呪われた世界での 「解毒作用」について--いまどきな生活を管理しようとする脅迫観念から解放されるには?

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「小説現代」2024年4月号で全編公開され、はやくも各所で話題となっている『カフネ』(著 : 阿部暁子)。

「言葉にできない関係性」を描く本作を、気鋭の書評家はどう読み解くのか?

今回は5月22日の単行本発売に先駆けて、マライ・メントラインさんによる書評を紹介します。

阿部暁子『カフネ』

一緒に生きよう。あなたがいると、きっとおいしい。

法務局に勤める野宮薫子は、溺愛していた弟が急死して悲嘆にくれていた。弟が遺した遺言書から弟の元恋人・小野寺せつなに会い、やがて彼女が勤める家事代行サービス会社「カフネ」の活動を手伝うことに。弟を亡くした薫子と弟の元恋人せつな。食べることを通じて、二人の距離は次第に縮まっていく。

本作が描く「解毒」

『カフネ』は面白く、そして美しい「解毒」の物語だ。

語り手に近い主人公といえる薫子は、2020年代における主な生きづらさを、複合的かつリアルに抱えたアラフォー女性。SNSの使用場面が強調されるわけでもないのにネット民的な怨念を抱えつつ日々を過ごしている様子が窺え、そして軽く周囲を呪うことで自分の内面の毒を排出することが常態化している人物。彼女は積極的に「生きて」いるのか、それとも惰性で日々が繰り越されてゆくのか。極めて女性的な物事がふんだんに語られる内容だが、本作を読んだ私の夫が「性別とか壁を越えてオレの世界観と内面に食い込んでくる!」と言っていた。それはおそらく本物の言霊使いによる憑依的表現力の発露であり、実に素晴らしい。

そして薫子の生活空間に「異物」として出現し、彼女を巻き込みながら世界の矛盾と戦い続けるもう一人の主人公、せつな。生活サポート団体という足場に立ち、ワンオペ育児、コミュニケーション不全、ネグレクト、離婚、アルコール依存、非正規雇用、親子断絶、介護負担、コロナ禍失業……といった現代的諸問題に決然と立ち向かい、安価な食材のポテンシャルを極限まで引き出す必殺料理術によってそのストレスを解毒・昇華させ、相談者たちの生きる気力をリブートしてゆく人物。

登場人物の前に立ちはだかる障壁の数々

料理によって人間的な諸問題を緩和解消するせつなの手際は一見『美味しんぼ』などグルメ漫画を思わせるノリと勢いだが、よく考えると、そのタイプの作品(特に料理人視点のもの)が解決する問題というのは多くが「権威主義や意地っ張り」に起因するもので、そもそも関係者の頭がやわらかければ自然になんとかなりそうな内容だったりする。それに比べて、せつなの戦いは「構造的貧困」を主敵としており、依頼人の(特に神経的な)生死が懸かっていたりするので深刻さがまるで違う。ゆえに、彼女の調理というか戦闘スタイルの独特なストイックさは、『美味しんぼ』の山岡士郎よりも遥かに『北斗の拳』のケンシロウを思い出させてくれる。実際の話、彼女の眼に映る現実世界というのは底知れぬ「傷つき、疲弊しきった魂の荒野」なのだ。人生100年時代などと華々しく喧伝されていながら、何かのはずみでちょっとドロップアウトしてしまった場合、かなり積極的に「生きたい」と感じる根拠の中に身を置いておかねば意外なほどにただ座して死を待つしかなくなる、という酷薄さが今の世には存在する。ゆえに、せつなのあの緊張感、独特の冷静さと冷徹さ、なのである。その包丁さばきの圧倒的な凄みは薫子たちも体感するわけだが、まさに料理神拳奥義の炸裂といえるだろう。お前はもう食べている! ストレス堕ちるべし!

その彼女たちの前に、真の障壁として立ちはだかってくるのが「LGBT」と「Z世代的な生き方」の深みであるのが極めて興味深い。どちらも、SNS上の泡沫的な論争で沸いているような綺麗ごとや愚弄には収束しない文脈で主人公の二人に強力に絡みつき、人間的な真価を深く問うてくる。ちなみにここで「Z世代的な生き方」と述べたのは、例えば最近の会社の若手社員の優秀とされる層に絡めてよく言われることだが、多様な観点や価値観にみずからを矛盾なく適応させ、自他のストレスを最小化させるような知的情報的な工夫のことだ。主人公たちは、それを成功裏に体現したかと思わせるある人物(とその価値観)に、自分を含めた未来の人間存在への希望を無意識に託していたのだが、その深く優しく根源的な破綻を眼前に突きつけられてしまう。

では、どうするのか。

自分たちで価値観を、道理を、発見あるいは再構築しなければならない。

迫り来る怒涛の展開

それが本作後半の怒濤の展開であり、真のスイッチが入ったことによって、前半の善悪葛藤物語をまるごと乗り越えてゆく薫子の魂の勢いが素晴らしい。リヒャルト・ワーグナーの楽劇『パルジファル』の終幕で放たれ、今なお解釈で議論が沸騰する言葉「救済者に救済を!」とは、ああ実にこのことか! と思わせる、理屈を超えた濃厚なサムシングがここに満ちている。刮目せよ、読書人よ必見だ。

本作、ストーリーテリングの劇的な見事さゆえ、エンディングですべてが美しく回収されたように一見感じてしまうが、実はそんなことはない。

せつなが特に少年少女たちに向けて強く言い放つように、この文明社会は、様々な価値あるもの、素晴らしいものを生み出しておきながら、そう遠からず確実に背骨が折れて滅ぶことが決定づけられている。そんな環境、建前だけが空回りし続けるシステムの中で「生きる」こと、より正確に言えば「生きるモチベーションを保ち続ける」ことの意味とは何か、を摑みとり実感できたか、あるいは実行しているか否か、ということが作品世界を超えて実は読者に突きつけられている。本作にはそんな深みポイントもあるのだ。

読んだあなたは、そして私は、すでに内面化してしまったいまどき的生活の「管理」を主とする強迫観念、自縄自縛の呪いを客観視して、自らを「解毒」できるだろうか。環境の呪いから自らを解放できるだろうか。そこに本作の真のエンディングがあるといってよい。読む者を深みにいざないつつ思考させてくれる、実に秀逸な小説だ。

阿部暁子さんの『カフネ』は全国の書店にて発売中。

阿部暁子(あべ・あきこ)

岩手県出身、在住。2008年『屋上ボーイズ』(応募時タイトルは「いつまでも」)で第17回ロマン大賞を受賞しデビュー。著書に『どこよりも遠い場所にいる君へ』『また君と出会う未来のために』『パラ・ スター〈Side 百花〉』『パラ・スタ ー〈Side 宝良〉』『金環日蝕』『カラフル』などがある。

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