うちの子は勉強ができないと嘆く前に気づいてほしいことがあります(写真:タカス/PIXTA)

親が頑張りすぎないほうが、子どもは伸びる! 

中学受験のプロとして活躍し、教科指導スキルにコーチング技術や心理療法的なアプローチをとりいれた指導方法で灘や東大寺、開成、筑駒、麻布など最難関中学に教え子を多数合格させてきた著者が語る、「本当に頭がいい子の育て方」。

教育家の小川大介氏は、自身が代表をつとめる個別指導塾で、5000組を超える家庭と面談をしてきました。そんな小川氏の実体験とコーチング・心理学の知見を踏まえ、「のびのびと育てられているのに、頭のいい子」が育つ子育て法を『頭のいい子の親がやっている「見守る」子育て』より一部抜粋・再編してお届けします。

公立か私立か、学校選びの基準

日本の教育レベルは決して低くありません。むしろ世界トップクラスと言っていいでしょう。

ですから日本の教育に対してむやみに不安を持つ必要はまったくないのですが、ここで親たちをあせらせるもうひとつの問題が、中学受験をするか、しないかです。

首都圏や関西などの大都市圏では、小学3年生くらいになると「中学受験をするべきか」「どこの塾に行かせるべきか」、多くの親が悩み始めます。

大切なわが子にふさわしいのは、地元の公立中学か、私立中学か。それとも、公立の中高一貫校なのか。

ここではその「学校選びの基準」についてお話ししたいと思いますが、その前に、受験とはどのようなものであるのか、一度整理して考えてみましょう。

大学受験からさかのぼって考えてみます。高校生になれば、自分の意思で進路を決めることができるようになっています。親は「本人が決めたことをサポートする」というスタンスでいればいいでしょう。

その前段階である「高校生活をどのような場所で過ごすか」を決めるのが、高校受験や中学受験です。

「高校生活をどこで過ごすか」をいつ決めるか

「高校生活をどのような場所で過ごすか」を中学生になってから決めるのが「高校受験をする」という選択で、小学生の段階で決めてしまうのが「中学受験をする(中高一貫校を受験する)」という選択です。

高校受験と中学受験、両者の間には、親子の関わり方に大きな差が生まれます。

高校受験を選ぶ場合、中学校の3年間をかけて、親子で相談しながらじっくり考えていくことができます。

中学生になると、子どもにもある程度の判断力が備わります。ただ一方で、情報を集める力は大人のほうが長けています。そこで、親が「この学校では、こんなことが勉強できるようだ」と情報提供しつつ、親子で話し合って「最後はあなたが決めること」と子どもに任せることができます。

中学受験となると、そうはいきません。志望校うんぬん以前に、小学4年生になるころには塾に行かせて受験のレールに乗せないと、やはり不利になります。すると必然的に、子どもに十分な判断力が備わらないうちに、親が受験への「方向づけ」をしなければならないことになります。

中学受験なのか高校受験なのかをどのタイミングで決めるか。その判断基準は、子どもが受験学習を継続できるほどに成長しているかどうかです。精神的に幼い子や、メンタル面の理由で安定した力が出せない子には、中学受験は早い場合もあります。

そのような子の親御さんからよく聞かれる言葉は、「この子は勉強に向いていない」というものです。でも、決してそうではありません。プロの目線で言わせていただくと、「まだその時期ではない」ということ。つまり、タイミングの問題なのです。勉強に向いていない子なんていませんから、そこは間違えないようにしてください。

では結局、公立中学と私立中学、どちらがいいのか。日本の義務教育のカリキュラムは優秀ですから、公立の学校でも十分な教育は受けられます。

とはいえ、まだ足りないなと感じる面もあるのは事実です。
 
私が公立の学校について特に問題だと感じるのは、先生が数年ごとにほかの学校へ移っていくことです。

「公立」と「私立」、結局どちらがいい?

学校は「人」によって作られる場所です。どのような人がいるかで、雰囲気がまったく変わります。それなのに公立の学校では、その「人(=先生)」がどんどん入れ替わっていきます。事前にどんな学校かを調べても、先生が変わることで教育方針が簡単に変わってしまいます。そのため、個々の子どもや家庭にじっくり向き合う体勢が整っていないのが公立の学校の実情です。

さらに、先生を管理する目的での報告書類が多すぎて、一番肝心な、先生たちの「人」の力を削いでしまっている点も問題です。この点は、自治体の長や教育委員会、校長の意識や力量によって大きく差がつくところです。行政の広報紙や学校の行事などで校長先生の人柄をチェックしておきたいですね。

一方、私立の学校には確固たる校是があり、「このような学校であり続けます」と対外的に宣言しています。そのため、校風も簡単には変わりません。長く在籍する先生も多く、親子で同じ先生に教わる例も少なくありません。環境の安定感・安心感は間違いなく私立のほうが優れていると言えます。

ならば何が何でも私立を受験したほうがいいのかというと、それはまた別問題です。

本人の「自分軸」がある程度育っていて、自立心が養われていたり、自分の世界を持っていたりするならば、私立のような「約束された環境」がなくてもよいわけです。むしろ、校風の合わない私立の学校に通うくらいなら、公立のほうが思いっきり楽しめることでしょう。

注意したいのは「公立のほうがいろんな人に出会えるから、揉まれていい」という考え方です。地方出身で地元の公立中学・公立高校から大学受験に成功したお父さんが言いがちなフレーズなのですが、これが当てはまるかどうかは、お子さんのタイプをよく見極めないといけません。

雑多な環境を楽しめるのは、リーダーシップがあったり、何らかの目立つところを持っていたりする子どもたちです。お子さんが、主張することをあまり好まないおとなしいタイプで、なおかつ目立った特技が見当たらない場合、今の公立では、単なる「目立たない子」で終わる懸念があります。

一方、私立の学校は、校風や学校の指導方針がわが子に合うかを各家庭が考えて入学してきます。結果、ほどほどに似たような子が集まるので、主張しないタイプの子にも居場所ができやすいのです(逆に、主張するタイプの子ばかり集めている学校もありますが)。

つまり、どの学校がいいかというのは、公立か私立かはもちろん、偏差値やブランドによって決まるものでもありません。結局は本人次第なのです。本人が居場所を持ち、活躍できるところが、その子にとっての「いい学校」です。

学校なんていくらでも替われる

極端なことを言えば、私は「学校なんて、合わなかったらいくらでも替わればいい」と考えています。私立はやめられますし、公立でも、引っ越せば転校できます。一度入った学校をやめてはいけないという決まりはありません。

今ならMOOC(Massive Open Online Courses:大規模公開オンライン講座)のようなインターネット講座を使って、世界中の大学の講義を受講することができます。学習面だけに絞って言えば、英語とインターネットアクセスのスキルさえ身につけておけば、学校に行かなくてもまったく差し支えないのです。

「学校は替わってもいい」と割り切れば、先々への不安から「とりあえず」塾に通わせる、「とりあえず」私立を受験させるという選択をしなくて済むようになります。

東京大学・京都大学など日本を代表するトップレベルの大学は、「特別な人が特別な勉強をすることによって入学がかなう、自分たちとは無関係の世界」と見られやすい傾向にあります。

東大・京大に行けるのはひと握りの限られた人?

しかし現実には、そんなことはありません。必要な努力を、必要な時間だけかけて取り組みさえすれば、誰にでも手の届く世界です。

確かに、昭和の時代にはこれらの大学に特化した問題集や参考書も十分にはなく、情報も乏しかったため、「合格ノウハウ」を持っている特定の先生に出会わないと手が届かない世界でした。


ところが、時代は大きく変わりました。入試問題はいつでも見ることができますし、合格するために必要な勉強のツールもたくさん手に入ります。こと情報の得やすさで言えば都市部と地方との格差もなくなり、どこに住んでいようと、ほぼ同じ条件で勉強することが可能になったのです。

つまり、子ども本人に「行きたい」という気持ちさえあれば、いくらでも行ける可能性があるということ。だからこそ親は「そんなのムリ」と決めつけず、子どもに「自分にもできそうだ」という気づきや自信を持たせてあげたいものです。

蛇足ですが、「東大や京大に行きましょう!」と言っているのではありませんよ。思い込みで、頭からあきらめさせるのはやめてあげてくださいね、というお話です。

(小川 大介 : 中学受験情報局「かしこい塾の使い方」主任相談員)