも出て行くことができます。それは裏返せばいつでも戻ってこられるところがあるということを、言葉を超えて、お年寄りに具体的に伝えたいからです。家に帰りたいという人がいれば、職員が家までついて行きます。

また、私たちはお年寄りに一切の身体拘束をしません。施設の開設当初は転んでケガをするなどの事故が相次ぎました。だからこそ「身体拘束はしない」という共通の方針を、管理者を含めた職員全員でしっかり共有し、身体拘束をしないからこそ事故が起きない介護を目指してさまざまな工夫をします。

たとえば足もとがふらついて転びやすい人の部屋には、真ん中に手すり代わりのソファーを置くといった身近なところから、一人ひとりの状態に合わせて家具の配置を変えるだけでも、転倒による事故はかなり防げます。

その結果として、お年寄りの個別の状態に応じた、そのお年寄りにとっての快適な部屋ができ上がっていきます。

事故のリスクを防ぎながら、あたりまえの生活を支える

安全のためにと言いながら、手足を縛ったり、鍵をかけて閉じ込めたり、薬で動かなくなるようにしてはいけません。動きを制限するのではなく、その人の「動きたい」「立ちたい」「歩きたい」をその人らしく引き出し、支えるのが私たちの仕事です。

入居者をずっとベッドに寝かせておけば、事故は起こらないでしょう。立って歩けば転ぶかもしれない、口から食べれば喉に詰まらせるかもしれない、外に出れば交通事故にあうかもしれない……というように、普通のあたりまえな生活をしていれば、事故が起きる可能性はついて回ります。でも、ベッド上で寝たきりの状態のままでは、その人らしさは発揮できません。

私たち介護職は、普通に生きることがすでに「危ない」お年寄りの、普通に生きることを懸命に支える覚悟をもって、日々入居者の皆さんに接しています。なぜなら、私たちの仕事は一人ひとりのあたりまえの生活を一緒につくることだからです。

その人に役立つ物を準備し、その人のために勉強し、練習し、何度も話し合い。ときに「やってみなければわからない」ことを仲間とともに繰り返し、振り返り、お年寄りと一緒に泣いたり笑ったりしながら、「その人らしい生活」をつくっていきます。

お年寄りが、入居した施設で自分らしい生活をつくり上げていくことによって、家族も自分たちらしい生活を再び取り戻すことができます

『「私が母を施設に入れました」…親を介護施設に入居させた葛藤に苦しむ長男が見た、悲惨すぎる母の“変わり果てた姿”』へ続く

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