「はじめての人類学」(奥野克己/講談社)

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人類学とは「人間とは何か」を問う学問だ。歴史は古く、誕生のきっかけは「15世紀の大航海時代」にさかのぼる。当時、「海のむこうに住む『他者』たち」と出くわした西洋の人びとは、未知なる文明に探求心をかきたてられた。

※2023年10月3日掲載、ダ・ヴィンチWebの転載記事です

そこから年が経った現在も、人類学の研究は続いている。やはり、時代がどれほど経っても、人間は私たちの「生」を追い求めているのだろう。そう思わせてくれるのが、書籍「はじめての人類学」(奥野克己/講談社)だ。

本書は、人類学に関わってきた先人たちの知見を紹介し、現在までの変遷をわかりやすく伝える初歩的な一冊。「自分自身と他者を知るための学問」は、現代の私たちにも生き方のヒントを与えてくれる。

SNS全盛の今、人類学の役割が変わりつつある

誕生のきっかけこそ「15世紀の大航海時代」にさかのぼるが、近代人類学が産声を上げたのは「19世紀」。ダーウィンが「進化論」を発表したのを機に、「文化や社会を原始から文明に至る直線的な進化の過程として捉える進化論的な考え方」が広まっていったという。

以降、弁護士や実業家でありながら「ネイティブ・アメリカン」との出会いにより「先住民の比較研究」を進めたアメリカのルイス・ヘンリー・モーガン。文化とは「知識や宗教や法律、さまざまな能力や習慣からなる複合的な要素をすべて合わせたもの」として、より細分化された「宗教人類学」や「芸術人類学」の発展に貢献したイギリスのエドワード・タイラー。そして、民族に伝わる呪術の研究を続け「人間は呪術から宗教へ、そして科学へと至るという説」を唱えたイギリスのジェームズ・フレイザーらの功績で、近代人類学の礎が築かれた。

そこから100年以上が経過し、2023年現在、この日本では「戦後三度の人類学ブーム」が来ているという。背景にあるのは、スマートフォンやSNSの普及だ。はるか遠く「未開」の地に住む人たちともネットを介して通じ合える現代では、「外部」と「内部」の境界線もあいまいになってきた。そのため、人類学は「これまでとは違った人間の生き方」を探る、新たな役割を求められつつあるのだ。

■「フィールドワーク」の視点は現代でも役立つ

未知なる文明と正面から向き合い、人間とは、世界とは「何か」を研究し続けた人類学者たち。学問が未成熟だった時代を生きた彼らのアプローチもまた、私たちに知見を与えてくれる。

19世紀〜20世紀を生きたポーランド出身の人類学者、ブロニスラフ・マリノフスキはその1人だ。彼は「本や文献、資料」にあたるだけではなく、「遠く離れた場所に住む人たち」の文化へ飛び込む「参与観察」の手法を編み出し、みずからの目で確かめる「フィールドワーク」にこだわった。

大学時代に論文「オーストラリア先住民の家族」で「科学博士号」を取得したマリノフスキは、「文献だけに依拠する研究には限界がある」と感じ、その後オーストラリアへ渡り、先住民たちの暮らしをその目で確かめた。

現地の人びとが「海を越えてカヌーで航海したり、呪文を唱えたりする行動を事細かに記録」した「民俗誌」、そして、研究の日々にあった葛藤などを綴った彼の「日記」は、今なお学術的価値を見出されている。

そして、文献の研究だけでは「限界がある」とした彼の思考は、ネットで“すべてがわかる”と錯覚しがちな現代にも通じるのかと思わされる。現地を自分の目で見て、声を聞き、空気を感じる。その大切さも、教えてくれるのだ。

人類学と聞くと“難しそう…”と尻込みしてしまう人もいるかもしれないが、本書を読めばハードルが下がるはずだ。未知の世界へ飛び込んだ先人たちの経験は、私たちにとっても大きな学びとなる。

文/カネコシュウヘイ