「えっ、そこまでやるの…?」芥川賞作品が「ブラッシュアップ」されるプロセスが凄まじかった…!

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一度あきらめた

みなさんこんにちは。非文芸編集者のM(34歳・男)です。この記事は、文芸の編集者ではない私が、文芸編集者にヒット作品のウラ話を聞くコーナー。

今回取り上げるのは、松永K三蔵さんの『バリ山行』(講談社)です。

この作品は、経営危機を迎えた会社に勤める男性の悩みと、彼が登山に目覚めてのめり込んでいく過程を描いた作品で、今年7月に芥川賞を受賞しました。

芥川賞といえば、言わずもがな、純文学の若手作家に与えられる賞で、その権威はきわめて大きなものがあります。そんな賞をとる作品は、いったいどのようなプロセスを経て生み出されていくのでしょうか。

【前編】「編集者は「芥川賞作家」をどうやって発掘するのか? その「意外なプロセス」がめちゃおもしろかった…!」の記事では、編集者が著者と出会って小説を依頼し、その小説のタネができるまでのプロセスを見ました。

小説のテーマは、バリ山行(=正規の登山道ではないルートを使っての登山すること)に決まり、原稿はあがって何度か改稿を繰り返したものの、どこかしっくりこないものを感じていた著者の松永さんと担当編集の須田さん。行き詰まりを感じるなか、須田さんは産休に入ることになり、「バリ山行というテーマはあきらめたほうがいいかもしれない」と思い始めます。

その後、小説の進展はどうなったのか? 群像編集部で須田さんから担当を引き継いだ中野さんが言います。

「私が引き継いでからは、実は一度『バリ山行』はあきらめようということになりました。もう一度ゼロから別のテーマの小説をつくろう、と。それで1年くらいがんばったんですが、新しい試みもちょっとうまくいかず、「じゃあ次を……」と話していたときに、松永さんから送られてきたのが、以前のものを改稿した『バリ山行』だったんです。

どうすべきか迷ったのですが、編集長に見せたところ、「これはいける! 今月の『群像』に載せよう」ということになって……」

そのころ、ちょうど前任の担当編集である須田さんが育休から復帰してきていました。

「戻ってきたら、一度、保留にしたはずの『バリ山行』が復活していて驚きました。しかも、あと2週間ほどで掲載まで持っていくということで……。私と中野で異例の「二人担当体制」を敷いて、最後の仕上げに臨みました。関西に住む松永さんとリモートで3人でじっくり打ち合わせをしました。

そして、松永さんはこの短い期間に、一つ素晴らしいシーンを書いてくださったんです」

『バリ山行』には、妻鹿さんという魅力的なキャラクターが登場します。主人公の「波多」が所属する「新田テック建装」という建築・建設系の会社の先輩で、一風変わった雰囲気をただよわせています。会社のなかでは同僚と群れず、休日には一人で登山を楽しむ、超然とした雰囲気のある人物です。

須田さんの言う「素晴らしいシーン」とは、波多と妻鹿さんが心理的に接近するシーンのこと。波多は、ある倉庫の修繕を頼まれ、その漏水の原因を特定できず困っていたのですが、きわめて高い防水技術をもつ妻鹿さんに相談すると、妻鹿さんはこころよく同行してくれて、漏水を直してしまうのです。

漏水を直した後、波多と妻鹿さんが屋根の上から海を眺める様子が美しく描写されており、私も個人的に『バリ山行』のなかで一二をあらそうくらい好きなシーンです。

須田さんは、

「このシーンができたときに、『この小説は行ける』という思いを抱きました」

と言います。一つの印象的なシーンができると、パズルのピースがはまるように作品が成立する--文芸編集者ならではの感覚には、非常に興味深いものがあります。

こうして大変な苦労の末に完成した作品は、選考委員から高い評価を得て、芥川賞を受賞することになります。

できあがった作品をいきなり読むいち読者からすると、物語はある種の「必然」をもって展開しているように見えますが、執筆の過程には、これほどの紆余曲折がある。そのことを知って読む作品は、また少し違った顔を見せてくれるかもしれません。

さらに【つづき】「芥川賞受賞『バリ山行』、「タイトルどう読めばいいのかわからない」問題を、担当編集に直撃した」では、なぜ『バリ山行』というタイトルになったのかを担当編集のお二人に聞いています。

芥川賞受賞『バリ山行』、「タイトルどう読めばいいのかわからない」問題を、担当編集に直撃した