アルゼンチンに敗れ、1次リーグ敗戦となったラグビー日本【写真:イワモトアキト】

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W杯フランス2023コラム、7大会連続取材「ラグビーライターの視点」

 ラグビーワールドカップ(W杯)フランス大会で、プール戦敗退に終わった日本代表。勝ち点9で並んでいだアルゼンチンとのD組最終戦で27-39と敗れて、8強進出を果たせずにチームは帰国した。目標に掲げた前回大会のベスト8超えどころか、プール戦敗退に終わった要因はどこにあるのか。2019年大会からの4年間の取り組み、そしてフランスで繰り広げられた4試合から、その答えと次回2027年オーストラリア大会でのベスト8突破へのヒントが見えてくる。(取材・文=吉田 宏)

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 日本代表の4年間の挑戦の旅はナントで終わった。多くのファンがプール戦突破、そしてベスト4進出という夢に胸を膨らませたが、現実はイングランド、アルゼンチンという2強に屈しての早すぎる敗退。それでも、7シーズンにわたり強化を担ったジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)は前を向いた。

「できる限りの努力をして、こういう結果に終わったのは残念です。でも、選手は全力を尽くしてくれた。すべてを出し切ったと思う」

 勝ったほうが決勝トーナメントに進む大一番。キックオフから競り合いを演じ、後半25分には鮮やかな右展開から途中出場のWTBジョネ・ナイカブラ(東芝ブレイブルーパス東京)がトライを決めて27-29と迫るなど、競り合ったのは指揮官の言葉通りだった。世界でもトップクラスのフィジカルの強さを誇る強豪と互角に渡り合えたことは大きな進化だったが、最後までリードを奪うことなく、残り15分で1トライ(ゴール)、1PGを畳みかけられて突き放された。

 ノーサイドの笛に、両手を腰に当てて中空を見つめたFLリーチ・マイケル(BL東京)は、試合後の囲み取材でこの敗北を噛みしめた。

「世界の壁がこれだなと思いました。全力を尽くして日本のラグビーをして、この結果だった。このデカい壁をどう乗り越えるかを考えていかないといけないですね。足りないものというよりも、接戦をしながらばっと逆転されてしまうのが日本の弱点ですね。終盤のラスト20分の戦い。それが(結果を出すための)最後のピースですね」

 リーチが地力の差を認める敗戦は、スタイルがぶつかり合う戦いでもあった。ボールを1点に停滞させない日本と、接点で確実に重圧をかけるアルゼンチン。日本は、ブレークダウンからボールを素早く展開してスピードとテンポで3トライを奪ったが、個々の接点ではキックオフ直後から確実に重圧を受け続けた。その重圧も影響したライン防御の脆さも露呈して、WTBマテオ・カレーラスに3トライを許すなど相手の5トライもすべてBKに奪われた。

コロナ禍の影響も…より多くのハイレベルな試合が必要

 試合後のWTB松島幸太朗(東京サントリーサンゴリアス)の言葉が、日本代表の今をよく言い表している。

「試合をすぐに振り返れないが、後半の疲れた時に(スコアを)取られた。相手は想定通りだったが、せっかくトライしたのに、すぐ後にトライを取られた部分とかがベスト8の壁というか……。(トライチャンスをパスミスで逃したケースは)どういうプレーをするにも精度の高いパスをしないといけない。そこの精度の部分だけです。(W杯まで)数か月は練習に力を注いだが、コロナ禍で試合ができなかったこともあった。W杯に挑戦するためには、より多くの(ハイレベルの)試合数が必要だと思う」

 筆者は大会前から書いてきたが、決勝トーナメント進出のために足りなかったものは明らかだったと思う。この日露呈したライン防御の破綻なども含めたチームの完成度であり、それは突き詰めれば強化時間と環境をどこまで確保できたかに繋がる。これは、日本代表というチームではなく、日本ラグビー協会(JRFU)を挙げて取り組むべき課題だろう。

 この大会を最後に退任するジョセフHCは、アルゼンチン戦後の会見で「この4年間には困難な時期もあったのでは」という質問に「あまり、そうは思わない」と否定したが、「ハイレベルのラグビーをできる時間がなかなか取れなかったが、ここは今後の日本代表でも難しい部分はあるだろう。常に強豪チームと試合をしていく必要がある」と語っている。ジョセフHCは、どんな環境でもチームを最善の状態に持っていくのがコーチの役割だという姿勢を貫いたが、本音では言いたいこともあったように思える。

 日本開催の2019年大会でアイルランド、スコットランドを破り、ベスト8進出と眩いばかりに輝いた日本代表だが、直後から試練が続いた。選手の進化、育成に大きく寄与した「サンウルブズ」が2020年シーズン限りでスーパーラグビーから離脱(解散)し、20年から猛威を振るった新型コロナウイルスによるパンデミックが起きた。

 まずパンデミックが日本代表に及ぼした影響だ。新型コロナウイルスの感染拡大は世界共通の脅威だったが、ラグビーでは各国の状況、対応で明暗が分かれた。日本は国内での感染爆発を抑えるために個人、組織への厳しい行動制限などを敷いてきた。そのためスポーツ界も感染拡大防止を最優先させたことで、行動、活動の厳しい制限下に置かれることになった。

 日本代表も20年春、秋の活動を中止。今回のW杯でも対戦したイングランド代表ら強豪国との試合を断念したが、海外強豪国は同年秋から代表戦を復活させ、パンデミックの影響を極力回避して強化を継続した。今回敗れたアルゼンチンも、コロナ感染の影響や2020年からスーパーラグビーを離脱するなど日本と似た境遇に置かれたが、20年秋からラグビー・チャンピオンシップで代表戦を再開して、ニュージーランドらとのハイレベルな試合を積んできた。コロナ後のフランス大会までのテストマッチはアルゼンチンの33試合に対して日本は17と半数あまり。その少ない試合数を補うために、今夏のオールブラックスXV(フィフティーン)などとのテストマッチ以外のゲームを組んでやり繰りしてきたのが現状だ。

日本代表の強化に暗い影を落としたサンウルブズの消滅

 イングランドの属するヨーロッパでは6か国対抗、アルゼンチンの南半球ではラグビー・チャンピオンシップと、強豪各国が毎シーズン、ハイレベルの試合を確保できているのに対して、19年大会でベスト8入りした国の中で日本だけが定期戦を組めていない。日本ラグビー協会(JRFU)でも、今年に入りニュージーランド、オーストラリア協会らと矢継ぎ早にパートナーシップを組むなど連携強化を図るが、毎年行われる大会への参入、開催はこれからのチャレンジだ。

 過去のコラムで何度も書いてきたように、日本代表の強みは他国以上に組織で戦うことだ。強豪国のパワーや経験値、個人技に、組織で守り、組織で相手防御を崩す――。日本人の勤勉さ、ディテールにこだわる性分も生かしたこのスタイルで世界に立ち向かうには、その組織を機能させるための時間が重要になる。

 しかし、チーム力を上げながら挑んだアルゼンチン戦でも、9点差を追う後半25分の右展開から、相手防御のスペースを崩し切れなかったパスの判断と精度、あまりにも簡単にトライにつながる破綻を見せた組織防御と、まだまだ修正の余地を残しながらの敗戦となった。2020年の失われた1年を、十分には取り戻せずに挑んだW杯だったという印象が残る。

 もう1つのサンウルブズについてだが、こちらも指揮官は事あるごとに会見などの場で、その消滅を惜しんできた。常に淡々と話してはいたが、本音としては離脱を決めたJRFUの選択に腹立たしい思いもあったのではないだろうか。離脱前後の時期に日本協会のある首脳は、「トップリーグ(リーグワンの前身)に多くの海外トップ選手が集まっている。(スーパーラグビー離脱の)影響を補える」などと豪語していたが、あまりにも無責任な言い訳だと呆れた記憶がある。

 スーパーラグビーは興行ベースのプロリーグだが、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの3か国が、代表選手の強化や、次世代の代表育成も視野に入れながら立ち上げ、最大限活用してきた。各国の代表クラスの選手が、現行レギュレーションでは12チームのリーグでシーズン14試合以上の真剣勝負を繰り広げる。代表選手、そして間接的にはチームのレベルの引き上げには願ってもない環境だ。

 このパンデミックの空白とサンウルブズの消滅については、日本代表というチームには一切の過失がない。自然現象と、リーグと各国協会の様々な思惑が絡み合い起きたことだが、JRFUという日本ラグビーの統括団体としてはできることがあったのではないだろうか。

 19年大会期間中から、日本代表がさらに上のステージに立つには代表クラスの選手層の厚みを増すことは誰もが認めていた。だが、パンデミックの発生も相まって、選手層どころか選手の強化すらままならない状況に陥ってしまった。もし、本当にあの空白の1年に何も手を打てなかったとしても、翌年以降に空白を埋め合わせ、失われた時間を取り戻す取り組みがあったのか。再開後の代表活動は時間、人員的にも制約があるのなら、若い候補選手や怪我などで調整が必要な代表クラスの選手に、別動隊として合宿、遠征などの“投資”をしていかなければ、当然のことながらリターンは期待できない。

日本ラグビー協会はこの敗戦から学ぶべきことがある

 サンウルブズに関しても、未だにその埋め合わせは見えてこない。2021年シーズンに発足したリーグワン(開幕は22年1月)だが、当初目玉の1つだった、リーグ上位チームが海外強豪クラブと対戦する「クロスボーダー大会」は、未だにいつから実施されるかのアナウンスもなく、実施が刻々と後回しになっている。

 知り得た情報では、来年2月のスーパーラグビー開幕前に同リーグの上位チームが昨季リーグワン上位と対戦するプランはある。だが、一部の国内チームからシーズン途中の開催に異論が起き、スーパーラグビー王者のクルセイダーズはヨーロッパでの招待試合を優先して、クロスボーダー参戦を見送る方向だとも聞く。クルセイダーズが日本側からの対応に痺れを切らして、大会参加を回避したという。そもそも無事クロスボーダーが実現したとしても、多くの日本代表選手を擁したサンウルブズがスーパーラグビーで揉まれた環境ほどに代表強化に繋がるのかは疑問だ。

 一番恐ろしいシナリオは、今回のフランスまでの挑戦を、「選手、チームはよくやった」などと感傷的に頷いて終わらせてしまうことだ。世論はそれでいいが、協会、強化に携わる人間にとっては、すべてがパーフェクトではなかったのなら、そこから必ず学びがあるはずだ。

 パンデミックもサンウルブズもだが、2005年のジャン=ピエール・エリサルドHC就任から続く、協会側が代表チームをしっかりとコントロールできない課題も解消されていない。指導者が変わるごとに体制を再編しながら、前体制での課題がどこまで有効にフィードバックされて、新体制がさらに質の高い組織にバージョンアップできてきたかを考えると、足踏みしている部分が多い印象だ。

 コントロールという言葉を誤解してほしくないのだが、それは代表指導陣に何か非があるのではなく、プロの指導者の利害とラグビー協会が担う日本ラグビーの利害は、必ずしも100%は合致しないという現実だ。優先するべきは「指導陣のため」よりも「日本ラグビーのため」のはずだが、どこまでできているのかは疑問がある。

 最後に、アルゼンチン戦後の取材で印象に残った松島とのやり取りをお伝えしておこう。 普段は淡々と取材に受け答えする松島だが、この日の取材では、いつも通りの話ぶりの中にも、強い憤りが感じられた。自身のポジションについて話が及ぶと、こんな発言をしている。

「自分が準備してきたものが上手く生かせなかった。もっとボールタッチをすればチャンスを作れる自信はありましたし、もっと外まで持っていける自信もありました。そこはフランスに行って(20、21年シーズンにフランス・ASMクレルモン・オーヴェルニュでプレー)15番をずっとやっていましたし、サントリーでも15番をやってきたし、(代表でも)直前まで15番をしてきた。セレクションに関して僕は選べないですが、(W杯)直前で信じてくれなかったのかなという感じですね。WTBとしての準備は練習でも全くしていなかった。イタリア戦が終わってから本格的にやり始めたが、何も言われていなかった。謎かなという感じですね」

4年後に向けて必要な短期的、長期的両方のビジョン

 代表首脳陣は2019年大会からFBでプレーを続けてきた山中亮平(コベルコ神戸スティーラーズ)を8月の最終メンバー発表で外した。同じFBでフランス大会へ準備してきた松島にとっては、自身へのウェートが重くなる状況と思われたが、コメントの通り、大会直前でWTBでの起用に切り替えられたことに違和感を覚えていたことを認めている。

 メンバー選考、人事はコーチの特権でもあり、尊重するべきだが、長らく起用してきた山中のギリギリでの選考漏れ(その後、大会途中で再招集)、そして松島の短時間でのWTBへの変更など、チーム編成上の早急な判断がチーム、選手に技術的、心理的に影響を及ぼしたのではないか。それ以外にも、選手選考に関しては国内チーム関係者から様々な声も聞こえてくる。松島の語る“謎”も、次の体制作りのための検証材料に生かせればいいのだが。

 ファンとメディアの関心は次の指導者へと向かうだろう。だが4年後、そして数大会後には実現するだろう次回の日本大会へ向けて考えれば、最初に着手する重要な課題は、日本の強化を短期的、長期的両方の視野でどうするべきかのビジョンを持ち、代表を率いるコーチの利益と、日本ラグビーの利益を明確に認識して、チームと向き合うことができる人物の人選だろう。そのビジョンは一個人の持論ではなく、JRFUという日本ラグビーを強化、普及の両面で、あるべき姿へと導く組織としてのビジョンに他ならない。

(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)

吉田 宏
サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。