前回:夫が会社の部下と恋に落ちた。とんでもない男の態度にショックを受けた妻は…



「シャンパーニュに来るのが初めてなら、ぶどうの木に葉がついている時季の方がよかったかもしれませんね…と言っています」

ぶどう畑を案内してくれたシャンパーニュの生産者さんのフランス語を、昨夜のレストランのシェフ、伊東さんが訳してくれた。6月なら葉が青々とキレイだし、10月の紅葉の時季もおすすめかな、と付け足してくれたのは雄大さんだ。

確かに、11月半ば近い今、畑の木の葉は殆ど落ちていたが、どこまでも晴れた空の下、柔らかな日の光に照らされて、見渡す限りのなだらかな丘一面にブドウの木が規則的に並んでいる光景は美しく、私は十分感動していた。

「季節によって美しさが変わるこの場所で働けることを、とても誇りに思っているんだ。畑に出る度にね」

そう教えてくれたのは、このメゾン…とやらの3代目当主のアランさん。メゾン、とはフランス語で「家」の意味を持ち、シャンパーニュ地方ではワインの生産者を示すことが多いらしい。

アランさんのメゾンは、日本でも知名度の高い大手のシャンパーニュメゾンとは違い、小規模な家族経営で、ブドウの栽培からワイン作りまでの工程を、全て自分達でまかなっているのだという。

アランさんは唯一無二のシャンパーニュを生み出す鬼才と呼ばれ、彼が作るシャンパーニュなら金に糸目はつけないという熱狂的なファンが多いのだとか。小規模経営で生産量が少ないため、伊東さんのような、世界的に有名なシェフたちの間でも争奪戦となる程、というからすごい。

ちなみに雄大さんは、昨夜の帰り際のシェフとの雑談で、シェフが今日このメゾンを商談で訪ねることを聞いていたらしい。実は雄大さんも、何度かこのメゾンを訪れていてアランさんとも交流があった。

そこで私を連れて行くことを思いつくと、すぐにアランさんに電話をした。訪問する許可をもらった後シェフに連絡すると、シェフが同乗させてくれることになった、という流れだった。

日帰りするなら急ごうと、当主が案内してくれたのは、まず先ほどの畑。そしてカーブという、入るとひんやりと寒い洞窟のような巨大な貯蔵庫。ここで瓶に詰められたワインが自然に2次発酵し、泡が作られ、シャンパーニュとなって出荷されていくという。

瓶詰めされた後、長ければ10年くらい熟成されるとか、畑のぶどうは全部手摘みだとか、気の遠くなるような手間がかけられていることを知って驚く。だからシャンパーニュは値段が高いんだよ、という雄大さんの言葉にも納得しかない。

つい数日前まで、シャンパンとシャンパーニュはどっちが正しいの?とか、シャンパーニュがそもそもワインから作られていることさえ知らなかった…というレベルだった私に今、膨大な情報が、生の体験という迫力をもって、怒涛のように押し寄せてきている。

― でも、楽しい。


雄大さんたちに出会えなければ、ここを訪ねることはない人生だっただろうと思うと、改めて西麻布での出会いに感謝したくなった。

一通りの見学が終わると、ドメーヌが経営しているというレストランで、食事をとった。食事中、雄大さんは、改めて私とシェフ…伊東さんをお互いに紹介してくれた。

伊東さんの下の名前は智春さんで、こちらではトモって呼ばれてます、と笑った顔が童顔、というか若々しくみえて年齢を聞くと、36歳だという。コックコートを着ていないと随分印象が変わるんだな、なんてことを考えていると、雄大さんが、実はさ、と私を見た。

「今日はシャンパーニュ訪問、といいつつ、宝ちゃんと伊東くんを話させたかったんだよね。彼の人生、面白いから。2人で話してみて。伊東くんは了承済み」

というと、オレは日本に買って帰るシャンパーニュを選んでくる、と止める間もなく立ち去ってしまった。

― ちょっと待って!いきなり2人きりにされても…!

人見知りが大爆発しそうになった私に、伊東さんがほほ笑んでくれて、なおさら緊張感が増す。僕も宝ちゃんって呼んでいいですか?と言われ、断る理由もなく、頷いた。




「…なんでシェフになろうと思ったんですか?」

伊東さんに、何が聞きたいですか?と問われてひねり出した私の最初の質問は、あまりにもありきたりな気がして恥ずかしくなったけれど、伊東さんはまじめに答えてくれた。

伊東さんは鹿児島県の生まれで、居酒屋を営んでいたお父さんの影響で料理が好きになり、高校卒業後、東京の料理専門学校へ。優秀な成績で卒業し、憧れていたフレンチレストランに入ったけれど、すぐに周囲とぶつかってしまったという。

「当時のオレは相当調子にのってたと思う。先輩たちより自分の方が才能あると思ってたから。そのやり方、古臭いっすよ、とか平気で言ってたし。皿洗いとか野菜を大量に切るとかばっかりやらされる毎日に、早く料理を作らせてくれ!って、めちゃくちゃ焦ってた」

「まだ20歳くらいですよね?なんでそんなに焦っていたんですか?」

「東京での成功っていうのにものすごく憧れてたんだと思う。上の先輩たちが、入社して3年以上たっても、まだちゃんとした料理を任せてもらえないのとかを見ていて、オレは絶対あんな風にならないぞ、とも思ってた。

あとは、金?当時のオレは、金=成功、って思ってたから。何年たっても給料が上がらない日本の飲食業って、ほんとダメだ、って文句ばっかり言ってたし。今思えばいろんな事情があったのにね」

今の伊東さんの穏やかな印象からは、とてもそんなに尖っていたとは思えない。そう伝えると、その後バッキバキに挫折しまくるからね、と笑った。

「学校の紹介で入ったのは、東京でも老舗の有名フレンチ店。その古臭い体制に嫌気がさして、自分から辞めたのが、働いて1年経った頃。でも次の店でもうまくいかなくて周りともめた。

オレは、まかないを作らせてほしい、とか、とにかく自分の料理を見てもらいたくて必死だったんだけど、同世代の子たちは自分に与えられた仕事しかしない。それが努力してないように見えて、イライラしてさ。

もっとレベルの高い環境で働きたいって文句ばっかり言ってた。オレに今足りないのは、自分を活かしてくれる環境だ、ってね。意見することが正義だと思っていたから、とにかく主張した。

当然、店になじめないし、居づらくなって、また辞める。そんなことを繰り返しているうちに、日本の有名店では噂がまわってね。オレを雇ってくれる店はなくなったんだ。それが、25歳くらいかな」

「それで、どうしたんですか?」

「わかってくれない日本のレストラン文化が悪い!ってなった。それで日本を飛び出して、フランスに行こうと思った。フランスで認められたら、日本の自分をバカにした人達を見返せる、ってね」

伊東さんは、フランスにツテなどなかったが、オーナーはフランス人で日本人がシェフというパリの1つ星レストランに連絡を入れた。すると、とりあえず1年間はワーキング・ホリデービザで雇ってもらえることになったという。

パリに行くまでの半年でバイトを掛け持ちし資金を貯めて、人生を変えるためにフランスへ。しかし言葉の壁もあり、そう簡単に上手くいくはずもなく、最初の頃はストレスで体調を崩すこともあった。そんな伊東さんを、2つのことが救い、奮い立たせる。

「1つは、これまでパリで働いてきた日本人シェフたちの仕事の丁寧さ、真面目さのおかげで、お前も日本人なんだから絶対お前にもできるよ、って、何度失敗しても信じてもらえたこと。オレ、初めて先輩っていう存在に感謝したよ。そしてもう1つは、期限、だね」

「期限、ですか」


「そう、ワーキング・ホリデービザの期限は1年だし、一生に一度しか発行してもらえない。だから1年後に、就労ビザ…つまり、労働許可証を取得させてもらえないと、その後フランスでは働けない、っていう期限があった」

労働許可証を申請するのは、雇用主。つまり伊東さんの場合、レストランだ。しかも申請には金がかかる。レストランのオーナーが伊東さんのことを、その金を支払う価値があるスタッフだと思わなければ、ビザを申請してもらえるわけがない。

「オレのことを、労働許可証を取る価値があるスタッフだと思ってもらうためには、どうするべきなのか。そこでオレは、自分を抑えることを覚えたんだ。日本では全くできなかったのにね。タイムリミットもあったし…日本にも戻れないってわかってたから」

伊東さんは、指示に対して、全く文句を言わなくなった。与えられた仕事を真面目に丁寧にこなしていく。そして寝る間を惜しんでフランス語の勉強もした。そうしているうちに、伊東さんは、なぜ自分があんなに吠え続けてきたのか、それが愚かに思えてきたという。

「日本にいる時より、断然意見を聞いてもらえるようになったんだよ。自分から主張しなくても、トモはどう思う?トモはどっちのソースがいいと思う?とかね。そのうちに料理を任されるようになったし」

そして、ワーキング・ホリデーの期間が終わるタイミングで、レストランのオーナーが、伊東さんのビザ申請をしてくれて、それが受理された。

「本当にありがたくて感謝しかなかったけれど…。そう平穏に事はすすまなかったというか。オレが、運命を変える出会いをしちゃってさ」
「運命、ですか?」

私の問いに、今思い出しても震えが蘇るんだ、と答えた伊東さんの《運命》は…ある料理との出会いだった。




それは、パリの3つ星レストランでの一皿。伊東さんは休みの日に食べたその一皿に衝撃を受けた。それを創ったのは、世界中に名の知れたフランス料理界のスターシェフだった。

「黒トリュフと、パルミジャーノチーズ、そしてジャガイモ、というフレンチではごく普通の食材を使った一皿だったんだけどね。それが本当に、本当に素晴らしくて。食材の味が生きているのに、作り手の個性も強くて、食べたことがない。本当に唯一無二の味がした。

この一皿との出会いが、オレに人生の目標をはっきりさせた、っていうのかな。たった20cmくらいの丸い皿が俺の人生を決めちゃったんだよね」

このレストランで働きたい。このシェフの元で学びたい。でもビザを発給してもらったばかりで、店を移りたいなんてとても言えない。

「ずっと、言い出せずにいたんだけど、ある時、ビザを出してくれた店のオーナーと話しをしていて。最近食べた料理で何が一番おいしかった?という話になったんだよ。その時、その一皿の話をしてしまった。そしたらオーナーに言われたんだ。もしかして、トモは、あのシェフの元で働きたいのか?と」

言葉を失くした伊東さんに、思いもよらぬ提案をしてくれたのだという。

「うちの店でビザと給料を出し続けるから、トモが、あの店で研究生として働けるように、交渉してあげるよ、って。給料はいらないといえば、向こうにもメリットがあるから雇いやすくなるだろ、って。もう、なんというか…オレ、号泣。こんな天使みたいな人達がいるんだ、ってもう、涙止まらなくなってさ」

そしてその言葉通り、オーナーは、その3つ星レストランのシェフに連絡を取り、交渉してくれた。

先方にとっても、自分のレストランでビザを出さずに済むのは、経費の面でメリットがある。こうして、伊東さんは、3つ星レストランには給料をもらわない研修生として入り、ビザと給料は元の店が出してくれる、という環境で働けるようになったのだ。

「なんで、ここまでよくしてくれるんだ、ってオーナーに聞いたら、トモには才能があると思うからだよ、って。才能に出会ったと思ったら、その才能がつぶれないように、適した場所で適した人に伸ばしてもらえるようにするのが、その力がある者たちの務めだ、って。

自分の店だけよければいい、という考え方だと、この業界は衰退してしまうし、優秀な才能がどんどん消えて行ってしまう、って。オレ、また号泣。…え、ちょっと待って、なんで宝ちゃんが泣いてるの!?」

「…なんか…めちゃくちゃいい話だから…」

私は涙もろくはない。だから泣いてしまったことに自分でも驚いている。さっきから飲み続けているシャンパーニュのせいで、少々酔いがまわり、涙腺が弱くなってるのかもしれない。でも。


「…最近、人の善意に守られて、というか…優しさを感じることが多くて。伊東さんのお話もですけど、私自身も…」

「オレ、多分日本にいる時も、誰かの善意に守られてたはずなのに、全くそれに気づけなかったんだろうな、って思う。フランスに来て気づかせてもらったから、今は、そのお返しを始めてるところ」

その後、研修生として、その3つ星レストランで学び始めた伊東さんは、めきめきと実力をつけ、32歳の時に、ビザを出し続けてくれたオーナーの出資で、自身がメインシェフとなるレストランをオープン。

オープン1年で1つ星、さらにその1年後には2つ星を獲得するという驚異の快進撃で、またたく間にスターシェフになった。

「次は、3つ星を獲る、ということが目標ではあるけれど、それは、オレを信じ続けてくれたオーナーへの恩返しの気持ちがある。でもそれだけじゃなく、今度はオレが、若い世代に返していく。沢山の才能に活躍の場を与えたい。

そのためにも、自分の精度を高め続けないといけないし、まだ夢の途中にいるよ」

「夢の途中、ですか?」

「そう。たぶん、オレ、夢見ることを一生やめられないと思う。毎日、料理が上手くいかなかった、とか、今日の味、ちょっと失敗だな、とかあるし。おいしい、を追求していくことに終わりがないから。36歳になったのに、まだまだ夢の途中、って感じで、体力使うんだよ」

そう言って笑った伊東さんは、まるで少年のように無邪気で、とてもまぶしい。

「…なんか授業料払わなきゃいけない気持ちになってきました…」
「じゃあ、今度東京に戻った時に、一杯おごってよ」

連絡先を交換しよう、と伊東さんに言われて、LINEのID交換をしていると、雄大さんが戻ってきた。帰りはどこまで送ります?という伊東さんの問いに、大輝くんから、アパルトマンに戻ってきて、という連絡がきていたことで、アパルトマンまで送ってもらうことになった。

酔いがまわったのか、車内で爆睡してしまったことを謝りながら、私は車を降りた。伊東さんは、今度は東京で、と笑顔で手を振り去っていった。

「ちなみに、伊東くんは独身。今、彼女もいないはず」
「…え?」
「ま、一応、情報としてね」

雄大さんの言葉が真顔で唐突で、反応に困る。これは、恋愛のススメ、なのだろうか。そんなことも言うんだ、と意外過ぎて、私はむくむくと好奇心がわき、アパルトマンのエレベーターの中で聞いてみた。

「ちなみに雄大さんは、彼女は…」
「彼女はいない」
「彼女は、ってどういうことですか?」
「大人なのでね、そりゃいろいろ」

いろいろってなんですか、と私が突っ込もうとしたとき、エレベーターが5階に到着した。部屋のドアが開くと、大輝くんが、お帰り、と出迎えてくれた。

「…愛は?」
「号泣後、沈没です」

リビングに戻ると、ブランケットをかけられた愛さんがソファーですやすやと眠っていた。号泣の言葉通り、目を閉じていてもわかるくらい、その目が腫れている。




「で?話し合いとやらは?」
「愛さん、最初はめちゃくちゃキレてたけど、キョウコさんの状況とか、なんでオレが彼女を好きになったのかとか…全部を正直に話していったら、少しずつわかってくれて。大輝も必死なんだね、どうしようもないんだね、過剰反応しちゃってごめん、って号泣した」

リビングのテーブルに置かれた、少なくはないワインの空ボトル、そしてデリバリーの残骸を見ながら、雄大さんが言った。

「でも、酔っぱらってんだろ、また。覚えてるのかな、明日の朝」

「たぶん、大丈夫。話し合いの時は飲んでなかったんだ。飲み始めたのは、話し終わってから。愛さんが、大輝のこと大好きだから怒るんだよーって何回も言ってさ。愛さんってやっぱかわいい人だよね」

「かわいい、というか…毎度毎度、感情むき出しで迷惑だよ」

その時、愛さんが寝がえりをうち、かけられていたブランケットが床にずり落ちた。雄大さんがそれを拾い、愛さんに掛け直す。その仕草がとてもやさしく見えて、なんだかひどくキュンとしてしまう。

「雄大さんと愛さんってやっぱり…ラブな関係かな?」
「…は?」

しまった。心の声が漏れた。雄大さんの顔が怖い。大輝くんが爆笑して、愛さんが起きないか心配になったけれど、全く起きる気配はない。

「雄大さん、宝ちゃんが質問してるよ?答えてあげなよ」

雄大さんが大きな、大きなため息をつき…私は自分の失態と、この後の展開が怖くてフリーズした。

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