「彼の子どもがほしい」妻の職場に届いた一通の手紙。夫のストーカーかと思い、家で尋ねると…
前回までのあらすじ:脚本家・キョウコに夢中の大輝。人妻であるキョウコがそれに応じたキッカケは、夫の浮気発覚だった。
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≪自分勝手な不倫夫を成敗…!痛快!不倫サスペンスドラマ≫
企画書に書かれていたその文言を見て、脚本家の門倉京子は、思わず笑ってしまった。その小さな笑みを見逃さず、突っ込んだのは、企画書を作ったテレビ局の女性プロデューサーだった。
「あ!京子先生、今、どんなドラマなの?って、バカにしました?笑わないでくださいよ。私たち真剣なんですから!」
彼女に、ごめんなさい、と返しながら、バカにしたわけではないけど、自分の笑いの本当の意味は伝えられないな、と京子は自虐的に思う。
京子の夫、門倉崇(かどくらたかし)は、テレビドラマや映画の演出家。つまり監督と呼ばれる存在で、ドラマを何本も大ヒットさせ、3年前に大手テレビ局から独立。その後映像制作会社を作り、今や世界的な知名度のある監督として、海外にも呼ばれていく。
その中には、京子と組んだ作品も多く、お互いの能力が相乗効果を生む夫婦クリエーターとして評判が高い。夫婦で雑誌の連載も持っていて、“門倉夫婦”は、業界随一のパワーカップルと言われている。
今回の“不倫サスペンスドラマ”の依頼は、夫の古巣である大手テレビ局のドラマ部の女性プロデューサーからだった。
実は、日本のテレビドラマ…特に大手テレビ局、と呼ばれるところで放送されるものは、ドラマのプロデューサーや監督が企画とテーマを考え、その後脚本家に相談する、という流れで作られることが圧倒的に多い。
今回、女性プロデューサーからはまずは電話で、不倫された妻と、不倫をしている女の、それぞれの切なさと強さを描きたい、と伝えられた。
― 切なさとか、強さとか、そんなキレイな言葉でまとめられるものじゃない。
そう思い、一度は断ったが、プロデューサーの熱がすごかった。
「夫に不倫された妻とその夫と不倫した女が、最終的にはタッグを組んで、夫に復讐する。それ以来完全無欠のペアになって、世の不倫夫を成敗していく。そんなサスペンスドラマにしたいんですよ!シリーズ化を狙ってます」
まずは、一度お会いして、話すだけでも…!と、説得されて、旧知の中だったこともあり断りきれず、今日の打ち合わせに至っていた。
「シリーズ化したら、不倫妻を成敗する!ってパターンもやりたくて。ほら、今女性の不倫も多いじゃないですか?」
明るくあっけらかん、とそう言う、女性プロデューサーはもちろん、京子がその成敗される不倫妻の立場にいることを知らない。やっぱりこの仕事は断ったほうがいい。そう思いながらも、一方で。
― 今だったら、他の誰より面白い不倫ドラマが書けるかもしれない。
という欲望が沸き上がるのは、脚本家の性なのだろう。夫の浮気相手と友情を…なんてことはできそうにないけれど…。
― もしも、私が、誰かに成敗されるとしたら、一体誰に、どんな風に裁かれるのだろう。
現在、35歳の京子と42歳の崇は今年結婚して10年目を迎える。
出会いは、崇が勤めていたテレビ局。そのテレビ局主催のシナリオコンテストに、最優秀賞ではなかったけれど、次点で入賞した京子の脚本が、あるプロデューサーの目に留まった。20歳という若い年齢での応募が、ひと際目を引いたのかもしれない。
その後、そのプロデューサーの指導を受け、京子が初めてのテレビドラマ脚本を完成させたのは、22歳の時。それが深夜の1時間枠で放送されることになり、その監督に若手ながら抜擢されたのが崇だった。
若手での抜擢というプレッシャーを共有した2人が、親しくなるまでに時間はかからず、お互いをキョウちゃん、門(カド)くん、と呼ぶようになり、いつも一緒にいるようになった。書くことは得意でも、周囲とのコミュニケーションが苦手な京子を、崇が上手くリードし、周囲への通訳も買って出る。
深夜ドラマがヒットすると、2人セットで発注が来るようになった。書くことへの情熱を誰より理解してくれて、作品へのリスペクトを注ぎ続けてくれる崇の存在は、いつしか京子にとってなくてはならないものになってゆき。
崇からの告白で付き合い始め、とんとん拍子でプロポーズを受けて、京子が26歳、崇が33歳のときに2人は結婚した。
プロポーズの場所は、ドラマの企画を徹夜で練った翌朝、テレビ局のカフェテラスで、コーヒーを飲んでいる時だった。
「オレが稼ぐから、生活の心配をせずに、キョウちゃんは好きな世界に没頭してほしい。オレ、キョウちゃんの書く世界が本当に好きだから、一生そばで支えたい。結婚してください」
脚本家は、一部の売れっ子作家を除いて、安定して儲かる仕事とは言えない。
ドラマや映画は、実現までに時間がかかるし、途中で企画がダメになることも少なくない。定期的に仕事がもらえる人は限られていて、収入を得るための他の仕事に時間をとられ、作品作りに集中できない、という脚本家も少なくない。
そんな中で、才能を守り続けたい、と言ってくれた崇のプロポーズは、書くことに没頭していたい京子にとって夢のように最高の言葉だった。
その後、2人共順調にステップアップし、別々の仕事を受けながらも、組めば必ずヒットを生む、というクリエーターカップルとして、今の地位を築いてきた。
別の仕事をしていても、京子は必ず崇に相談してきたし、崇が独立し自分の会社を作った時、京子はごく自然な形でその社員となり、崇は京子にあった仕事を選び、京子が快適に作品を作れる環境、人材の配置に目を配ってくれている。
公私共に最高のパートナーがそばにいてくれる。そんな日々がずっと続いていくであろうと京子は信じていた。あの日、あの手紙が届くまでは。
≪崇さんと離婚して頂きたいのです。私と彼は、愛し合っています。私は、崇さんの子どもを産みたいのです。お会いしてお話をさせてください。ご連絡をお待ちしております≫
拝啓、突然のお手紙失礼いたします…とはじまった、その奇妙な手紙が、崇と京子の会社に届いたのは去年の春だった。
封筒の宛名は高倉キョウコ様。“キョウコ”は脚本を書くときの名前表記なので、時々事務所へ届くファンレターだと思い、京子のマネージャーが何気なく開封し、大慌てで届けに来た。
「悪趣味ないたずらとは思ったんですよ!でも…一応、京子さんにはお知らせした方がいいかと思いまして…」
社長が浮気とかありえないですし、一応、一応、ですよ!と人が良いマネージャーが焦る様子になんだか申し訳なくなる。
事務所のメールアドレスもHPには載っているし、そこには京子に仕事を依頼する場合の、京子専用のメールアドレスだって明記されている。そして事務所に言われて作ったSNSのアカウントもありDMも開放している。
ただのいたずらや嫌がらせなら、ネットのツールを使った方が早いし、実際、以前京子が書いた脚本で、人気アイドルが事故死してドラマ半ばで退場、となった時には、熱烈なファンたちからの大量のクレームが、そのメールアドレスとDMに来たことがある。
そんな中で、わざわざ手紙。拝啓から始まる縦書きの文章は、きちんとした手紙のマナーにのっとって書かれている。便箋も封筒も、決して安物ではない。さらに。
「…キレイな文字ね」
おそらく万年質で書かれたであろうその文字は、瑞々しい美しさで、文字が人を表すのなら、きっと若い女性だろう、と京子は想像した。
― でもこれが、ドラマのセリフなら、書き直しだな。
告白としてのパワーはあるけれど、浮気相手が本妻に別れを望む文章としては、古臭いし単純。そんなことを思う余裕があるのは、崇に浮気相手がいるなんて、リアリティがなさすぎるからだ。
いまや、有名クリエーターである崇がモテるであろうことは、京子にも想像できる。ルックスは、特別な男前、というわけではないけれど、雰囲気があるし、その明るさと分け隔ての無い性格で、男女問わず、崇を嫌う人の話を聞いたことがない。でも。
崇は京子が恥ずかしくなるほど、折に触れ『オレが一番大切なのは京子』だと、京子にも周囲にも言っている。そして、間違えればすぐに謝り、ウソのつけない崇の言葉を、京子が疑ったことは一度もなかった。
― でも…。
崇を信じているからこそ、この凝った手紙の意図が気になった。
― 崇のストーカーとかだったら、どうしよう…。
そんな心配を浮かべながら手紙に視線を戻す。
ご連絡をお待ちしています、の後に書かれていたのは、携帯の番号。その後に、長坂美里より、と記されていた。
京子の元に手紙が届けられたその日、撮影が予定より早く終わったから、今日は外食しない?と連絡をしてきた崇に、京子は話したいことがあるから早く帰ってきてほしい、と告げた。
崇は急いで帰ってきた。コートを脱ぎ、それをキッチンカウンターのハイチェアにかけながら、なんかあったの?と心配そうに尋ねる崇に封筒を渡す。
「これ、事務所に届いたらしいの」
キョウちゃん宛てじゃん。見て良いの?と言いながら封筒の中から便箋を取り出し広げると、その表情が険しくなった。黙ったまま手紙を見つめている。
― もしかして、やっぱりストーカーとか?
「崇、大丈夫?…もしかして、なんか困ってた?」
ずっと悩んでいたのかと思い、京子が崇の肩に手をかけようとしたとき、ごめんっ!と崇が頭を下げた。
「…え…?どうしたの?」
「ごめん、オレ…ごめん」
京子が想像していたどの反応とも違う。ごめん、ってどういうこと?と聞きながら、京子はまさかの問いを続けた。
「…まさか…そこに書いてあること、本当のことなの…?」
「全部が…本当ではない」
「じゃあ、どういうこと?」
「…関係は持った。でもオレは、美里ちゃんとの子どもを欲しいと言ったことは一度もない」
「…関係は持った……?」
「でもオレは、キョウちゃんが好きだよ。世界中の誰より大事だし、一番守りたい人」
この人は何を言っているのか。激しい熱がぐるぐると体をめぐり、自分の鼓動が大きく耳の奥から響いてくる。ふらつきそうになったけれど、何とか耐えて、冷たくなる指先を握りしめてから言った。
「…ちょっと待って。ちょっと…整理させて。カドくんは、美里ちゃん、っていう女の子と……肉体関係を持った?」
崇がうなだれるようにうなずいた。
「…いつから?」
「…一年前くらい…から」
京子は立っていられなくなり、カウンターキッチンにもたれかかり脱力した。
「つまり、浮気…不倫、よね?から、ってことは…今も続いてるの?」
崇は答えなかった。そして長い沈黙の後、言った。
「…オレの1番がキョウちゃんっていうのは、ずっと変わらない。それは絶対に」
「美里ちゃんともセックスがしたい、でも1番は私、そういうことなの?」
目を逸らしたら、2度と崇を見れなくなりそうで…京子はその場から逃げたくなる気持ちを抑えて、必死で崇をにらんだ。
また、長い沈黙があった。その沈黙を破ったのは、崇だった。
「何と言われても、キョウちゃんが1番だよ。オレにはキョウちゃんが1番大事」
呆然と言葉を失くした京子を悲しそうに見つめた後、今日はホテルに泊まるね、と崇は部屋を出て行った。玄関のドアが閉まる音が、やけに大きく、京子の耳に響いた。
次の日も、その次の日も、崇は帰ってこなかった。さりげなくマネージャーに探りを入れると、どうやら仕事はこなしているらしい。
その間、体調が悪いといくつかの打ち合わせをキャンセルした京子だが、崇の告白の2日後にはどうしても逃げられないスケジュールがあり、出かけるはめになった。
向かったのは京子が卒業した、出身校である大学。京子はこの大学の文学部で、2年前から特別講義を受け持っていた。話すことも得意ではないし、講義なんて無理だと1度は断ったのだが、恩師から何度も頼みこまれて、少人数なら、と渋々OKした。
京子の授業はあくまでも特別講義で、単位としてはカウントされない。恩師の意向もあり、脚本や小説を書きたい人への実践的な授業となり、2ヶ月に1度は作品提出が必須という負荷もかかるため、希望者は毎年10名程、とそう多くはなかった。
それでも、月に2度の講義は、学生からの評判がよく、京子にとっても楽しいものになりつつあったのだが。
「門倉先生!」
「…おはようございます。友坂くん」
「大輝って呼んで欲しいなぁ」
京子に並んで廊下を歩きだしたのは、友坂大輝。2年前から京子の講義を受け続けている生徒で、今月…この4月から、3年目の受講となる。
定期的に京子に自分の作品を添削してもらえるとあって、3年連続の受講生は彼だけではないのだが…大輝は、すでに昨年大学を卒業したにもかかわらず、京子の恩師である教授に頼み、恩師の雑用係もするという条件で、特別にこの講義を受けに来ているのだ。
そして…京子は、彼が自分にわかりやすく好意を向けてくることに困惑していた。
誰もが振り返る美男子で、いつも華やかな女子学生に囲まれている彼が、一体なぜ、京子を見つけると駆け寄ってくるのか、断っても断っても、ランチに誘い続けてくるのか、さっぱり理解できずにいた。
とはいえ、授業となれば真面目に誰よりも真面目に学ぶので邪険にもしきれない。大輝の夢は脚本家らしく、添削してほしい、と言われて読んだショートムービーの脚本は、高校生の純愛もので、なかなかに面白いものだった。
「先生、今日の昼、一緒に学食にいきませんか?」
「いきません。私はここに生徒と遊びに来ているわけではないので」
「…じゃあ、放課後に特別講義を…」
大輝を無視して教室に入り、すぐに生徒の出欠をとった。大輝もそれ以上しつこくからむことなく、自分の席に座った。
ところが。
この日の夜。京子が想像もしていなかった形で…大輝との関係が始まることになる。
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