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 1997年にブンデスリーガに昇格したVfLヴォルフスブルクにおいて、マルセル・シェファーの名前はまさになくてはならない、非常に重要な意味をもつものである。1860ミュンヘンから2007年に加入し、翌年にはブンデスリーガ制覇。2014年にはドイツ杯優勝など、2018年の米国での勤務も含めて、クラブ運営に携わるこの2024年まで在籍し続けてきた『顔』だ。とりわけこの入れ替わりの激しいヴォルフスブルクにおいて、現役時代から文武両道を成立させるなど非常にクレバーな印象を残していたシェファー氏は、まさにこれ以上ないほど完璧にクラブと調和することができた人物と評することができるだろう。

 選手としてはドイツ代表に選出されるまでに至り、クラブシーンではタイトルを獲得、さらに選手やマネジメント側でもチャンピオンズリーグ進出を果たすなど、いずれの分野においても成功をおさめることができたのだ。選手たちとも関係性も、そしてファンとの繋がりも非常に深く、様々なエピソードを多くもつ(例えば長谷部誠がマクドナルドで、オレンジジュースとサラダだけを注文したという有名な話など)同氏が、わずか数行の短い発表でクラブを後にすることには寂しさをどうしても感じざるを得ない。

 ただしそのマネジメントの分野に関していえば、決して全て物事がうまくいっていたとは言い切れない。かつて親会社フォルクスワーゲン社から子会社であるVfLヴォルフスブルクに提供されていた、潤沢な資金はもはや過去の話。いまはむしろ緊縮政策のなかでのやりくりを迫られており、それでもイェルグ・シュマッケ前競技取締役との二人三脚でチャンピオンズリーグ進出を達成。だがそれからは下り坂となり、現在は14位で残留争いを展開中。周囲からは「なぜコヴァチ監督をここまでひっぱったのか」「なぜこのような選手たちしか獲得できていないのか」との声も聞かれた。

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紙一重の差で大きく道を分けた、ロルフェス氏とシェファー氏

 しかし決してシェファー氏が手をこまねいていたというわけではない。実際その先見の明は今季無敗のレバークーゼンで見て取れる。得点量産中のボニフェイス、フリンポンととの両ウィングでブンデスリーガを席巻中のグリマルド、そして中盤を司るシャカに至るまで、グリマルドとボニフェイスに打診、シャカに至ってはオファーまで提示していたのだ。そこでの分かれ目となったのが、『財力』。明らかな緊縮政策で大幅な人件費削減を果たしながら、彼らを獲得する資金は捻出されることはなかった。

バイエル製薬とフォルクスワーゲン社の100%子会社であり、いわゆる『ヴェルクス・エルフ』(企業クラブ)と呼ばれる両クラブの中で、同世代でドイツ代表経験をもち、SD時代にはフェラー氏(ロルフェス氏)とシュマッケ氏(シェファー氏)に師事を受け取締役になった、まさに同じキャリアを歩んでいた両者。だがその資金力の差もあって、前述の選手獲得のみならずチーム作りという点では、契約延長交渉という点でも、レバークーゼンは順調にまとめているのに対して、ヴォルフスブルクでウィンド(若手選手)をベンチに置くというリスキーな駆け引きまで展開。チーム状況もさることながら、売却の場合の価格下落という面でも相当に苦渋の決断を強いられているといえるだろう。

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17年愛の最後は、寂しすぎる幕引き

 それでもシェファー氏は地元アシャッフェンブルク近郊にあるアイントラハト・フランクフルトや、いまやCL常連となったRBライプツィヒからの勧誘の声にも耳を傾けず、一心不乱にヴォルフスブルクの再建に身を投じてきた。だがかつて溢れていた賞賛の声は批判へと変わっていき、ちょうどそのタイミングでRBライプツィヒからの誘いの声が届いた時、シェファー氏は袂を分つ決断を下すことになる。キャリアのステップアップ、そして残留争いの影響を考慮してのクラブ側からの早期の決断。それがあの寂しい別れの発表となって表れた格好だ。それでも一途な愛に余りにそっけなさすぎる?いや、そうではない。サッカーもまた、ビジネスの一部、当然そこにロマンチックさなど微塵もない。

 次の競技取締役における後任候補としては、これからひとまずハーゼンヒュットル新監督との二人三脚でチーム作りを行うことになった、VfLボーフム時代に同職を経験済みのシンジーロルツSDの昇格が1つの選択肢となる。そのほかフランクフルトやヘルタで同職を務めたフレディ・ボビッチ氏が、信頼を置くセバスティアン・ゼリホフスキ氏と共に加わる可能性もあろうだろう。ただし両者の名前は最近はドルトムントの後任候補として浮上中。一方でシュツットガルトのファビアン・ヴォールゲムートSDの名前も挙がっているところだ。

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