「日本は強い…だからこそ」元代表監督ザッケローニが”日本サッカー”に与えたインパクトはやはり大きかった

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日本サッカーに残した「偉大な教え」

日本サッカー殿堂の掲額式典が9月29日、都内で行なわれ、イタリアから来日したアルベルト・ザッケローニ元日本代表監督が表彰された。

昨年2月に自宅の階段で転倒し、頭部強打による出血で病院に搬送されて1カ月に及ぶ集中治療を受けた。一命を取り留め、71歳となった現在はすっかり回復。無精ひげをダンディーにたくわえ、日本代表監督時代と変わらぬ元気な姿を披露した。

「4年間、私が仕事をやりやすいよう環境をつくっていただいたことに感謝を申し上げたい。私の人生において最良の4年間だったと言っても差し支えない」

ザッケローニはそうスピーチし、満面の笑みを浮かべて感謝の言葉を繰り返した。

日本サッカーに多大な貢献をした功労者を称える日本サッカー殿堂。ザッケローニの選出についてJFAの公式サイトには<南米や欧州の強豪国と渡り合えるまでに成長させ、世界大会で上位を狙えるステージへと押し上げた。その手腕は、日本サッカーの実力を飛躍的に向上させたとして高く評価される>とある。

2014年のブラジルワールドカップではグループステージ敗退に終わったとはいえ、2011年のアジアカップ制覇をはじめ、攻撃的なサッカーを信条に親善試合ながらアウェイの地でフランス代表、ベルギー代表といった強豪を撃破するなど世界にインパクトを与えるとともに、日本代表を次のステージに引き上げた功績は非常に大きい。

筆者はザック時代の日本代表を密着取材し、指揮官にはたびたびインタビューをさせてもらった。彼が何度も使っていたワードの一つが、イタリア語で勇気を表す「Coraggio(コラッジョ)」であった。選手たちに対して相当口酸っぱく言っていることは容易に想像できた。

式典後の囲み取材で、彼はコラッジョについて言及した。

「勇気を持つということを言っていたのは確かに覚えています。勇気という言葉には自信につながることも含まれていて、なぜ私がそう何度も言ってきたのかと申せば、日本のサッカー界が歴史やこれまでのストーリーから(選手たちに)言ってこなかったんじゃないかと感じたんです。

実際、日本のサッカーは強いし、非常に勇気があるというのに。だからこそ、もっと勇気を持つんだ、もっと自信を持つんだと伝えてきました」

ヨーロッパに衝撃を与えた日本の成長

当時の日本サッカーが転換期にあったことは事実だ。2010年の南アフリカワールドカップは前評判を覆して2大会ぶりに決勝トーナメント進出を果たした。ただ世界の強豪とは明らかな差があった。

このころ長友佑都、岡崎慎司、川島永嗣ら選手が続々と欧州に渡っていき、基準が引き上がっていくタイミングでACミラン、ユベントス、インテルなどイタリアの名門を率いてきたザッケローニが日本にやってきた。

君たちはやれる。強豪相手に腰を引けた戦いをするな。自分たちを信じろ――。コラッジョという言葉を用いながら、常にハッパを掛け続けてきた。

久しぶりに聞くザッケローニの言葉に懐かしさを覚えながら、コラッジョに溢れたある試合を思い出した。

ワールドカップを翌年に控えるブラジルで開催された2013年のコンフェデレーションズカップ。グループステージ初戦でブラジル代表に0−3と完敗を喫し、中3日で迎えたイタリア代表との第2戦だった。

2点を先行しながらも最終的には勝ち越されて3−4で敗北を喫した試合ではあるものの、ボールを保持しつつ、スピーディーにかつアグレッシブに戦った。ザックは会見で敗因に国際経験やゲームコントロールにおける差を述べていたが、日本が強豪に対して勇敢に戦ったことには納得していた。

後にインタビューした際、このイタリア戦について熱っぽくこう語ってくれたことがある。

「強豪を過度にリスペクトした受け身のサッカーか、イニシアチブを取ろうとトライしていくサッカーか。当然どちらのケースでも負けるのは嫌だが、少なくともやるべきことをやって負けたほうが気分はすっきりする。

ブラジル戦から気持ちを切り替えてくれて、ボールを保持して主導権を握ろうとしてくれました。自分たちのやりたいことをトライできた感触がありました。

私の故郷イタリアでは、日本がここまでやるのかと、驚きがあったようです。私の知人たちもそれに近い反応でしたね。的を絞らせない攻撃ができていました。トライしたからこそ、今までまいてきた種がどう育っているかを把握することができたのです」

過度なリスペクトがあったブラジル戦から見違えるようなマインドチェンジに、一つ壁を乗り越えたと指揮官は感じていた。

だがその1年後、本大会の初戦でコートジボワール代表に対して先制点を奪いつつも、受け身に回ったことによって逆転負けを許してしまう。指揮官の意と一体とならなかったこのつまずきが大きく響き、大舞台で「世界を驚かせる」には至らなかった。植えつけてきたはずのコラッジォを、大舞台で発揮させられなかった。己のミスだと自らを責める彼がいた。

ザッケローニが日本代表監督を退いてはや10年が経つ。

ブラジルワールドカップの悔しさを味わった選手たちを中心に4年後のロシアではベスト16まで勝ち進み、攻撃的な姿勢でベルギー代表をあと一歩のところまで追い詰めた。勝利を手にできなかったものの、ザッケローニが欲したコラッジォがあった。

日本代表は欧州でプレーする選手でほぼ占めるようになり、2022年のカタールワールドカップではドイツ代表、スペイン代表という欧州列強を撃破。昨年9月にはアウェイでドイツと親善試合に臨み、チャンスを次々に生み出して相手を上回るシュート数で4−1と完勝している。ザッケローニのまいたコラッジォの種が時代を超えて花を咲かせたようにも感じ取れた。

日本に文化をこよなく愛する一面も

ザッケローニはファンからリスペクトされ、愛された監督でもあった。

映画「ラストサムライ」を観て日本にやってきた。渡辺謙演じる勝元盛次の武士道精神に関心を持ち、日本の精神文化に共感を覚えたという。“サッカー先進国”からやってこようとも上から目線で接するのではなく、日本の文化を学び、日本を心から愛した人でもある。この日、式典後のレセプションパーティーでもフォークやスプーンではなく、箸を用いて食事をしていた。

そして彼はチームの輪を何よりも大事にした。海外遠征の際、到着した空港で選手たちがチームの荷物を運ぶ手伝いをしているところを見て、そのまま待っている光景を何度か目にしたことがある。スタッフを引き連れて先に移動しても構わないのだが、そうしなかった。一緒の場にいて、かつピッチ内外問わずどんなときも、選手やスタッフをしっかりと見ようとする監督でもあった。ゆえに選手、スタッフからもリスペクトされ、愛された。

「日本はサッカーにかかわる部分でも、サッカー以外の部分でも常に、私に感動を与えてくれています。これからも機会があればこの日本に喜んで戻ってきたいと思います」

ザッケローニと日本サッカーの幸福な関係はこれからも続く。

勇気を持って、アグレッシブにトライを――。

ザックの教えをあらためて噛みしめることができた一日であった。

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