◆何でも売っているが、欲しいものは何も売っていない

 案の定、90年代に行った無理な拡大が後の傷口を広げることになります。出店により店舗数・売上高は伸びていったものの、GMS1店舗あたりの既存店売上高は1993年以降、前年比で減少が続きました。ダイエーは安売りを強みとする一方、台頭する専門店と比較して質や品揃えでは劣っていたのです。

 アパレル市場はそもそも1991年をピークに縮小しており、90年代はユニクロやしまむらの黎明期にあたります。家電では首都圏の駅前でラオックス、郊外部ではコジマが台頭していました。「ダイエーに行けば何でも売っているが、欲しいものは何も売っていない」と揶揄されるようになりました。

 店舗縮小に踏み切ったのは1998年になってからです。しかし無理な拡大を続けた分、傷口は広がり、時すでに遅しといった対応でした。2001年に中内氏は業績悪化の責任を取って会長の座を退任し、同年にローソン事業も手放しました。02年2月期の連結決算は約2.5兆円の売上高に対し純損失は3,325億円にまで膨らみました。主要3行による1,700億円の債務放棄、04年に行ったソフトバンクへの球団売却も再生につながらず、その後、産業再生機構がダイエーを支援することに。

◆イオンの傘下で「ダイエー」の名前は残るが…

 業界トップの座も2003年2月期にイオンに追い抜かされて2位に転落。その後、王者となったイオンが08年にダイエーの筆頭株主となり、13年には連結子会社となりました。15年にイオンはダイエーの全株を取得し完全子会社化しました。現在でも一部店舗で「ダイエー」の名前は残っていますが、多くはイオン・マックスバリュ・イオンフードスタイルなどの名称に変更しています。

 質を求める消費者の流行を掴めずに無理な規模拡大で業績が悪化したダイエーですが、低層階に食品スーパー、上層階に衣類・家電というGMSを築き上げ、成長期において日本の消費者を支えました。功績が大きい分、現在の姿を見ると寂しくなってしまいます。

<TEXT/山口伸>

【山口伸】
経済・テクノロジー・不動産分野のライター。企業分析や都市開発の記事を執筆する。取得した資格は簿記、ファイナンシャルプランナー。趣味は経済関係の本や決算書を読むこと。 Twitter:@shin_yamaguchi_