20世紀最高の天才学者が考えた「生きづらさを解決するヒント」

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「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。

※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。

あるものでなんとかする思想

みなさんの中には、「ブリコラージュ」という言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。レヴィ=ストロースは「野生の思考」をより具体的に説明するために、「ブリコラージュ(器用仕事)」という概念を持ち出してきます。ブリコラージュとは、限られた持ち合わせの材料や道具を間に合わせで使いながら、目の前にある状況に応じて必要なモノをつくり出すことです。その場合、人は偶然、身の回りにあるモノや、以前の仕事で用いた残り物などの、本来の用途と目的とは無関係なものを流用します。そうした器用仕事をする人が、「ブリコルール(器用人)」です。

ブリコルールが仕事をしているところを、レヴィ=ストロースは、以下のように描いています。

計画ができると彼ははりきるが、そこで彼がまずやることは後向きの行為である。いままでに集めてもっている道具と材料の全体をふりかえってみて、何があるかをすべて調べ上げ、もしくは調べなおさなければならない。そのつぎには、とりわけ大切なことなのだが、道具材料と一種の対話を交わし、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な解答をすべて並べ出してみる。しかるのちその中から採用すべきものを選ぶのである。彼の「宝庫」を構成する雑多なものすべてに尋ねて、それぞれが何の「記号」となりうるかをつかむ。(レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房、1976年、24頁)

ブリコルールは何かをつくり上げる際、設計図を緻密に描き、材料を調達して組み合わせていく方法はとりません。すでにある材料や道具を見渡して、使えるかどうかを検討し、実行に移していくのです。

「記号」とは、意味を運ぶ媒体のことです。彼が周囲からかき集めたモノの記号は、それらのモノがそれまでに使用された過程の中ですでに形づくられてしまっています。ある材料は、もとは機械の特定のパーツに用いられていたわけですから、その可能性はあらかじめ制限されています。

ところがブリコルールは、そんな制限などお構いなしに、集めた要素同士の内的組み合わせを変えて再配列し、新たな秩序のもとで構成し直すのです。そして最終的に目標とするモノが「でき上ったとき、計画は当初の意図(もっとも単なる略図にすぎないが)とは不可避的にずれる」(同書、27頁)とレヴィ=ストロースは指摘します。

寒い日のカレーもブリコラージュ

たとえば雪の降る寒い日、買い物に出かけるのもおっくうだけど、温かいものを料理して食べたいと思った時のことを考えてみましょう。冷蔵庫を覗くと、玉ねぎとジャガイモがたくさん残っています。でも肉がありません。肉ジャガをつくるのは、どうやら難しそうです。一方で、冷凍エビがあります。カレールーもあるので、そうだ、ニンジンや肉がなくてもいい、エビを入れて、カレーをつくろう……と、こういう具合に、手元にあるあり合わせの具材で工夫して、とにかくお目当ての温かい食べものをつくり上げるというのが、ブリコラージュです。

モノだけではなく、呪術、神話、儀礼などもブリコラージュ的につくられてきたと捉えることができます。それらは別の時代に別の場所で考えられたものが、今目の前でつくりつつあるものに再利用されるという仕組みを持っています。新石器時代の人たちや「未開」人たちは、常に巧みなブリコルールだったのです。

そして、ブリコルールによってつくられた新たなモノも神話も儀礼も、ふたたび解体されて再配列され、どんどんと変形が重ねられていくのです。

レヴィ=ストロースは、シュールレアリストであるアンドレ・ブルトンの言葉を引用して、ブリコラージュとは「客観的偶然」の産物だと言っています。それは、偶然のように見えても、必然を秘めているモノのことです。それは、レヴィ=ストロースによって発見された「構造」のことに他なりません。呪術、神話、儀礼というブリコラージュのリストには、シュールレアリストによって生み出された芸術を加えることもできるでしょう。

さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。

なぜ人類は「近親相姦」をかたく禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」