「戦局はますます重大になってくる。よろしく頼む」硫黄島の元陸軍伍長が明かす「戦時中の秘話」

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なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

海軍側トップの市丸少将とも

栗林中将以外にも、硫黄島戦史に登場する将校にまつわる記憶があった。玉砕を前にルーズベルト米大統領宛てに手紙を書き残したことで知られる海軍トップの市丸利之助少将や、1932年ロサンゼルス五輪馬術金メダリストで戦車部隊を率いたバロン西だ。

「市丸少将には一度接したことがあります。12月中旬に訓示を受けました。飛行場に整列して市丸さんを迎えました。市丸さんは箱の上に乗って訓示しましたね。長い剣を持っていました。内容はよく覚えていませんが『戦局はますます重大になってくる。よろしく頼む』というような話でした。私はその話し方が哀願しているように聞こえました。穏やかな感じの人で、勇ましい感じではなかったです」

「西さん(バロン西)については、硫黄島に来た初日に在島の兵士からこう知らされました。『この島には、あのオリンピックの西中尉がいるよ』って。『西大尉』だったかな。私を驚かせようとするような言い方でした。私も同じ西だから『親戚じゃないか』って言われましたね。オリンピックで有名な人だから、当時はみな知っていましたよ」

「私はいるって聞いてね、会いたいと思ったんですよ。狭い島だから。上官の許可をもらって会いにいきたいなあと思いましたね。会いに行く話題があったんですよ。お父さん(西徳二郎男爵、外交官)のことを知っていましたから。私の叔父(西春彦、開戦時の外務次官)はしょっちゅう話していましたよ。あの人(西徳二郎男爵)は鹿児島出身です。地元に顕彰碑を作らないかんということを言っていましたよ。だから、そんなこともあったから、会いたいなあって思いましたね。島にいる間に一度、部隊長の許可を得て行きたいと思いましたが、離れた場所の部隊なのでその思いはかないませんでした」

ちなみに西さんは学徒兵になる前、後に沖縄戦の司令官となる牛島満中将と本土で会ったこともある。

「大学時代、東京で鹿児島県人の会が開かれたときのことでした。外務次官だった叔父(西春彦)の紹介で自宅にも行ったことがあります。栗林中将と牛島中将は似ていましたよ。やっぱり軍人というよりも、おじさんという感じでね。二人とも人間味のあるおじさんでした」

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