◆これまでのあらすじ
38歳の真弓は、40歳の雄介との結婚を機に、自宅マンションの売却を考え始める。不動産業者5社から査定を取り、「ここなら信頼できる」と確信した会社に売却活動を依頼することにしたが…。

▶前回:「ウソ!?」港区マンションの売却査定。7,000万で買った家についた信じられない価格




Vol.6 オンラインマーケティング


友人・ミズホに紹介してもらった不動産業者の新堂さんは、納得のいく提案をくれた。 そこで私は、彼に売却活動をお願いすることにした。

専属専任媒介契約という形式なので、自宅の売却のための紹介は新堂さんに一任することになる。“媒介契約書”に記入し、本格的に自宅の売却活動が始まった。

それから1ヶ月。

私は、近況報告を兼ねてミズホと飲みに出かけている。

「実は、新堂さんなんだけどさ…」

私が小声で切り出すと、ミズホは首をかしげる。

「すごく信頼できる人だとは思うのよ。契約時の説明も丁寧だったし」

売却時の仲介手数料の考え方は、仲介業者各社によってさまざまだ。

法律の上限から割引して契約させてくれるところもあれば、「必ず3%でお願いします」と言う業者もある。

そういう業者は手数料が高い代わりに、オプションで色々とサービスしてくれる。「手数料は安ければよい」というわけでもないのがポイントだ。

新堂さんへの手数料は、「法律の上限である“売却価格の3%+6万円”から割引して、1.5%」という取り決めになった。

「媒介契約は3ヶ月ごとに自動更新されますが、途中解約も可能ですので…」

わかりやすく教えてくれる表情には、誠実さがこもっていたと思う。

しかし…。

「なんだか腑に落ちない提案をされているの。今から話すから、ミズホはどう思うか教えて」



1ヶ月ほど前。契約書を締結したときのこと。新堂さんはまず、WEBへの物件情報掲載を進めてくれた。

「主要なポータルサイトには、弊社の方で登録します。2、3日待っていただければ、物件紹介ページが公開されます」

新堂さんは、いくつかのWebサイト名を挙げる。私でも知っている、賃貸仲介で有名なポータルサイトだ。

「そのほか、弊社が独自で運営している物件情報サイトにも掲載します」




iPadで見せてもらった新堂さんの会社のWebサイトは、とても“今風”な感じだった。リノベに強い業者なだけあり、オシャレな写真が並んでいる。

「一般のポータルサイトには物件の写真くらいしか載せられませんが、弊社のサイトなら、ある程度自由にレイアウト可能です。たとえば、この物件は…」

見せてもらった物件のページは、たしかにユニーク。

室内のアピールポイントがストーリー形式で紹介されていたり、VR家具シミュレーションシステムといって、ソファやベッドなどの大型家具の配置をオンラインで試せる機能があったり。

「これらは基本的には有料のサービスですが、今回、1つでしたら無料サービスでおつけできます」

「本当ですか!どれがいいのかな…」

「今はご自宅が『居住中』の状態ですので、室内写真の撮影は極力しないようにして、VR家具シミュレーションシステムを利用するのはどうでしょう」

新堂さんいわく、売主が既に引っ越し済みで室内が空室である場合や、築浅物件でキレイな状態になっているのであれば、室内写真を撮影しても魅力的に映る。

しかし、私の家のように、売主がまだ居住中で、築古の物件の場合は、あえて撮影しない方が顧客の関心を集められるというのだ。

「室内の細かいところまですべて見せてしまうと、Webサイトを閲覧している人は『なんだ、こんな感じか』と分かった気になってしまいます。経年感も伝わってしまい、マイナスな印象を抱かせるリスクもあります」

あえて室内の写真数を減らすことで、「部屋の中はどうなっているんだろう?」と興味を持たせ、内覧に結び付けるのだという。




― 室内の写真がいらないって本当?うちは一応、数年前にリノベしているけど…。

新堂さんの説明には一理あると思いつつも、完全には腑に落ちなかった。

「『内覧したい』と思うモチベーションは、やっぱり写真がないと湧かないような気がするんですが…」

私もマンションを買った身なので、「買いたい」と思う人の気持ちは想像できる。

内装の写真があってこそ、「見てみたい」という気持ちが起きるんじゃないか、と思うのだけど…。

ここで夫の雄介が、意見を出してくる。

「真弓の言うこともわかるけど、この部屋はインテリアも凝ってるし、あえて見せないほうが先入観を与えなくていいんじゃないかな」

― たしかに、この部屋は私の好みのアンティーク家具やディスプレイ、観葉植物でぎっしりではある…。

改めてリビングをぐるりと見渡す。

大奮発して買ったLigne Rosetのモスグリーンのソファに、イギリスの年代物のサイドボード。ベランダ近くの窓にはサンスベリア、オーガスタ、ストレリチアなどの大型観葉植物が並ぶ。

壁には、趣味の美術館巡りで集めてきたポスターや、推しの画家の絵…。

「そうね…この部屋は、私の趣味があまりにも全開だわ」

「オシャレで素敵な部屋なのですが、サイトを閲覧している人に自分たちの将来の暮らしを『想像させる』方が良いですからね」

2対1で、多数決的にも論理性的にも、私の完敗だ。

結局、部屋そのままの写真は撮影せずに、新堂さんの会社のVR家具シミュレーションシステムを使用することにしたのだ。



話を聞いてくれたミズホは、グラスを傾けながら言う。

「じゃあ、情報サイトで検索しても真弓の“趣味部屋”は見られないわけだ」

「もう、趣味部屋じゃないよ。“趣味を全面に出したインテリア”って言ってくれる?」

「だいたい同じでしょ。つまり真弓は、新堂さんの提案を受け入れたけれど、違和感があるのね」




「でも、良いですよね」

ミズホの隣で私たちの話を聞いていた大学時代の後輩・健斗くんが、羨ましそうにため息をつく。

「マイホームで、内装やインテリアにこだわってって…最高じゃないですか。僕も早く、マンション買いたいなあ」

3つ年下の彼は35歳で、コンサルティングファームに勤める独身貴族だ。

新卒でBig4に入社してキャリアを積み、今はMBBと呼ばれる三大外資プロファームの一角で働いている。

「結婚を意識した彼女も、以前はいたんですけどね…同棲してたんですけど、コロナ禍に入って、その彼女と衛生観念が合わないなって思って。

彼女、一番コロナが流行ってた時期に、ずっとノーマスクだし、除菌も一切しなかったんですよ。それが気になって、別れちゃったんです」

健人くんは続ける。

「フリーになったら、平日は仕事とジム・休日は趣味の自転車やマリンスポーツに読書っていう生活サイクルが出来上がっちゃって。今さらペース崩されたくないんですよね…」

ということで、貯めてきたお金の使いどころとして、不動産購入に興味を持っているようだ。

「もし縁あって結婚できたら、奥さんと一緒に住んでも良いし、子どもが生まれたら売却したり、貸しに出したりしてもいいかなと思ってて。だから、資産性は大事ですね〜」

「資産性ね…私ももっとこだわればよかった」

話を聞くと健斗くんは、私がマンションを購入した時よりも、よほどしっかりと買う物件を吟味している。

「こだわったところで買えなければ意味ないですけどね…できれば7大デベロッパーの旧分譲マンションで、築年は10年以内…が希望なんですけど、そんな物件は値段が高いですし、人気があるから出回ってもすぐ捌けちゃうし」

― やっぱり、人気銘柄の築浅マンションは、すぐ買い手がつくのね。

日々マーケットをウォッチしている彼の言葉は参考になるが、絶望もさせられる。なぜなら…。

「私ね、売りに出して1ヶ月だけど、今のところ1件も内覧がないんだよね。7大デベロッパーでもない築古のマンションだから、仕方ないのかなぁ…」

私がため息をつくと、ミズホと健斗くんは顔を見合わせる。

「真弓さんのご自宅は確かに7大デベロッパーの旧分譲マンションじゃないですけど、マンション開発会社としては有名な中堅デベロッパーの開発したマンションじゃないですか」

「そうだよ。築年こそ35年をこえてるけど、それがまた『ヴィンテージ感が出て良い』って、真弓も気に入って買ってたじゃない。そういうのが好きな人は他にもいるはずだよ」

2人に励まされ、ありがたいような情けないような気持ちになる。

― これからマンションを買おうとしている健斗くんにまで気をつかわせてしまって、申し訳ない…。

正直、毎日マンション売却のことばかりで、気が滅入っている。




「このままで大丈夫かな…」

新堂さんから毎週月曜日に送られてくる週報にも、あまり見込みのありそうな話はない。

新堂さんの会社が運営する物件情報サイトのマイページでは、私のページへのアクセス数や“お気に入り数”を見ることができる。

経過が気になってしまって毎日のようにログインしてチェックしてしまっているけれど…。

「今のところお気に入り数は3件。同じエリアで、もっとたくさんお気に入りされてる物件はあるのに…」

うなだれている私を見て、ミズホが考え込むように腕を組む。

「1件も内覧がないことを考えると、マーケティング戦略を見直す時期なんじゃないかな?ちょっと、考えがあるんだけど…」

「なになに?教えて!!」

すがるような気持ちでミズホの顔を見ると、彼女はにやりと笑った。

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売却活動がうまくいかない真弓に、ミズホから“ある提案”が…