【森合 正範】「井上尚弥と闘うと寿命が縮む」「鼻がいつの間にか曲がっていた」…4人の「敗者」はそれでもなぜ笑うのか

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いまや世界中のボクシングファン・関係者の注目を集める井上尚弥選手。井上選手がいかにして「本物の怪物」に進化していったのか。対戦相手たちの証言を元に、その強さの秘密、闘うことの意味について綴ったのが『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』だ。本作は7月18日に最終選考会が行われる第46回講談社本田靖春ノンフィクション賞の最終候補作となった。著者・森合正範氏による特別寄稿をお届けする。

狂気のスパーリング

出版して1カ月が過ぎた頃だった。『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』の各章に登場する日本人ボクサー4人と集まる機会があった。

井上尚弥と日本人で初めて対戦した佐野友樹は名古屋からスーツ姿で現れ、フルラウンドを闘い抜いた田口良一、世界王座に挑んだ河野公平、井上と最もスパーリングを交わした黒田雅之も仕事終わりに駆けつけた。

話題は選手の間でもあまり知られていない黒田と井上のスパーリングに及んだ。

「公式には合計で約150ラウンドと言っていますけど、200くらいやっていると思います」

黒田がそう明かすと、3人は「ええっ!」と驚きの声をあげた。井上と対峙することがいかに大変なことか、どんなボクサーよりもこの3人は知っている。

「(井上が)まだライトフライ級の頃は、呼ばれると毎回8ラウンドのスパーリングだったんですよ」

黒田が続けると、3人が「それはヤバい…」と驚嘆の声を漏らした。

誇らしい笑顔

「けがは大丈夫だった?」

河野が黒田にそう問い掛けた。

「鼻がいつの間にか曲がっていたし、2回くらい目尻を切られているし。だから寿命が縮んでいるんじゃないですか」

すかさず田口が合いの手を入れる。

「それはみんな同じ。寿命が縮んでいると思う」

そう言うと、4人は弾けるように大きな声で笑った。

えっ、ここは笑うところなのだろうか――。一人取り残された私は4人の表情を見渡した。その顔からは、井上に向かっていった勇気、試合でやり切った充実感、ボクサーとしての矜持、井上と闘った者にしか分からない感情を4人が共有していることが伝わってきた。どこか誇らしい笑顔だった。

井上の圧倒的な強さを表現できないという葛藤

私はボクシング記者になりたいと思い、この世界に飛び込んだ。だが、井上の圧倒的な強さを原稿で伝えきれない、書き切れていなかった。

井上尚弥。27戦全勝24KO。世界4階級を制覇し、そのうち2階級では主要4団体の王座を統一した世界が注目するチャンピオン。リング上のパフォーマンスは圧巻のひと言。私はその姿に興奮し、だが、文章で強さを表現できず、まるで敗者のごとく、うなだれて試合会場を後にしていた。ある日、そんな悩みを編集者に吐露した。

「だったら、対戦した選手を取材していったらどうですか。怪物と闘った相手に話を聞けば、その凄さが分かるんじゃないでしょうか」

この本は編集者のその言葉から始まった。対戦相手に体感した井上の凄みを語ってもらう。リング上での井上の強さを描くとともに、闘った彼らの人生をも描きたいと思い、メキシコ、アルゼンチンにも取材に行った。そして出来上がったのが『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』だ。

しかし、私の心にはずっと棘が刺さっているような感覚が残っていた。井上の戦績は全勝で、取材した相手イコール敗者だった。ボクシングの1敗は重い。勝った者がすべてを手に入れ、負けた者はすべてを失う世界。

負けた試合のこと、しかも自らを倒した井上の何が優れているか、どこか「モンスター」なのか、そんなことを聞いていいのだろうか。傷口に塩を塗り、敗者をさらに傷つける行為だったのではないか。出版した後も、この取材方法で本当によかったのか、絶えず不安な気持ちに包まれていた。

「書いていただき、ありがとうございました」

4人のボクサーが集まった会は終電間際まで続いた。帰り際、佐野から「これ、うちの妻からです」と言われ、立派なお土産をいただいた。私は乗り継ぎに失敗して終電を逃し、途方に暮れる駅の改札口で封を開けた。

そこには高級な焼酎と一緒に手紙が入っていた。恐る恐る、文字を目で追った。ボクサー佐野友樹を描いた感謝と御礼、「これからも友樹のことをお願いします」と綴ってあった。

私は嬉しくなり、佐野にメッセージを送った。すると、すぐに返信が来た。

「自分のところを読んで、胸につかえていたモヤモヤが晴れ、浄化されました。ボクサーとしての悔いはない、そう思えました。書いていただき、ありがとうございました」

私の心にあった不安の塊が溶けていく。シャッターが閉まっていく暗闇の駅を背に、「ああ、書いてよかった」と思えた瞬間だった。

ネリの退場時に沸き起こった拍手の意味

5月6日に行われた井上のスーパーバンタム級4団体統一王座防衛戦は、ボクシングでマイク・タイソン以来、34年ぶりとなる東京ドーム興行となった。相手はメキシコ出身のルイス・ネリ山中慎介との2戦でドーピング疑惑と体重超過の過去があり、ボクシングファンから「悪童」と嫌悪される、忌まわしい名前だ。正直に言えば、試合決定前から「対戦しなくていいのでは」と私自身も気持ちが乗らず、ネリには関心を持てなかった。

ネリはこれまでの愚行を反省している発言をしたかと思えば、挑発も忘れない。案の定、ネリの入場時にはブーイングがこだました。

試合は、ネリが1ラウンドにダウンを奪ったものの、2ラウンド以降は井上が圧倒。3度目のダウンとなったフィニッシュシーンは壮絶で、勝者と敗者の残酷なまでのコントラストが際立った。だがしかし、ネリの退場時には拍手が沸き起こっていた。

そう、井上戦後はこの感覚になるのだ。オール・オア・ナッシングの世界であるはずのボクシング。だが、井上の試合はどうだろう。敗者も何かを手にしているのではないか。

井上がスーパーバンタム級に上げてからの3試合にしても、2本のベルトを奪われたスティーブン・フルトン(米国)の評価が下がったとは言いがたい。KO負けしたマーロン・タパレス(フィリピン)に至っては、強固なディフェンス力の高さと一発の怖さを知らしめた。ネリだって井上戦に限れば「悪童」のイメージを変えたのではないか。とても勇敢で魅力的なボクサーに映った。

取材を進めるうち、私は不思議な感覚に陥った。ボクシングという競技において、相手を輝かせるなんて至難の業であり、考えられない。だが、それこそが、井上しか持ち得ない魔力ではなかろうか。東京ドームを後にするとき、私はいつかネリにじっくりと話を聞いてみたいと思うようになっていた。

「あの井上と闘ったなんて凄いですね」

日本人ボクサー4人との交流は今も続いている。ネリ戦の後、佐野に会った。

「もう試合から10年以上経っているのに、今でも、あの井上と闘ったなんて凄いですね、って言われます。凄いなあ、という目で見られるんです」

井上の試合が終わると、なぜか声をかけられ、評価が上がる。田口も、河野も、黒田も同じことを言っていた。井上が勝つごとに、また光り輝くのだ。

彼らは試合の敗者であっても、人生の敗者ではない。負けることが終わりではない。

今回、「第46回講談社 本田靖春ノンフィクション賞」の最終候補作に選ばれたと聞いて、あらためて、より多くの人に彼らのような「敗者」がいたことを知っていただけたらと思う。

懸命に闘い、負けから立ち上がり、井上戦を大きな糧にして、今を生きている。

「みんな寿命が縮んでいると思う」

そう言って、一斉に笑った、あの誇らしい表情が忘れられない。

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