人生を味わい尽くすにはどうすればいいか。プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんは「ぼくが目指していたのは、自分の専門であるスキー、登山、冒険という分野において、世界でまだ誰もやらなかったこと、できなかったことを、一生をかけてやってみたいということだ。そうした夢を抱き続けていると、必ず後押ししてくれる人が現れ、それを達成できたら、満足感を分かち合えるというのは、人生の醍醐味である」という――。(第1回/全5回)

※本稿は、三浦雄一郎『90歳、それでもぼくは挑戦する。』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/bodrumsurf
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bodrumsurf

■世界でまだ誰もやらなかったことをやる

夢。

これはもう若いころからたくさん抱き続けてきたものです。それぞれの年代、それぞれの時代ごとに、「これができたら最高だ」と思えることを頭に描いて、準備して、それに向かって夢中になって取り組む。それがぼくの生き方でした。

ぼくが目指していたのは、自分の専門であるスキー、登山、冒険という分野において、世界でまだ誰もやらなかったこと、できなかったことを、一生をかけてやってみたいということです。その夢を抱いて以来、それを一度も失ったことがありません。夢を失ったら、ぼくはなんのために生きてきたのか、わからなくなってしまうからです。

1970年5月、スキーとパラシュートをつけて、エベレストの8000m地点から飛び出して滑降する、という、当時、世界でもっとも標高が高い地点からの本格的なスキーによる滑降をして以来、どこへ行っても、誰と会っても、「次は何をやるのですか?」と必ず聞かれ、そのたびに「次は南極を滑ります」と口にしました。

地球上で一番高い山から滑り降りたら、次は地球上で一番巨大な氷の世界に行き、スキーをしてみたい――。雪と氷に覆われた大陸だから、高い山があればスキーはできるはずだ。そう思ったのです。

■はじめて南極に立ってみた瞬間の思い

実際、調べてみると、4000m級の山もある。「よし、ここだ!」と狙いを定めました。

はじめての南極に立ってみると、こんなすごい世界があったんだ、と驚愕(きょうがく)しました。1977年、ぼくが45歳のときです。「感動」という言葉さえ陳腐になってしまうくらいの光景が目の前に広がっているのです。

写真=iStock.com/VichoT
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/VichoT

そのときは南極半島の突端の3000m級の山に登って、そこからスキーで滑ったのですが、途中で雪崩(なだれ)に遭って「もうダメか」と覚悟しました。でも運よく助かって、おかげでいまでもぼくはここにいます。

その5年後の1983年には、南極で一番高いビンソン・マシフという4892mの山に登って、頂上からスキーで滑り降りました。

当時、南極でスキーを滑るなんて、どこの誰も考えていなかったはずです。

そもそも、いまと違って、観測隊員でもない人間が南極大陸に渡る手段がない。ところが、そこで人のつながりに助けられた。ぼくの北海道大学時代の後輩に、西村豪(たけし)君という山岳部の友人がいて、彼がチリ大学で地質学の教授をやっていたのです。その彼がアレンジしてくれたおかげで、チリの南極観測船に乗せてもらえることになりました。

■「夢」はどうやって生まれてくるのか

また、ぼくの友人にディック・バスというテキサスの大金持ちがいました。彼はユタ州の山の中にスノーバードというスキーリゾートをつくってしまったほど、山とスキーが大好きな人間です。

彼とはスノーバードでスキーをしているときに出会って仲良くなり、ぼくがエベレストをスキーで滑ったという話を聞いて、彼もエベレストに登ってみたいというのです。結局、彼はその後、七大陸最高峰の登頂に成功した世界で最初の人間になります。

ぼくが南極大陸最高峰を滑りたいと思ったときは、ちょうど彼らも南極を目指しており、一緒に組んで行くことになりました。

考えてみれば、「夢」は、自分の中からだけで生まれてくるのではありません。やはり、同じような夢を持っている人たちと出会い、会話を交わし、刺激したり、されたりすることが動機になって、そこから生まれ、そして持ち続けられるものなのです。ぼくの場合、そういう友人に恵まれたことは、とてもありがたいこと、幸運なことだと思っています。

■夢を描き、具体的な目標へと進化させていく

夢を描くことがまず大事、そしてそれを諦めないでいれば、必ず後押ししてくれる人が現れます。すると夢が具体的な目標へと進化していき、一つひとつに夢中になって取り組むことができます。

三浦雄一郎『90歳、それでもぼくは挑戦する。』(三笠書房)

そして達成できたら、「ついにできたんだ!」という満足感を分かち合うことができます。そういう交友関係があるのが人生の醍醐味(だいごみ)であり、そういう人脈があってこそ、夢に近づくことができるのだと思います。

ぼくの場合、若いころから「雪山の頂上に立ち、そこからスキーで滑り降りる」のが夢であり目標でした。

それこそ、北海道の山からはじまり、本州では日本アルプスの立山(たてやま)、剱岳(つるぎだけ)あたりの、まだ誰も滑っていない斜面を滑りまくった。

それを続けているうちに、パラシュートをつけて富士山を直滑降し、日本一の次は世界一だ、とばかりにエベレストだ、南極だと“エスカレート”し、ついには世界七大陸の最高峰からスキーで滑ることになるわけです。

夢や目標を達成すると、次にもっとすごそうなこと、もっとおもしろそうなことが、次から次へと出てくる。だからいつまでも持ち続けていられる。そして、それが人生をおもしろく、チャレンジングなものにしてくれます。

このことに、年齢は関係ありません。

ぼくの経験が、それを証明しています。

----------
三浦 雄一郎(みうら・ゆういちろう)
プロスキーヤー、冒険家、教育者
1932年、青森県生まれ。北海道大学獣医学部卒業。1964年、イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172・084kmの当時の世界新記録樹立。1966年、富士山直滑降、1970年、エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げる。1985年、世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年、エベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立。2008年、75歳で二度目、2013年、80歳で三度目のエベレスト登頂、世界最高年齢登頂記録更新を果たす。プロスキーヤー・冒険家として、また教育者としてクラーク記念国際高等学校名誉校長を務めるなど、国際的に活躍。主な著書に『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』(主婦と生活社)、『歩き続ける力』(双葉社)、『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』(小学館)など多数。
----------

(プロスキーヤー、冒険家、教育者 三浦 雄一郎)