ソニー・ホンダモビリティが開発する電気自動車「AFEELA(アフィーラ)」。常に最新ソフトウェアに更新されているのが特徴(編集部撮影)

5年ほど前のことだったと記憶しています。V字回復して収益が軌道に乗ったソニーグループの吉田憲一郎副社長(当時、現会長)に、メディアが「ソニーはAIに参入しないのですか?」と質問したことがありました。

当時はディープラーニングが実用化され、囲碁の世界チャンピオンがAIに敗北するというAIにとっての歴史的な節目でした。日本からもAIが出現するのではという期待感をこめた質問だったと思うのですが、吉田さんはこう断言したのです。

「今のAIはソニーが投資できる規模の事業ではない」

当時はGAFAMによる巨額投資の時代に突入し、AIに参入するには1兆円規模の投資が必要な時代でした。スマートフォン、ゲーム、テレビ、半導体、エンタメなど財務ポートフォリオを緻密にコントロールして傘下の事業群を成長させるソニーグループに、AI参入は巨額すぎたのです。

エヌビディアが裾野を広げた

さて時代が流れ、数百億円の投資でAIに参入できるようになりました。一番大きく変わったのは、実はハードウェア投資規模です。半導体大手のエヌビディアから数千万円のGPU(画像処理半導体)を入手すれば、かつてのスパコン京以上の計算能力が簡単に手に入るようになったのです。

AIに参入できるかどうかは、むしろ他の優位性に移っています。コア部分の開発はマイクロソフトが提携するオープンAIやアマゾン、グーグルが提携するアンソロピックが担うとして、参入企業は適用領域(アプリケーション)とビッグデータなど育成面で優位性を競うことになります。

日本企業でもLINEヤフーや楽天市場を持つ楽天は、その保有するビッグデータから独自のAIを育てやすい立場にあります。ではソニーグループだったらどうAIに再参入するでしょうか?

私は未来予測を専門とする経済評論家です。未来予測の能力を高めるためのトレーニングの一つが、このような思考実験だと考えています。読者の皆さんもこういった訓練はスキルアップにつながりますので、ぜひ参考にしていただければと思います。

今回の記事は、AIに関わるさまざまな世界情勢についての情報をベースに「どうするソニー?」という切り口で私が独自に模索した参入方法について書いてみたいと思います。ちなみにソニーグループを現在率いている十時裕樹社長は、新しいものに着手するスピードがとても速い経営者です。すでに私の思考を超える手を打っているだろうと思っています。

ソニーホンダは日本車メーカーの先端

さて、私独自の結論としてはソニーグループには3つの有力なAIへの参入方法があると考えました。ソニー・ホンダモビリティ(ソニーホンダ)と「aibo」、そしてソニーミュージックです。順に解説しましょう。


ソニーグループの十時裕樹社長(撮影:今井康一)

自動車の世界は今、急激にAIで変化しています。2023年時点では車の性能を左右するのはSDV(Software Defined Vehicle)という概念で、一言でいえばソフトウェアをアップグレードすると性能が上がる車のことです。

SDVの概念ではアメリカのテスラが世界の先端を行っているのですが、それを中国勢が追っています。細かいところは省きますが、伝統的な自動車メーカーよりも一からEV車を作る企業のほうがSDVの波には乗りやすいのです。

中国ではNIOや小鵬汽車といったEV企業がSDVの仕組みをエヌビディアから購入してフォルクスワーゲン(VW)やフォードなど伝統的な自動車メーカーをかえる跳びで凌駕しようとしています。

そこでソニーホンダなのですが、「AFEELA(アフィーラ)」と命名されたプロトタイプ車では最初からSDVのアーキテクチャーでの開発が進んでいる様子です。

心臓部となるECU(エレクトロニックコントロールユニット)には、通信速度が世界最速といえるクアルコム製のパーツを採用しています。AIがアップグレードされるたびに車の性能が上がるという点で、ソニーホンダは日本車メーカーの先端に位置します。

アフィーラについてさらに興味深い点は、詳細は明かしてくれてはいないのですが、開発チームの重要なポジションにEpic Gamesが参画している点です。当然ですがゲームの世界は早くからAIを活用してきた業界です。そしてソニーグループ内部にもソニーインタラクティブエンタテインメントによる人気ソフト「グランツーリスモ」シリーズの開発チームなどAIに通暁した人材が控えています。

車をAIで変えるというのが今、自動車業界を挙げての重要テーマになっているのですが、トヨタ、日産ルノー、VW、GM、フォードといった足かせのある既存勢力よりもこの分野を変えやすいという視点では、ソニーホンダが独自のAIアプリケーションでモビリティの世界を変えていくというのは、AI再参入の視点としてはアリだと思います。

とはいえソニーホンダのAI参入はレッドオーシャンです。それと比較してブルーオーシャンで独自のAI育成に集中できるという点では、2番目のaiboの切り口のほうが興味深いかもしれません。

生成AIとスマートスピーカーは好相性

生成AIのアプリケーション分野として市場が大きいものの一つに、スマートスピーカーがあります。アマゾンのエコーに搭載されているアレクサがその代表例です。

スマートスピーカーは話しかけることによって天気予報のような情報を返してくれたり、命令することによって部屋の明かりやテレビをON/OFFしてくれたり、お気に入りの音楽を流してくれたりといったものが現在の主なアプリケーションです。

ところが生成AIが出現したことで、この適用領域が広がりそうです。つい先日、オープンAIから「ChatGPTの能力が上がった」という発表がありました。ChatGPTは新たに「見る、聞く、話す」という能力を身に付けました。これまで文字入力に対して文字を返してきていた生成AIが、話しかけるとそれを聞き取って声で返事をしてくれるようになったのです。

この変化でスマートスピーカーは近い将来、人間の話し相手になりそうです。暇つぶしの相手になってくれるのです。

さてソニーのaiboはAIを搭載したペットロボットで、可愛い感じで家の中を歩き回って人間を癒やしてくれるのが主なアプリケーションです。そのためこれまではスマートスピーカーと完全に切り分けられた存在でした。

問題はこの先で、スマートスピーカーは間違いなくペットロボットの領域を浸食していきます。スマートスピーカーが持ち主の一番の話相手になり、さらに手足がついて持ち主の後をついて家じゅうを歩き回るようになれば、それはaiboの競合品です。


スマートスピーカーは、aiboの競合となるのか(編集部撮影)

一方で、その逆もありです。aiboがペットではないコンセプトの別商品を出して、人間の声でしゃべって家の中を歩き回って、家電製品のON/OFFを担当してくれて、天気予報を教えてくれたら、それはスマートスピーカーの領域です。

アマゾンはこのスマートスピーカーにすでに1兆円を投資してきたのですが、日本企業にとって幸いなことに、今のところは成功していません。ということはアマゾンが耕してきたスマートスピーカーの世界市場を、後発企業が刈り取ることが可能な状況です。

そう考えるとaiboのブランドと技術をベースに、aiboではない新商品を出していくというのはソニーグループとしては本格的なAIへの参入の2つ目の登り口になるのではないでしょうか。

ソニーミュージックの独自性

さて、私個人としてはこれからお話しする3つ目の参入方法が、ソニーグループにとっては一番面白いのではないかと思う入り方です。ソニーミュージックによるAI参入です。

先ほどの近未来のスマートスピーカーの話の延長の話になりますが、要するにこの先、私たちはAIと会話を日常的にするようになるのです。アマゾンやグーグルはアンソロピックと提携することでエコーやネストといったスマートスピーカーにこの機能を組み込むでしょうし、マイクロソフトはオープンAIとの提携で、BingやOffice365を音声で操作できるAIアシスタント機能を組み込むでしょう。

そこで次の段階では、このAIアシスタントにいずれ個性が誕生します。

皆さんにイメージしていただくのにちょうどいい人工知能があります。三菱地所レジデンスが導入したモデルの冨永愛さんのデジタルツインである「冨永AI」です。このデジタルヒューマンの冨永AIさんは冨永愛さんの特徴を取り込んだ分身モデルです。

ここが一番興味深い点なのですが、冨永愛さんと違い、冨永AIさんは無限に増殖できます。三菱地所によると、マンションのモデルルームを訪問するお客様一人一人に対して、特別な説明を冨永AIさんにしてもらうことができるようになるといいます。

1000人のお客様が来訪されるとすれば、三菱地所レジデンスから見れば冨永愛さんが出演する1000種類のCM動画を作成するのと同じことができるようになることを意味します。

その個性は、今から2年後にはAIアシスタントとしては当たり前のスペックになっているでしょう。パソコンに組み込まれるAIが無機質な合成音声で話しかけるのと、よく知っている人間が話しかけるのとでは、どちらが心地いいでしょう? 後者がAIの主流になるはずです。

それは俳優の堺雅人さんだったり役所広司さんだったりするでしょうか。ないしは有村架純さんだったり広瀬すずさんだったりするかもしれません。ただもっとあり得るのはオリジナルのデジタルヒューマンではないでしょうか。なぜならデジタルヒューマンは人間の芸能人と違い、スキャンダルと無縁だからです。

デジタルヒューマンをプロデュース

韓国のCGタレント「APOKI」というキャラクターがいます。彼女はソニー・ミュージックソリューションズと契約をして、ソニーホンダのアフィーラの宣伝などに登場しています。


韓国のCGタレント「APOKI」はアフィーラのプロモーションにも登場(© VV Entertainment)

この先、彼女のようなデジタルヒューマンをオーディションで見出し、育成し、スターに育て上げるビジネスが大きな市場になります。ソニーグループではソニーピクチャーズやソニーインタラクティブエンタテインメントもありますが、プロデュース能力という観点ではソニーミュージックが一番フィットするのではないでしょうか。

乃木坂46やYOASOBIもそうですが、それとは違う人間ではないデジタルヒューマンを売り出して、金が稼げるAIへと育成する。それがカーナビやパソコンのアシスタント、スマートスピーカーに入り込んでいきます。人間ではない動物のようなゲームキャラであれば、それはペットロボットの形で家庭に入り込んでいくかもしれません。

それぞれの領域はソニーグループではないハードウェアが購入されるのかもしれませんが、そこにダウンロードされ搭載されるAIキャラクターはソニーミュージックの所属になる。これはそんな未来のイメージです。

さて、今回の記事では思考実験として「もしソニーグループがこのタイミングでAIビジネスに再参入するとしたら?」という話をしましたが、当然のことながら、チャンスはあらゆる家電メーカー、あらゆるゲーム会社、あらゆる自動車会社、あらゆるエンタメ企業に門戸が開かれています。

前提が変わった今、日本企業はもう一度、AI戦略を見直す時期なのかもしれません。

(鈴木 貴博 : 経済評論家、百年コンサルティング代表)