恋人から「そういうとこだよ」と、指摘されたことはないだろうか。

そして、目の前から去られてしまったことはないか――。

恋愛において、別れの常套句として使われがちなこのセリフ。

でも「そういうとこ」って一体どういうところ?

「ハッキリ言ってくれないとわからない、頼むから説明してくれっ!」

主人公・林 優斗は、3回連続「そういうとこ」で振られた男。

これは、彼が自分の「そういうとこ」の答え合わせをしていく物語である。




Vol.1 「そういうとこって、どういうとこ!?」


…カチャカチャカチャ。

3月初旬の月曜日、20時30分。

週の始めにしては珍しく、同僚たちは早々に仕事を切り上げて帰っていった。広い編集部内には、自分が打つキーボードの音だけが響く。

「うん、これで今週配信分の原稿は大丈夫そうだ」

僕は、体をゆっくり起こす。

パソコンの前で何時間も前屈みになっていたせいで、全身が凝り固まっていた。両腕を伸ばしながら、椅子に体を預けてのけ反ると、背中や腰が気持ちいい。

“ダイエットカテゴリーの原稿チェック”

デスクトップの右下にある、この日最後のタスクが記された付箋。ピッとはがすと、達成感で満たされた。

グゴーーーッ!

次の瞬間、激しい音を立ててお腹が鳴る。

― いつものカレー専門店のラストオーダーって、確か21時だったよな?急げば間に合いそうだ。

心地よい疲労感が、カレーを強く欲している。皮つきのまま出てくる茹でたじゃがいもに、バターとほんのちょっとのカレールーをかけて、思いっきりかぶりつきたい。

だが、作業していたワードプレスをいそいそと閉じようとしたときだった。

「…えっ?この原稿って…」

たった今、投稿一覧にあがってきた原稿のタイトルに、僕は身震いする。


僕は早稲田大学時代から、神保町の古書店によく足を運んでいた。

そして神保町にある大手出版社に就職し、編集者として勤めて12年。

最初の配属は、小学生向けの雑誌だった。当時の自分は、知育付録の企画や試作に夢中になりすぎて、いつも目がバッキバキだったと記憶している。

「せっかくの横浜流星似イケメンが台なしだな」と、編集長によくからかわれていた。

― 横浜流星…くんって、まだ10代じゃないか!似てないと思うけれど…。

それから、アウトドア雑誌に携わること6年。クライミングに興味を持ち、ボルダリングジムに入会。上級者レベルのコースを登れるまでになった。

そんな経歴の僕が、どういうわけか3ヶ月前から、人気女性誌のWeb媒体で編集者をしている。

畑違いにも程がある部署異動。副編集長の三橋さんから直々に指名されたのだった。




去年の11月ごろ、三橋さんは突然言った。

「私、3月から産休と育休に入るのね。だから、林くんに副編集長を引き継いでもらいたいんだけど、どう?」

「…僕、ですか?」

三橋さんは、小学生向け雑誌の編集部時代にお世話になった先輩。僕が異動になったあと、彼女もまた文芸誌で経験を積み、3年前に今のファッション誌に異動になった。

「女性ファッション誌…ってことですよね。逆にご迷惑をおかけすることになると思いますよ」

「大丈夫!ファッション誌っていっても、Webコラムの配信がメインだから。編集長は私が一番信頼してる先輩だし、引き継ぎ期間が終わってからもサポートするから安心して」

突然の申し出に返答できずにいると、キラーワードが飛んできた。

「昔からよく知ってる林くんだからこそ、ぜひお願いしたいんだけどな」

「…いや。ほかにもっと適任な方がいますって」

「もしほかの人に任せることになったら、私、産後1ヶ月で職場復帰しちゃうよ?」

「そんな、無理しないでください!本当にもう…」

戸惑う僕に、彼女は最新号の雑誌を手渡してきた。表紙では、ドラマでも見たことがあるモデルが、キラキラしたニットを着て微笑んでいる。このニットは、ファッション用語では何か名前が付いているのだろうか。

「じゃあ、読んでおいてね。来月からお願いね」

「え?あ、来月っ!?」

こんなふうにして、何もわからないまま飛び込んだ、ファッション誌のWeb媒体。気がつけば副編集長になって、あっという間に3ヶ月近くが過ぎていた。




1人残っていた夜の編集部。

ふと目にした原稿のタイトルに、僕は身震いする。

カレーを食べようと思っていた気分は吹き飛び、体が芯から冷えていくのを感じる。

『“そういうとこ”って思われちゃうかも?男女共通、好きな相手にやってはいけないこと5選』

― これって、僕がさんざん言われてきた言葉じゃないか。

「そういうとこ」と言い残して、僕のもとから去って行った女性が、3人もいるのだ。

時には怒りをにじませ、時には詰問するかのように、そして時にはため息交じりで。三者三様に、彼女たちは同じセリフを僕に言い捨てた。

今思うに、間接的なダメ出しなのだろう。

「そういうところが良くないよ」という言葉の短縮形で、「自分で察しようよ」とか「空気を読もうよ」という意味が隠されている。

― だけどさ。

「そういうとこって。それだけじゃ…どういうとこかわからないよ」

僕はポツリとつぶやき、記事に答えを求めるかのようにタイトルをクリックした。

1.「だから言ったのに」と、相手の行動にダメ出しをする

― なるほど、これはやってない。

安堵したのも、つかの間。

「あれ、林くん?」

突然、背後から声をかけられた。

僕は「ヒャッ!」と情けない声を上げて、体をビクつかせる。

振り向くと、そこにいたのは…。


「ちょっと、林くん!大丈夫?」

「み、三橋さん。すみません、僕1人だと思っていたからビックリしてしまって」

三橋さんの視線が、僕を通り越してデスクトップに向かっている。

「やり残した仕事があって、ご飯食べて戻ってきたの。あー、それメグさんの原稿ね」

「はい、ついさっき納品されたので読ませてもらってました」

「ふ〜ん…?」

冷静なふりをしたつもりだけれど、もしかしたら声が上ずっていたのかもしれない。それをごまかすように、続ける。

「そもそも“そういうとこ”って、芸人さんのエピソードからきてるんですよね」

「そうだっけ?」

「結構前なんですけど、すべらない話でキム兄さんが話してました。何度も失敗を繰り返す相手に、“そういうとこやぞ”って諭すオチなんです」

「へぇ〜林くん、お笑い好きなんだっけ?詳しいね」

― ヤバい、饒舌になりすぎた…。

僕が黙っていると、彼女は少し考えごとをしてからゆっくり口を開いた。




「じゃあ、恋愛で相手に“そういうとこだよ”って伝えるときは、何か直してほしいことを我慢してるサイン…ってことか」

「でも…。言いたいことがあるなら、ハッキリ伝えてくれたほうが、話し合いができてよくないですか?」

「ハッキリ言わないことにも、理由があるんじゃない?」

そのときパッと頭に浮かんだのは、少し寂しそうに「そういうとこだよ!」と言ってきた元カノ・香澄の顔。

― 僕は彼女に何を我慢させていたのだろうか。

同じ大学のサッカーサークルで知り合った香澄とは、僕が4年生のときから5年間付き合ってきた。言いたいことは言い合える関係だったと思う。それなのに、あえて別れの理由を言わなかったのなら、どうしてだろう。

「もし、僕から聞いていたら…」

「えっ?」




僕は、これまでの失恋の経緯を三橋さんにすっかり話していた。

「実は…その彼女と、今週の日曜日に会うかもしれません。大学時代の友達の結婚式があるんです」

「なら、聞いてみたら?“そういうとこ”って何だったのって。ずっと気になってたんでしょ」

― そうは言ってもなぁ。

香澄と別れてから、もう7年も経つ。今さら、別れの理由を聞いたら、引かれるに決まっている。

だけど、僕に我慢ならないほどの直すべきところがあったのなら、それは知っておくべきだと思うし、機会があったらちゃんと謝りたい。

― 言いにくいことって…まさか体臭とかじゃないよな?いや、それは大丈夫だろう。



友人・蒼汰の結婚式当日。

いつもの倍近く時間をかけて身だしなみを整えた僕は、式場のある表参道へと向かった。

彼女は、参列しているだろうか…?

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1人目の“そういうとこだよ!”の元カノ・香澄とは、再会できるのか?