SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第36回「レイトショー」

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 小さい頃からずっと映画が好きだったので、今でも移動する時や、寝る前に映画を観て過ごしていることが多い。ただ、旅の醍醐味が車や飛行機でなく徒歩にこそあるように、映画の醍醐味は映画館にこそあると思っている。なので、私の密やかな楽しみの一つに、映画館にレイトショーを観に行くというものがある。

いま、編集部注目の作家

 もちろん家で観る映画も良い。自分で環境を整え、誰の目を気にするでもなく観る映画にはそれなりの良さがしっかりある。ただ、記憶に残っている映画は、映画館で観たものが多いような気がする。

 だから私は、映画館に足を運ぶのだ。しかも遅い時間に。どうしてレイトショーが良いのかというと、すごく特別なことをしている気になるからである。周りの建物の電気が消え、人が疎(まば)らになってきた街の片隅で、さも私だけの為に扉を開けてくれているような心持ちになる。ひっそりと、とっておきの時間を用意してもらっているようでドキドキする。

 そして人がすごく少ないというのも魅力の一つである。稀に、ごく稀に、私一人だけの貸切状態なんてこともあったりする。そんな時は何にも代え難い贅沢な時間を過ごすことができる。

 でも、そんな贅沢は期待してはいけない。期待してはいけないのだ。

 あれは丁度十年前の話。私は終電間際の地下鉄を降りた。最寄りの出口に向かう足取りは軽く、ワクワクしながら颯爽と歩いた。フォー・シーズンズの経歴を元に作られたイーストウッドの映画が先週公開されたのだ。とっておきの環境で、大好きなイーストウッドの映画を観られるのかと思っただけで、少し早足になっていた。

 早く着きすぎても時間を持て余すと思い、少し先の出口から地上に出た私は、開演十分前という完璧な時間に映画館に到着した。自動券売機の前に立つ。「ジャージー・ボーイズ」のタイトルに指を押し当てる。

「ん?」

 私は目を疑った。シネコン全盛の時代となった今、映画館はいつしか完全に座席指定になった。だからチケットを買う際に座席を指定する必要がある。なので目の前に現れた座席を意味する数多の四角が全部白色であることに私は大いに驚いたのだ。

「あれ、客、俺だけ?」

 え、もう、本当に。完璧すぎるんですけど。割と大きめの劇場の、夜中の特別な時間帯に、観たいと思っていた映画が、私だけのために上映される。

 観客が私だけというのは以前一度経験したことがあったが、これ程の規模での貸切状態は初めてだ。周囲を見渡すも人の姿はなく、おそらくここから人が来ることはないように思われた。嬉しさに無駄に足踏みをしながら、ど真ん中の席を選んだ。コーヒーを購入して準備は万端、鼻息を荒くしながら指定の劇場の扉を開けた。うん、間違いなく、誰もいなかった。

 選んだ座席に腰を下ろして、あたりを見回す。とりあえず一旦立ち上がり、ロッキーよろしく両手を突き上げる。「あア」と声に出し、再びゆっくり座った。時間を確認すると、あと五分で上映開始である。なんて最高なんだろう、とコーヒーに口をつける。すると、スクリーンの横の扉がゆっくり開いた。

「あ」

 おばさんがいた。失礼、女性がいた。ストローの刺さったカップを片手に、その女性はゆっくり入ってきた。あアまじかよ、とがっくり首を折って、貸切でなくなってしまったことにため息を吐いた。でもそれからすぐに反省した。そりゃ当たり前だ。妙な期待を勝手にした私が悪い。しかしまア、一人だけでないにしても、相当な贅沢だ。この素晴らしい環境で心ゆくまで映画を楽しもう、と気持ちをすぐに切り替えた。

 女性は手に持ったチケットで座席を確認しながら場内をゆっくり歩いている。どこに席を取ったのかなア、と熱々のコーヒーに顔を顰(しか)めながらその動向をなんとなしに見守った。チケットと、座席に交互に視線をやりながら女性は歩みを進める。やがて席を発見したようで、足取りを確信めいたものに変えて座席に向かった。そして最後にもう一度、チケットと座席の番号を確認し、どさっと腰を下ろした。

 私の隣に。

 なんでだよぅ!

 実際に声に出さなかった私はすごく偉い。

 いやいや、本当になんでだよ。俺のあとでチケット買ったわけだからたくさんの白い四角のど真ん中に黒い四角が一つあるのをみたはずだよね。あれエ、なんでここの四角だけ黒いんだろうなアって首を傾げながら、隣の四角をなんとなく押しちゃったのかな。それならすんごくかわいいね。

 どこに座ろうが自由だし、別に隣に席を取っていけないルールなんてない。でもここまでがら空きの映画館でわざわざ隣に誰かいる席を選ぶ心理が全くわからない。

 でも。もしかしたら。おばさんからしても不測の事態だということもある。すごく焦っていたとか、操作ミスであるとか。まさか隣に誰かいるなんて、って困惑している可能性もある。というかそうでなければ、おかしい。そうであってくれ、という願いも込めておばさんの様子を伺うと、然もありなんといった具合で、普通にしている。動揺している様子も、一つ席をあけて座り直そうかな、と思案している様子もない。

 なんでだよ。色々本当になんでなんだよ。

 こうなってしまったら、もう気になって駄目だ。価値観っていうか、もはや倫理観っていうか、そういうのがあまりにも自分と乖離していると、私は手前側の感情を通り越して一抹の恐怖まで覚えてしまう。理解出来ないものが私の隣にいるこの状態で映画に集中するなんて不可能だ。

 私は涙ぐみながら特等席を立ち、二列後ろの真ん中から少し左に寄った席に移動した。おばさんは私が席を立ったことにも、なんの興味も示さず、相変わらずものすごく普通だった。

 真っ暗な映画館にフランキー・ヴァリの高音が響く。ことある毎におばさんの後ろ姿を見てしまう。なんだこれは。恋か。

 シェリー、ベイビー、君を見てるとクラクラしてくるよ。

 おかげでしっかりと記憶に残ったこの映画。断片的に差し込まれるおばさんの後頭部も案外良い味出してくれてる。やはり映画の醍醐味は映画館にこそあると思う。

 だから今でも、私の密やかな楽しみの一つに、レイトショーを観に行くというものがある。