編集者は「芥川賞作家」をどうやって発掘するのか? その「意外なプロセス」がめちゃおもしろかった…!

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新人賞の応募作から

みなさんこんにちは。非文芸編集者のM(34歳・男)です。この記事は、文芸の編集者ではない私が、文芸編集者にヒット作品のウラ話を聞くコーナー。

今回取り上げるのは、松永K三蔵さんの『バリ山行』(講談社)です。

経営危機を迎えた会社に勤める男性の悩みと、彼が登山に目覚めてのめりこんでいく過程を描いた作品で、今年7月に芥川賞を受賞しました。

芥川賞といえば、言わずもがな、純文学の若手作家の作品に与えられる賞で、その権威はきわめて大きなものがあります。

では、芥川賞を受賞するような作家を、文芸の編集者はどのようにして見つけるのでしょうか。『バリ山行』の担当である須田さんに聞きました。

「松永さんはもともと、2020年10月末締め切りの群像新人文学賞に、「カメオ」という、物流倉庫に勤務する男性を描いた作品を応募してくださっていました。

新人賞の選考にあたって、群像編集部の人間は全員、かなりの数の応募作を毎年読むのですが、「カメオ」は応募作ということを忘れるほど面白く読んだ作品でした。私は読んだ作品それぞれの感想と、5つ星の評価を記録しているのですが、当時のメモを見返しますと、「カメオ」にはめったにつけない満点の5つ星をつけていました。

当時のメモには〈めちゃめちゃ面白かった。文章がうまい。リズムがよくて飽きさせない。人物造形も巧みで、工事を妨害するおじさんに絶妙にリアリティがある。〉など、見開き2ページにびっしり感想を書いていました。

それで、10本ほどの応募作の中から5本ほどの最終候補作を選ぶ社内会議で、「カメオ」を強く推しました。編集部では、「面白いけど、純文学なのかな?」といった意見もあったのですが、私は残すべきだと思い、孤軍奮闘しました」

須田さんがつづけます。

「選考委員の皆さんによる最終選考会でも、町田康さんが孤軍奮闘して作品を推してくださって、群像新人文学賞の当選作こそ逃したものの、次点にあたる優秀作を獲得しました。

受賞作「カメオ」のゲラのやりとりなどが落ち着いた頃、松永さんと受賞後第一作についてご相談しました。当時はコロナ禍で、新人賞の贈呈式も中止になったので、関西在住の松永さんとはなかなかお会いできず、最初はメールやお電話でのやりとりでした。

松永さんは、新人賞に何年も応募し続けてきた方だったので、小説の原稿や題材のストックがすでにいくつかありました。その一つが、正規の登山道ではないルートを使っての登山……つまり「バリ山行」だったんです。

私はバリエーション登山のことを全く知らなかったのですが、松永さんから説明を聞いて、とても惹かれるものがありました。正規の登山道ではなく整備されていないルートを登る方法があると聞いて、人生そのものだなと思ったんです。登山と人生を結びつけられたら良い小説になるかもしれない、と感じました。

2021年6月、「カメオ」の掲載後すぐに松永さんから「バリ山行」の第一稿が届きました。その段階では、ちょっと主人公の「波多」の顔が見えないというか、影が薄いというか、そういう印象が否めませんでした。「私は〜」と一人称で書かれているのに、生身の人間らしさがあまりなく、カメラのレンズのような印象をもってしまったんです」

「初めてお会いできたのは、確かご受賞の半年後くらいだったかと思います。講談社には、植物がたくさん生えている空間があるのですが、その一角の席で初めて対面での打ち合わせをしたのを覚えています。

「主人公は平凡な会社員だとしても、彼なりの悩みや生きづらさを描いてほしい」と松永さんに伝え、まず主人公の波多を肉付けしてもらうことにしました。「どんな家族がいるんですか?」「この会社には新卒で入ったんですか?」といった感じで、松永さんと話しながら、細かい部分を引き出していきました。

すると、徐々に「こういう人かもしれない」という主人公像ができてくる。「この会社には転職してきたのかもしれない」とか、「妻と子どもとの3人家族かな」とか。じつは、うまくいかなかった設定もいっぱいあって。最終的には採用になりませんでしたが、家族を中心にしたバージョンの原稿を書いていただいたこともあります。

それで、1年半ほど改稿をつづけていただいたんですが、「これだ!」と思えるところになかなかたどりつけなくて……。『バリ山行』では、藪を手鋸で切り開きながら登山をするシーンが出てきますが、ちょっとそんな気分でした(笑)。頂上がなかなか見えず、藪のなかを進んで行くような。

そんななか私が、2022年10月に産休・育休に入ってしまうことになります。そこで後輩の中野に担当をバトンタッチするんですが、じつはその時点では私は、バリ山行というテーマをなかばあきらめかけていて、松永さんに「別のテーマで書いていただいたほうがいいかもしれません」とお伝えしていました」

なんと、芥川賞を受賞した作品は、じつは一度ボツになる危機に陥っていたのでした。

【つづき】「「えっそこまでやるの…?」芥川賞作品が「ブラッシュアップ」されるプロセスが凄まじかった…!」の記事では、さらに、『バリ山行』の制作プロセスをうかがっていきます。

「えっ、そこまでやるの…?」芥川賞作品が「ブラッシュアップ」されるプロセスが凄まじかった…!