『じいさんばあさん若返る』キービジュアル

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 2024年春アニメでは、『花野井くんと恋の病』や『ワンルーム、日当たり普通、天使つき。』など、甘酸っぱい恋模様を描いた作品が多数放送中。そのなかでも、長年連れ添ってきたおしどり夫婦が突然若返る『じいさんばあさん若返る』と、いわゆる“オメガバース”の世界観でαとΩが幸せな家庭を築いていく『ただいま、おかえり』は、そのユニークな設定によって注目を集めている。

参考:内山昂輝はラブコメ表現の新境地へ 『山田くんとLv999の恋をする』の秀逸な“音”

 本稿では、この2つの作品に負けず劣らず刺激的な設定をもつラブコメアニメを紹介。そこに表現されている“恋愛観”の変化についても考察していきたい。

●『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』  たとえば2023年10月から12月にかけて放送された『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』は、“誰も負けヒロインにならない”という前代未聞の設定によって話題をかっさらったラブコメ作品だった。

 主人公の恋太郎は恋の神様から“運命の相手が100人現れる”というお告げを受け、その後実際に次々とヒロインとの出会いを果たしていく。これだけだと都合のいいハーレムものに見えるかもしれないが、片想いのまま関係を宙吊りにせず、全員と誠実に付き合っていくことになるのが見どころだ。

 複数の相手と付き合うことを読者に納得させるために、“運命の相手と結ばれなければ不幸になって死ぬ”という設定を用意したり、主人公の誠実さを異常なまでに強調したりと、色々な工夫が見られる作品となっている。

●『カノジョも彼女』  またTVアニメがシーズン2まで制作されている『カノジョも彼女』(2021年~2023年)も、これに近い設定。主人公の向井直也は幼馴染みの佐木咲にぞっこんで、高校入学と共にようやく交際にこぎ着けるのだが、そこで水瀬渚という別の女生徒に告白を受ける。あまりに健気な渚に心を動かされた直也は、咲に対して「二股していいか」と提案し、なんやかんやで彼女公認の同時交際が始まる……というストーリーだ。

 『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』と同じく、主人公はあくまで誠実な気持ちで恋人たちに向き合っており、“全員を幸せにする”という強い覚悟に突き動かされているところも共通している。1対1の交際ではなく、複数の相手と同意の上で恋愛することを指す「ポリアモリー」という用語があるが、これらの作品はいわばポリアモリーラブコメとでも呼べるだろうか。

●『恋愛フロップス』『神のみぞ知るセカイ』  そのほか、2022年に放送されたオリジナルアニメ『恋愛フロップス』も印象的な作品だった。平凡な高校生のもとに5人の女性が現れ、イチャイチャとした日々を繰り広げるのだが、後半でそれが仮想現実での出来事で、ヒロインたちがAIだったことが判明。しかし紆余曲折を経て、最終話では彼女たちが現実の素体を手に入れ、5人全員と同棲生活を始めるというハッピーエンドに辿り着くのだった。

 複数人のヒロインと結ばれるといえば、TVアニメが3期まで制作された『神のみぞ知るセカイ』(2010年~2013年)は、ギャルゲーマニアの主人公が悪魔との契約によって現実の女性を次々“攻略”していく物語だった。ただ、同作の場合はあくまで一時的な関係性で、最終的には1人のヒロインと結ばれるため、着地点は王道のラブコメに近かったと言えるだろう。

●“ポリアモリー”的な結末を迎えた作品も……  さらにアニメ化された範囲では描かれていないものの、原作マンガでポリアモリー的な結末を迎えたという例もある。たとえば、流石景による『ドメスティックな彼女』。義理の姉と妹との三角関係を題材としたラブストーリーだが、最後は3人がそれぞれに納得する形で意外な家族の形に辿りついている。

 また筒井大志の『ぼくたちは勉強ができない』は、“マルチエンド形式”という斬新なやり方によって全ヒロインとの恋の成就を描いていた。

 ほかにも女性同士の親密な関係性を描く百合のジャンルでは、ポリアモリー的な恋愛を描こうとする試みが盛んに行われている。たとえば缶乃は代表的な作家の1人で、『あの娘にキスと白百合を』や『合格のための! やさしい三角関係入門』といった作品において“幸せな三角関係”の表現に挑んでいることで有名だ。

 なお、2011年から2016年にかけて『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載された『ニセコイ』では、複数人との交際の“一歩手前”までが描かれていた。主人公の一条楽が、2人のヒロインを同時に好きになっていることを認める展開があったのだ。ただ、結局はその後1人の相手を選ぶという王道の結末で終わっている。

 こうしてまとめてみると、ひと昔前なら「ありえない」と一蹴されていた設定が時代と共に受け入れられるようになってきたような印象も受ける。その背景には、少なからず受け手の側の価値観の変化があるのかもしれない。

●美少女ゲーム的な恋愛観からソシャゲ的な恋愛観へ?  1つの仮説だが、ラブコメの恋愛観が「美少女ゲーム的」なものから「ソシャゲ的」なものへと変わってきたという風にも考えられそうだ。

 平成に一世を風靡した美少女ゲームは、数多くのヒロインが登場するなか、誰か1人とのエンディングを選ぶという構造が一般的。さらにいえば、トゥルーエンドとして特定のヒロインが中心となる話が用意されていることも多かった。そこでプレイヤーに突きつけられていたのは、“最終的に誰か1人のヒロインを選ばなくてはいけない”という倫理観だ。

 その一方、ソシャゲのシナリオは基本的にエンディングを迎えることがない。そのため同じマルチヒロイン形式だったとしても、主人公が誰か1人を選ぶ必要はなく、ひたすらに恋愛イベントだけが積み重なっていく。極端に表現するなら、ヒロイン全員との幸せな関係が半永久的に続いていく世界観と言えるだろう。

 ところで2007年放送のアニメ『School Days』は、主人公・伊藤誠が複数のヒロインたちのあいだで次々と浮気していき、最後に容赦なく命を奪われるというバッドエンドで有名だが、原作は元々PC向けにリリースされた美少女ゲームだった。現代では“二股公認”の主人公が出てきているが、もしかすると伊藤誠も令和のラブコメ主人公だったなら、惨劇が起きずに済んだのかもしれない……。(文=キットゥン希美)