内側の「底なしの穴」と外側のフィクションの世界。朝井リョウさんと高瀬隼子さんの小説をめぐる対話

写真拡大 (全3枚)

新たな代表作となる衝撃作『生殖記』が刊行された朝井リョウさん。初めての短篇集『新しい恋愛』が話題の高瀬隼子さん。互いの新作を通して小説の現在地を語り合った「群像」2024年10月号の対談を再編集してお送りします。前篇は『新しい恋愛』の話題から。朝井さんが語る、高瀬さんの「恋愛小説」の魅力とは?

高瀬隼子『新しい恋愛』

高瀬さんはどんな属性の登場人物にも人間の悪性をまぶしてくれている

高瀬:朝井さんとお会いするのは今年の1月に「第10回全国高等学校ビブリオバトル決勝大会」へゲストで呼んでいただいたとき以来です。そのときは初めてお会いするということもあり「ヤバい、朝井リョウに会える」と浮つき、興奮していました。デビュー前から朝井さんの作品の読者だったので、まさか、今回対談という形でまたお話しできるとは思わず、昨日まで担当編集者に「緊張する、緊張します」ってやたらとメールを送っていました(笑)。

朝井:ビブリオバトル、楽しかったですよね! 緊張なんて恐縮です、ありがとうございます。5つの短篇が収録されている高瀬さんの最新作『新しい恋愛』、一足早く拝読できて嬉しかったです。私は高瀬さんがデビューしたときから全ての作品を拝読していて、単純にファンなんです。

最新作を拝読して、高瀬さんの作品のどこが好きなのか改めて考えてみたのですが、どの属性の登場人物にも人間の悪性みたいなものをまぶしてくれているところなのかなと思いました。作者がこの属性の人は悪く書かないと最初から決めている小説は、書き始める時点で書き手による倫理のジャッジが始まっているようで緊張するんです。高瀬さんの作品にはそれがない。ある意味、全ての人を平等に悪く見ているところがあると感じます。どんな登場人物にもエッと思う部分があるし、読者として、この人のことは信頼してみようかなと思っても思わぬ落とし穴があって、たとえ語り手だからといって安心させてくれない。小説を書いていて、善悪や正誤をぱきっと決めてしまったほうが楽だなと思うときが私にはあるのですが、高瀬さんはそれをせず、どんな立場の人、どんな属性の人もポジにもネガにもジャッジせずに書いている。それって実はすごく難しいことだと思うんです。

文章自体で言うと、カメラの焦点がキュッと合うような一文が絶妙なタイミングで差し込まれるところがいいですよね。忘れられないのは4篇目の「あしたの待ち合わせ」の中で、主人公のかな子が狛村くんを「英語の教科書に出てくる、外国から来たお友だちと日本の文化について「興味深いね」と話し合う日本人の男の子」と評していたところ。悪い言葉は一つも使っていないし、むしろ教科書に出てくるような人なんだから模範的な人間なんじゃないかと思わせながら、全く肯定はしていない。もし自分がこれを言われたら、一生忘れないだろうなと。拭い去れない呪いのように、ずっと心に残るだろうなと思いました。

高瀬:悪口ではないですが、あんなこと言われたくないですよね。

朝井:言われたくなさすぎます! また、最新作を読んで、高瀬さんの作品には、その人をその人個人として愛すること、好きになるとはどういうことなのか、そもそもそんなことは可能なのかという問いが通底しているようにも感じられました。『犬のかたちをしているもの』や『いい子のあくび』(ともに集英社)を読んだときに受け取った問いが、今回の「いくつも数える」内の、「あなたが好き、というのはなんなんだろうか。その人自身を単体で純粋個別的に好くことは、大人になった今でも可能なんだろうか」という文章によって、改めて差し出された気がしました。好きと思う気持ちの中にある、その人そのものに向いた部分、その人が置かれている状況や条件に向いた部分、それ以外の部分。そういう、感情を分解されるような感覚が、『新しい恋愛』では描かれているように思いました。

高瀬:私自身、「好きという気持ちが何なのか」という問いは、10年、20年ぐらいずっと考えて答えが出ないままになっていることの一つだったなと、今、改めて思いました。この2行を書いたときに、無意識のうちにその問いが浮かび上がって来たんだと思います。

「歳の差婚」の違和感から始まる問いかけ

朝井:自分の中で解決されない問いというのは、やっぱり作品にも滲みますよね。私はそういうものを小説から受け取ることが好きで、むしろ作者から答えを与えられると、自分が置いていかれた気分になります。「いくつも数える」は歳の差婚の話ですが、あらゆる組み合わせの歳の差カップルが登場することで問いが開かれたまま重なっていく感覚を抱きました。歳の差婚の一つの例だけを書くのではなく、いくつもの例が出されていたので、単純に答えを出すことができない、奥行のある問いかけになっていると思います。

高瀬:現実に歳の差婚をされている方が身近な知り合いにいることもあり、歳の差というテーマを扱うことが、読者の誰かを絶対に傷つけないわけがないと思い、書き方が難しかったです。

歳の差婚の受け取り方も、相手によって変わってくるなと思って。芸能人だと「ふーん」としか思わないし、親しい人や好きな人だと「いいよね」と肯定側にまわって、ちょっと知っているだけのあまり好きじゃない人だと「どうなの?」と思う、というダブルスタンダードが私にもある。だから、作者である自分はどの立場からこの人たちを見ているのかなと考えながら書いていました。

朝井:これまでの中篇でも表現されていたような、ひとつの事象を視点やタイミングを変えて眺めると思わぬ歪みや濁りに出会う現象が書かれていたという意味で、5篇の中では「いくつも数える」に最も高瀬さんらしさを感じました。

私は『おいしいごはんが食べられますように』の、「悪」性がひとところに留まらずグルグル回っている様子が大好きなんです。特定の悪を粒立てて書くのではなく、淀みなく流れるように、飛び移るようにして不穏さが巡り巡っている描写が新感覚だったんですよね。「いくつも数える」もそれに似ていて、「うわっ、あの人の言葉にはすごく傷ついただろうな」とか、「このときどんな気持ちでその場に立ち会っていたんだろうな」とか、歪みや濁りが淀みなく回っている感覚がありました。

高瀬:50歳の天道課長が24歳の女性と歳の差婚をするということを悪として描きたかったのではなく、それを受けた主人公の津野の、今まで尊敬して頼りにしていた上司を見る目が変わってしまうことを描きたいなと思ったんです。津野も、38歳の自分が一回り以上年下の異性であるクヌギを食事に誘っていいものかと、改めて考える。自分の上司への違和感は、自分自身にも向けられるのではないか、と疑心暗鬼になって。

朝井:津野は歳上で部署は違うけれど入社以来親しくしてもらっている日菜子さんともよく二人で食事に行っていて、その時間はどうなんだろう、23歳のクヌギさんと会っている時間はどうなんだろうと考える。天道課長の結婚が彼に与える影響が、事細かに書かれていきますよね。

高瀬:日菜子さんと津野のような、歳の差だけでなく、同僚というわけではないという関係性もあるんですよね。私自身、特に年齢の離れた後輩に対して、会社を辞めた自分が会いたいなと思っても向こうに仕事上のメリットはないし……、だから食事に誘って「全然行きますよ」と笑顔で返してくれても、「本当に?」と考えてしまうんです。

朝井:めっちゃわかります。会社外で出会っていたら友達になれていたかもしれない人っているじゃないですか。私も同性の歳上の上司のことを勝手に気が合うなと思っていて、退社後も一緒にイベントに行ったり映画を見に行ったりしたことがあったんですけど、もう同僚でもないのに何なんだろうと思われているような気がして、連絡を取らなくなっていきました。会社を辞めてからかつての同僚に会うのは、関係性も変わっているし意外と難しいですよね。

「いくつも数える」は上司の歳の差婚を始め、会社のいろいろな人間関係のパターンがあることで、自分が固定観念を持っていることへの反省というか、それを省みるための言語化が小説の面白さにつながっていると思いました。高瀬さんの作品には普遍的なテーマの脇や横にあるものがよく取り上げられているように思います。

小説を書くときの内側と外側

高瀬:『新しい恋愛』は担当編集者から「恋愛をテーマに書いてください」と言われて始まったんです。こういう依頼のされ方は今までなかったし、恋愛小説自体あまり書いたことがなかったので無理矢理ひねり出したら、今、朝井さんがお話しされたような題材に手が伸びていきました。最後に書いた「いくつも数える」に至っては、締切が近づいてもなかなかテーマを思いつかなくて、絞って絞って絞り出したら歳の差婚が出てきたんです。初めから自分一人で考えていたら思いつかなかったテーマかもしれないので、結果的に、いい縛りをいただけたなと思います。

朝井:連作ではない独立の短篇集というのは最小限の部品で工芸品を作るみたいなもので、実力が問われる形式だと思っています。一篇5、60枚というのは、主人公の年齢や立場、置かれた環境をさりげなく説明しつつ、起きていることを書いていくだけであっという間に到達してしまう。そんな限られた枚数の中で、似た設定や展開を避けつつ、読後に余韻を残すように書いていくというのはすごく繊細な作業だと思います。

私は、好きな作家さんができたら短篇集を探して読むことがよくあるんですけど、収録作を全て独立したものとして成立させている人を見ると、「職人だ」と感激するんです。『新しい恋愛』も、そのような感動があり、短篇集としてすごくすてきな本だなと思います。

高瀬:手探りで書いてきたので、朝井さんにそうおっしゃっていただけてホッとしました。

朝井:高瀬さんの初の独立短篇集ということで新鮮な雰囲気を感じる部分もありました。今までの高瀬さんの作品は、人間の奥にある底なしの穴みたいなところに言葉と思考をどんどん投げ入れていく感があって、それが作者自身の内側にある穴なのか、私たち読んでいる人間の内側にある穴なのか考えさせられたんです。でも、今回の独立した世界を持つ五篇は、人間の内側を覗くだけでなく、意識的に外側にフィクションの世界を構築しているように感じました。

高瀬:今までの中篇作品は、日常の中で心に引っかかったことからスタートして、それを広げてフィクションにしていくことが多かったんです。けれど、恋愛小説を書こうとしたとき私の内側には種がほぼなくて、友人や知り合いから見聞きしたものから育てていくしかなかった。だから、自分からは少し離れたところで作っている感覚がありました。

朝井:これまでにない挑戦を試みた短篇集だったのですね。では、書くにあたって新たな苦労もあったんじゃないですか?

高瀬:一度離れてしまった感覚を取り戻す難しさがありました。最初に収録されている「花束の夜」は、23歳の新入社員の女性が職場の先輩と付き合う話です。ところが、頼りになると思って好きになった人の社内評価が、どうやら芳しくないことが後でわかっていく。社内評価という本来二人の関係性には影響しないはずのものによって、自分の「好き」がちょっとずつ削られていく感覚をテーマにしました。私は今36歳で新入社員だったころの感覚をそろそろ忘れそうだったので、それを書いておきたいという気持ちがまずあり、自分の内側で消えかけていた種を取り出して、育てていったんです。

朝井:主人公が、先輩が受け取ったはずの花束を押し付けられ、それを抱えたまま深夜に彷徨うシーンがありますよね。移動してまた戻ってという主人公の動きが物語の展開と呼応しているところに、これまでの高瀬さんの作品以上に、練り上げられたフィクション性のようなものを感じました。この短篇が一篇目にあることで、読者も「今までの高瀬さんの本とはまた違うものが読めそう」と期待値を高めるんじゃないでしょうか。主人公の移動と回想が重なって物語が進んでいく様子がピタッとはまっているんですよね。

高瀬:私は昨年勤めていた企業を退職したのですが、「花束の夜」はその一年ほど前に書いた作品です。自分が退職するときに、「花束の夜」みたいに退職の花束がもらえるかも……と期待して最終出勤日を迎えたのですが、いただけたのは日本酒の大瓶だったんですよ。立派な木の箱に入った高そうなお酒で、「あなたは花束よりこっちのほうがいいでしょう」と言われ、たしかにと思いました(笑)。

朝井:一理ある!

高瀬:いい職場でした(笑)。「花束の夜」は若かった頃の感覚が活きているな、と実感しています。一方で、その他の4篇は自分から遠く、友人の話などをヒントに書き進めました。バレンタインデーにチョコをずっともらっていた男の子だったり(「お返し」)、結婚するのはいいけどプロポーズはされたくないと考えている20代の女性だったり(「新しい恋愛」)、歳の差婚だったり(「いくつも数える」)。どれも自分から距離があるということもあって、王道の恋愛小説になっていないのでは……と不安になりながら書いていきました。

朝井:短篇集のタイトルは『新しい恋愛』ですから、言葉通りの5篇だと思います。

高瀬:表題作にもなったこのタイトルも、締切日まで思いつかずに悩んだものだったので、どんなふうに解釈して読んでもらえるのか、読者の反応が全く想像できていなかったんです。朝井さんが今までの作品も踏まえつつ、新しさを感じて読んでくださったので、今夜は安心して眠れそうです。

(「群像」2024年10月号掲載、2024年7月25日、講談社にて。構成:鈴木隆詩)

→後編「小説の筋はどうやって作ってますか?」に続きます

小説の筋はどうやって作ってますか? 朝井リョウさんと高瀬隼子さんの小説をめぐる対話