画廊と美術館での学芸員経験をもち、現在は美術エッセイストとして活躍中の小笠原洋子さんは、高齢者向けの3DK団地でひとり暮らし。お金を極力使わないケチな生き方=「ケチカロジー」という言葉を生み出し著書も上梓しているほどに、極力ものをもたないように暮らしています。そんなもたない中でも「鏡」を大事にしていると言います。その理由を教えてもらいました。

ひとり暮らし、鏡を意識して暮らすことの意味

3DKの私の家には、各部屋に鏡があります。2部屋には姿見があり、あとは顔だけ写る鏡を置いています。パソコンで机に向かっている時間が多い私は、とくにその場面が写る場所に姿見を置いています。机上に手鏡を置くこともあります。

【写真】小笠原さんが大事にしている鏡

●鏡を見るのは「気持ちを整えること」

私の兄はとてもおしゃれな人で、よく鏡に向かっていました。妹の私は、それほどおしゃれのために鏡は見ません。とはいえ、おしゃれな兄が「その日に着ていく洋服が気に入らないと出かける足が鈍る」と明かしたように、私にもよく似た感覚があり、たいした場所に行くのでもないのに、その日の気分に合わないものを着ると、どうしても着替えたくなってしまいます。それはおしゃれの域を出た、気持ちを整えたいという願望なのかもしれません。

年を取って外出が激減した私が、今見つめる鏡はファッションショーのためでもお化粧のためでもなく、表情検査と姿勢確認のためです。人との交流も滅多にない私に、そんなものがなぜ必要なのでしょうか。それは、今でも私が外出予定がないときも、必ずその日の気分に合った服を着るのと同じように、口角をひどく下げたマズそうな顔つきや、眉間の不機嫌そうなシワを、自分自身のために「普段着」にはしたくないからです。部屋を横切るとき、ふと鏡に眼つきの悪い自分が写ったり、テレビを見ているとき背中が丸まっていたりするのを見つけては、正そうとしています。

●鏡は「他人の目」でもある

外を歩けばウインドウなどに写った自分を発見しますね。髪や服装が乱れていたりするのを直すのとおなじです。それから鏡は、室内を逆に映し出すことで、少しだけ住まいを客観視することができます。つまり鏡は他人の目であり、またはもうひとりの自分の目なのです。ひとり暮らしの私には、大事な目と言えるかもしれません。

できるだけ心地よい環境を整えることは、家の中の整理整頓だけでなく、心の持ち方や顔の表情にも関係すると思っています。笑うと脳が活性化するそうです。おかしくなくても、嘘笑いでもいいそうです。口角を思いきり上げることで、脳は反応するそうです。笑うとシワが増える? でも私はシワ愛好者です。シミもできてしまった当初は、ケアを怠った自分に失望しましたが、数年たった今では、「愛嬌愛嬌!」と言ってやります。

●母からの教え「鏡は心を写すもの」

女優さん方の高齢期の顔が私は好きです。ご本人や関係者は、私の意見をもしかしたら快く思わないかもしれませんが、シワやたるみあってこその深い人間味が表現できれば、俳優として、大物だと思います。彼女らは、おそらくよーく鏡で心をのぞき込んだことでしょう。そしてその年齢にしか表現できない心の様を、すてきな顔立ちの上に載せたのです。

「うらむかうたびに こころをみがけとや 鏡は神のつくりそめけむ」というのは、母が私に教えた和歌です。近年になって、母の遺品の中からこの歌の色紙を発見し、忘れかけていたこの歌を思い出し、変体仮名を一生懸命調べたものです。

鏡にむかうたびに(顔ではなく)心をお磨きなさい。鏡にはそういう効果もあるのですよ、とでも訳しておきましょうか。