「スマホ依存」の弊害と、そこから脱却するための思考法について解説します(studio-sonic/PIXTA)

集中力や記憶力、創造性を減衰させる危険があることも証明されているスマホだが、完全に手放すのはなかなか難しい。そんな中、自身も陥っていたという「スマホ依存」から抜け出すために「スマホ断ち」プログラムを開発したキャサリン・プライス氏が、「スマホ依存」から脱するための思考法について紹介します。

※本稿はキャサリン・プライス著『スマホ断ち 30日でスマホ依存から抜け出す方法』から一部抜粋・再構成したものです。

スマホにかまけていると「フロー」には入れない

”フロー”というのは心理学者のミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、ひとつの活動に完全に没頭している状態を指す。歌唱やスポーツ、また仕事で体感することもできるものだ。

フローに入ると、目の前のことに集中するあまり時間感覚がなくなる。その行為と自分とのあいだの境界がなくなり、いわゆる忘我の境地になる。対象にすっかりのめりこんだ、ゾーンに入った状態だ。

フローによって、人生を豊かにする体験や永続的な満足感がもたらされるという。

けれど、気もそぞろな状態ではひとつの行為に浸りきるのは無理だ──当然ながら、フローにも入れない。スマホが注意を奪うツールである以上、使う頻度が高くなればフローには入りづらくなる。

創造性──新たな着想を得るこのプロセスにも精神の解放と脳のゆとりが必要だが、どちらもスマホにかまけていると得られにくいものだ。創造性を発揮するには、じゅうぶんな休息がいる。

ワシントン国立小児病院の睡眠医療科長であるジュディス・オーウェンズいわく、「睡眠不足は記憶、創造性、言語の創造性だけでなく、判断力ややる気にも悪影響を及ぼす」。

創造性は退屈さのなかで開花することも多いが、それもまたスマホによって私たちが大いに回避しやすくなった精神状態だ。

私が思うに、創造性にとって退屈がいかに重要かは、リン゠マニュエル・ミランダの言葉に集約されている。

数々の賞に輝いたミュージカル『ハミルトン』の生みの親であり、破格の天才はGQ誌のインタビューに次のように答えた。

「子供のころのことでよく覚えているのが、車で三時間の道のりを親友のダニーと過ごしたときのことだ。ダニーは車に乗るまえに庭先で小枝を拾って、車に乗ってるあいだじゅうずっとそれで遊びをつくってた……小枝でだよ。

棒は人間になったり、もっと大きな何かの一部になったりして、しゃべりだしたかと思ったら、今度は電話になった。ダニーの隣でぼくはドンキーコングを抱いてすわっていたんだけど、こう思ったよ。

すごいや、こんな枝切れで三時間も楽しめるなんてって。それで、よし、ぼくも自分の想像力を鍛えるぞって思ったんだ」

これを読んだとき、私は心のどこかで、小枝で遊ぶ時間をもっと増やさなきゃと思った。と同時に、それとは別のひねくれ者の自分が、「だれかがそういうアプリをつくりそう」と考えていた。

自分の人生を取りもどすのに必要な「スマホ断ち」

不安や緊張、そして[欲求が起こす]むず痒さとともに過ごすことを、私たちは学びます。そこを搔きむしりたい思いを抱えたまま、じっとすわりつづける練習をします。そのようにして、人生を支配しかねない依存的な行動パターンの、反応の連鎖をくい止める方法を身につけるのです。──ペマ・チュードゥン (チベット仏教の尼僧)

いい知らせがある。スマホによる悪影響の多くは取り消せる。集中の持続時間はまた延ばせるし、集中力も取りもどせる。ストレスを減らし、記憶力を改善し、夜にはふたたび熟睡できるようになる。

スマホとの付きあい方を変えることができれば、このデバイスから自分の人生を取りもどせるのだ。

その道案内をするのが”スマホ断ち”だ。ここではスマホ断ちの背景となる手法と考え方について少し説明しておこう。

マインドフルネスは定義のむずかしい言葉だ。けれど、スマホ断ちという目的を考えると、マサチューセッツ大学医学大学院マインドフルネスセンター研究責任者、ジャドソン・ブルワーの定義がいちばんしっくりくるだろう。

「マインドフルネスとは、世界をより正確に観察することである」──そこには、自分自身も含まれる。

このシンプルな概念はじつはとてつもなく強力だ──依存習慣を断つことにかけては、特にそうだ。どれほど強力なのか。

まずはマインドフルネスで「衝動」と向き合うこと

2011年、ブルワーおよび共同研究者たちは、無作為に抽出した被験者を対象に、マインドフルネスの実践が禁煙に効果があるかを検証する比較実験の結果を発表した。

より具体的に言うと、禁煙プログラムとして広く受け入れられている、アメリカ肺協会の”定番”プログラムと、マインドフルネスを比較するのが目的だった。

2年間の実験で100人近くの喫煙者がランダムに選ばれ、ふたつのグループに分けられた。一方は定番プログラムに参加し、もう一方はマインドフルネスを実践した。

”マインドフル”な喫煙者は、最初にブルワーから習慣のループについての説明を受けた。依存衝動を引き起こすきっかけの見つけ方を学び、自分の衝動(と、反応)をどうにかしようとするのではなく、そこに注意を向ける練習を重ねた。

この段階だけでも劇的な効果があった。たとえば、長年喫煙をつづけたある女性は、煙草の味に意識を向けたことで、ついに禁煙の決意を固めた。

ブルワーによれば「彼女のなかで知識が実感に変わった。喫煙はよくないと頭で理解していたことを、身を以て体感したのだ」。

次にブルワーは被験者に欲求から逃げずに向きあうよう指導した。自分の衝動を認識し、それをゆったりと受け止めるようにするのだ──つまり、衝動を止めようとするのではなく、湧きあがってくることを許容するようにした。

同時に、衝動が心と身体でどのように感じられるかに注意を向け、それを欲求を感じたときの”やり過ごす”方法とした。正式な瞑想エクササイズのやり方も伝え、日課としてプログラムに組みこんだ。

結果を分析したところ、マインドフルネス式の参加者の禁煙率は、定番プログラムの2倍にのぼることが判明した。

さらに、喫煙習慣に逆もどりした人の数もマインドフルネスのグループのほうがはるかに少なかった。

マインドフルネスのスマホ断ちに対する効果は、喫煙プログラムのとき以上とまでは言わないが、同じように高い。期待できるのはそれだけではない。

一瞬ごとの体験に意識を集中することは、スマホと無関係な記憶の礎を増やすことにもなる。それが不安と向きあうなかでの助けになり、人生に豊かさをもたらしてくれるだろう。

そういうわけで、まずはマインドフルネスのやり方をお伝えしていこう。

脳が発信する「絶え間ない誘惑」への気づき

最初に取り組むのは、自分の感情や考え、反応をじっくりと観察することだ。批判を加えたり、何かを変えようとする必要はない。心が発信する誘惑に気づくことが第一歩だ。

次に、その誘惑に対して自分がどう(あるいは、そもそも)対応したいかを判断する練習をしていく。

少し補足しておくと、私たちの脳は意気ごみすぎの(かつ、空まわり気味の)イベントプランナーのように、つねに招待状を送りつけてくる。何かを実行しようとか、特定の反応を返すように誘う内容だ。

渋滞に巻きこまれたら、他のドライバーに中指を突き立てろと呼びかける。金曜の夜にひとりぼっちだと気づくと、自分は友達のいないつまらない人間だと思え、とそそのかす。

平たく言うと、抗いようのない衝動だと私たちが思いこんでいるものは、じつは脳が発信する誘惑である。これは重要な視点だ。

というのもこのことを知っていれば、誘惑しつづける脳に対して、なぜそんなつまらない茶番に誘いこもうとするのか、と問いなおすことができるからだ。

渋滞は即席のカラオケ練習会への誘いであってもいいはずだ。金曜の夜にひとりなら、誰も見たがらない映画をひとりで楽しむチャンスだと捉えることもできる。

マインドフルネスはそうした誘惑に気づき、うまく乗り切るための機会をくれる。と同時に、私たちを依存へと駆り立てる心の奥底の感情や恐れ、欲求にも気づかせてくれる──それこそが、依存を断つために不可欠なステップだ。

自分はスマホに何を求めているのかを知ること

ブルワーは著書『あなたの脳は変えられる 「やめられない!」の神経ループから抜け出す方法』〔久賀谷亮監訳・解説、岩坂彰訳、ダイヤモンド社、2018年〕で、依存症の主たる原因を、よい気分を味わいたい欲求と(あるいは)嫌な気分から逃れたい欲求だと説明している。


スマホの使用時間を減らすうえでも、自分がスマホで何を得たいと思い、何を避けたいと考えているのかを理解しておかなければ、最後には行き詰まるはめになる。

元にもどるか、あるいは同じような効果が得られる、より悲惨な結果を招きかねない別の習慣に手を出すかのどちらかだ。

マインドフルネスを実践すると、脳には別の人格があるように感じられるだろう(私は自分の脳を頭のネジの飛んだ親友だと考えている)。

脳の誘惑のすべてに、イエスと答えなくていいと理解したとき、あなたは自分の人生の手綱を取りもどすことになるのだ──スマホ上でも、スマホ以外でも。

(キャサリン・プライス : 科学ジャーナリスト)