石破茂首相目指す「核持ち込み」の「ウソ」にまみれた衝撃の歴史…!鳩山の「詭弁」、外相の「虚偽答弁」に唖然…

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標準中見出し知らぬ間に「米国のミサイル基地」と化していた日本

日本にとっての「最悪のシナリオ」とは?

政府による巧妙な「ウソ」とは一体…?

国際情勢が混迷を極める「いま」、知っておきたい日米安全保障の「衝撃の裏側」が、『従属の代償 日米軍事一体化の真実』で明らかになる。

※本記事は布施祐仁『従属の代償 日米軍事一体化の真実』から抜粋・編集したものです。

日本への核兵器配備構想と「事前協議の嘘」

今日では知らない人が多いかもしれませんが、アジアで最初に米国の核兵器が配備された場所は、沖縄です。米国は沖縄をアジアにおける核戦略のと位置付け、1954年から核兵器の配備を開始します。

米国はこの年、日本本土にも核兵器を配備する構想を立てます。しかし、それには大きな障害がありました。日本の反核世論です。同年3月1日に発生したビキニ水爆実験被災事件※1で静岡県焼津市の第五福竜丸を始め日本の多くのマグロ漁船が被ばくしたことで反核世論が沸騰し、原水爆の禁止を求める運動は国民的規模に拡大していました。

結局、米国は政治的リスクを回避するため、核兵器から核コンポーネント(核弾頭など)を外して日本に配備することを決定します。有事になったら核コンポーネントを日本に持ち込んで核兵器を使用できる態勢を構築しようとしたのです。

そんな中、日本への核兵器の配備をめぐって、日本の国会で大論争が巻き起こります。火を点けたのは、当時の鳩山一郎首相でした。

※1 1954年3月1日、米国は太平洋のビキニ環礁で初の水爆「ブラボー」の実験を行った。周辺海域には多くの日本のマグロはえ縄漁船が操業しており、放射線被ばくした。特に爆心地から約160キロの地点で操業していた第五福竜丸の23人の乗組員は全員が急性放射線障害と診断され、半年後、無線長であった久保山愛吉が死亡した。

鳩山首相の「詭弁」、怒りおさまらぬ野党

1955年3月14日に首相官邸で外国人記者との会見に臨んだ鳩山首相は、「日本に原爆を貯蔵したいという要求があれば認めるか」と問われ、「力による平和を正当として是認するならば原爆貯蔵も認めなければならないだろう」と答えたのです。

前年3月のビキニ水爆実験被災事件を機に大きなうねりとなっていた反核世論をバックにして、野党はこの発言を厳しく追及します。追い込まれた鳩山首相は発言から2ヵ月後、ついに方針の修正を余儀なくされます。「原爆は非常な災害を人類に及ぼすものであり、これを(日本に)貯蔵するのは重大な問題である。そのような重大な問題について、米国が日本に相談なしに持ってくることはないと思っている。あった場合には、私は断固としてこれに同意しないつもりだ」と国会で答弁したのです(5月13日、参議院本会議)。

しかし、当時の日米安全保障条約には、米国が日本に核兵器を持ち込む際に事前協議を義務付ける制度は存在していませんでした。鳩山首相の「米国が日本に相談なしに持ってくることはないと思う」という主張には何も裏付けがなかったのです。当然、野党はこの点を厳しく追及しました。

外務省トップによる重大な「嘘」

局面を変えたのは、重光葵(しげみつまもる)外相の国会答弁でした。アリソン駐日米国大使と会談した際、「日本の承諾なく核兵器を持ち込むことはない」との確約を得たと明言したのです。

「将来原爆を持ち込む場合においては、原爆を持ち込まなければならぬような国際情勢になると仮定しても、その場合は日本の承諾なくして原爆は持ち込まないのだ、こういうことを議会に対して私がはっきり申しても差しつかえないということでございました。そこでこれは米国の大使と私とのさような一つの交渉でそう言ったのでありますから、これは国と国とのはっきりした意思表示があったわけであります」(1955年6月27日、衆議院内閣委員会)

ところが、実際には、アリソン大使はこのような確約を与えていませんでした。

米側の外交記録によると、アリソン大使は内々に抗議の意思を伝え、重光外相も「(日本の)国会での議論のいかなる内容も、米国政府に特定の行動を約束させるものではない」と確約が存在していないことを認めました。

重光外相は、国会での野党の厳しい追及をかわすため、虚偽答弁を行ったのでした。

着々と配備される「核兵器」

米国は計画どおり、核コンポーネントを外した核兵器の日本への配備を進めました。

この年の8月には、米軍初の核弾頭搭載可能な地対地ミサイル「オネスト・ジョン」の配備を開始します。

後に米国政府が機密解除して公開した米極東軍作成(1956年)の「核作戦のための通常運用規定(SOP)」と題する文書※2には、当時、三沢基地(青森県)、ジョンソン基地(埼玉県)、厚木基地(神奈川県)、小牧基地(愛知県)、岩国基地(山口県)、基地(福岡県)、弾薬庫(神奈川県)、横須賀弾薬庫(神奈川県)、佐世保弾薬庫(長崎県)などで、有事の際に核兵器を持ち込んで運用する態勢がとられていた事実が記されています。

核攻撃任務を持つA4Dスカイホーク攻撃機一個中隊(16機)が配備されていた岩国基地では、核爆弾を積んだ海軍の揚陸艦「サン・ホアキン・カウンティ」が基地の沖合約200メートルの海上に停泊し、緊急時に直ちに陸揚げできる態勢がとられていた事実が明らかになっています。

※2 米国のシンクタンク「ノーチラス研究所」がFOIA(情報自由法)に基づき開示請求して入手したもの。同研究所のウェブサイトで閲覧可能。

>>つづく「「もはやお家芸」安倍・岸田から石破茂首相へ「日米同盟強化」…国民を騙し続けた「ウソ」まみれの歴史が衝撃的すぎた!」では、石破茂新首相が言及したことで波紋を呼んでいる「核持ち込み」をめぐって、政府が巧妙なウソで国民を騙し続けていた過去を明らかにします。

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