心臓が苦しくなったのに「歩いて」消防署へ…元・伝説のストリッパーが救急車を呼ばなかった背景にあった「ある気遣い」とは

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第116回

『生活保護を受け日雇い労働者の町に身を落とした“伝説のストリッパー”が「冷蔵庫」を買った衝撃の理由』より続く

起きない彼女

ある日のことである。私は花束を抱えて釜ケ崎を歩いていた。

一条の狭い部屋は殺風景だった。ストリッパー時代、彼女は花に囲まれていたはずだ。

最初に訪ねたとき、糖尿病を患う彼女にきんつばを渡すという失敗を経験し、2回目からは豆腐や牛乳を持っていくようにしていた。ただ、食料ばかりではあまりに野暮に思えたため、狭い部屋を明るくしようと花を思いついた。

大阪・梅田のデパートのフラワーショップに寄って、店員に季節の花について聞くと、「ユリです」と言われた。店内には色とりどりのユリが並んでいる。ユリの花言葉(英語)は、「純粋」「洗練された美」。白いユリを5本、買った。

解放会館を3階まで上がる。ドアをノックしても反応がない。おそらく休んでいるのだろう。ドアを静かに開けた。鍵はかかっていない。なかをのぞくと、彼女は身体を向こうにして眠っていた。

「一条さん、池田さん」

かなり大きな声で呼び続けても、起きない。

昨夜、胸にあった“違和感”

玄関から身体を伸ばし、彼女の足を叩いた。一条はゆっくりと目を覚まし、重そうに身体を上げた。

「いらっしゃい」

声がかぼそい。

ユリを手渡すと一条は鼻を近づけた。

「あら、ユリですか。あたしの(名の)花やわ。ええ香りがするわ。ありがとう。後で飾ろうね」

一条は大きくため息をついた。

冷蔵庫から缶コーヒーを出してくれる。その手がふるえていた。いつにも増して体調が悪そうだ。「つらそうですね」と聞くと、昨日は朝から調子が悪く、夜中に病院に行き、さっき帰ったという。

「夜中の2時ごろかな、こらあかんわと思って病院に行ったんよ。詩ちゃん(加藤詩子)が付いてきてくれた」

「どこが悪かったんですか」

「心臓が弱ってるらしい。昨日から、『持つかな』と思ってたんよ。食欲もないし。詩ちゃんから『池田さん、今日はあんまり笑いがない』と言われた。(昨夜は)詩ちゃんが晩にお粥たいてあげるから言うて、うんそれでいいと言うた」

加藤の作ってくれた粥にもほとんど口を付けず、12時ごろに床に就いた。

彼女が救急車を呼ばなかった理由

「しばらくして心臓が苦しくなった。痛くないの、苦しいの。詩ちゃんに、『病院行くわ、しんどいわ』って」

一条は救急車を呼んでいない。大きな音で住民を驚かせたくなかった。日雇い労働者の朝は早い。午前4時ごろ起きて、その日の仕事を探す労働者も多い。夜は1時間でも長く寝ていたいはずだ。彼女はそうした人たちを気遣っていた。

「みんなをびっくりさせたくないから消防署まで歩き、救急車に乗せてもらった」

近くの千本病院で男性医師に診てもらった。彼女は毎週火曜日、ここの内科に通っていた。水曜日は浪速区の芦原病院で歯科治療を受けている。部屋のこたつの上にはいつも、薬の大きな袋が置かれていた。

「歯はかなり前からボロボロ。あとは、糖尿病と肝硬変。やけどの後遺症で手も震える」

確かに歯は大半が抜けていた。私の知る限り、入れ歯はしていなかった。

病院に運ばれた彼女は心臓が苦しいと訴え、「このまま死んでしまうんかな」と言ったらしい。医師は「大丈夫や。人間はそんな簡単に死なへん、死なへん」と答えた。

結局、薬をもらって帰宅すると4時近くになっていた。この街が目覚める時間である。

「死のうと思っても死ねない」

「死ぬかなと思っても、意外に死なへんらしい」

一条は若いころ、鎌倉市の大船駅でホームから飛び込んでも助かったことや、大阪・扇町でタクシーにひかれても命拾いし、大やけどを負いながら生き延びた体験を説明した。

「いつも最後は助かってる。あたしは死のうと思おても、死ねへんみたいです」

この日のインタビューは体調の話題に終始した。

私が何度も彼女を訪ね、踊り子時代ではなく、現在の体調や病院でのやりとりについてまで聞くのを不思議に思ったのだろう。一条はこう聞いてきた。

「こんな話でええんですか。連載なんですか?」

彼女が「連載」という言葉を口にしたとき、過去に何度も取材を受けてきたのだろうと、私は思った。

このインタビューをどんな形で発表するか、決まっていなかった。

「連載にするかどうか、まだわかりません。1年か2年、こうやって話を聞き、それから発表について決めようと思うんです」

「1年か2年ですか……。それまで、あたし死んだらあかんのですね」

一条は自分の生きざまを残したいと願っていた。私は励まそうと思った。

「1年、2年と言わず、もっと長生きしてください」

「そんなに持ちそうもないわ。あちこちぼろぼろになってきてるから」

心優しき“隣人”の存在

私と一条は窓を開けたまま話をしていた。外を見ると鉄製の手すりに、一羽のハトが降りてきた。しばらくじっとしていると、再びバタバタと飛んでいった。まるで2人の会話を聞いていたかのようだった。去っていくハトを目で追いながら彼女が言った。

「ちょっと前に、エサをやった。そしたらたまに飛んでくるようになった。あたしは生き物が好きなんです」

窓から外を見ると、会館前の道路を隔てた向こうに簡易宿泊所が並ぶ。その辺りから、ハトがこちらを眺めていたので、パン屑をやったら、飛んでくるようになったという。

「あたしは賑やかなのが好きやったんだけど、身体が弱くなってしまって、人と会う機会も減ってきたから」

一条は大勢に囲まれているのが好きなのだ。孤独な彼女にとってハトは優しい友人だった。

私にはキューバへの取材予定が入っていた。それを告げると、一条は言った。

「カストロさんの国やね」

彼女が革命指導者の名を知っているのが意外に思えた。

96年、梅雨に入ったばかりの大阪は蒸し暑かった。解放会館を出ると、シャツがべっとりと身体にくっついた。

『引退から「四半世紀近く」経つのに突然生き生きと語りだす...「伝説の一条」を記者も驚愕の「ストリッパーの顔」にした意外な人物』へ続く

引退から「四半世紀近く」経つのに突然生き生きと語りだす...「伝説の一条」を記者も驚愕の「ストリッパーの顔」にした意外な人物