「親友も命を奪われた」「背中から機銃掃射を浴び」…99歳、硫黄島の元陸軍伍長の「貴重な証言」

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なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

『きけ わだつみのこえ』の親友も……

激しい空襲や艦砲射撃にさらされ続け、仲間は一人、また一人と散っていった。

「戦闘機で飛び立ったまま未帰還となった操縦士がいました。夕方になっても帰還せず、友軍機が近海を捜索しましたが、見つかりませんでした。その夜は、弾薬250発入る弾薬箱を部隊のテントの中に3つ置いて毛布を掛けて、見せかけの祭壇を作りました。帰らなかった操縦士の軍刀を置いて弔いました。隊長がみんなの前で、懐かしい思い出を語ったりしました」

戦後ベストセラーとなった戦没学生の遺稿集『きけ わだつみのこえ』に短歌が収載された親友も、命を奪われた。

「部隊の中で親友となった学徒兵に、東大文学部の蜂谷博史がいました。蜂谷は時間があるときは、いつも壕の中で詩や歌をノートに書いたりしていました。その彼も12月に、戦闘機の整備中に背中から機銃掃射を浴び、戦死しました。息を引き取ると、衛生兵が手の指1本を切り落とし、ガーゼに包んでバッグに入れました。随分と手慣れた手つきでした。切った指は、遺骨として遺族の元へ返すため、その後焼いたと思います」

日本戦没学生記念会編『新版 きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』(岩波文庫)には、蜂谷さんの短歌5首が収載されている。最後の1首は、西さんが証言した「未帰還機」のことを歌っていた。

硫黄島雨にけぶりて静かなり昨日の砲爆夢にあるらし

爆音を壕中にして歌つくるあわれ吾が春今つきんとす

南海の淋しさに堪え我は生く人いきれする壕下にありて

人いきれいやまし来る壕中に淋しく生きる人ありあわれ

硫黄島いや深みゆく雲にらみ帰らん一機待ちて日は暮る

西さんは蜂谷さんを埋葬した時の状況を克明に覚えていた。

「この話はどこの本にも書いていないと思うのですが、『医務班壕』とか『病院』と呼ばれる壕があって、その前に建物がありました。長方形の小屋があって、中に病人が15人ほど入っていましたよ。その先に50平方メートルほどの空き地があって、そこが共同墓地でしたね。深さ1メートルぐらいの長方形の穴を掘り、その中にむしろを1枚敷きました。遺体は毛布でぐるぐる巻きにして、その上から土をかぶせました。こうした共同墓地は島内に複数あったと思います。この墓地にはこの時点で15〜16ぐらいの墓石がありました。墓石といっても天然の石を置いただけでしたが」

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