Iシリーズを深掘りする短期連載の最終回は、川崎市麻生区にあるシグマ本社へ。どのような意図でこのIシリーズが生まれ、ラインアップを増やしているのか。商品企画部長として同社のYouTubeなどに登場されている大曽根康裕さんと、長年広報も担当されているプロサポート課長の桑山輝明さんにそのあたりのお話を伺ってきました。

シグマの新本社にお伺いし、Iシリーズ開発のキーマン2名に開発秘話をうかがった

9本が揃ったシグマのIシリーズ。中央は、Iシリーズとのマッチングがよいフルサイズミラーレス「fp」

※Iシリーズのレンズに関しては、焦点距離・明るさの後に続く「DG DN | Contemporary」の呼称を省いています。

――2回にわたってIシリーズを深掘りしてきたのですが、使えば使うほど奥が深いと感じました。定番中の定番のようなレンズもあれば、一風変わったスペックを持つレンズもあります。そもそも、Iシリーズはどのような企画意図で生まれたのでしょうか。

大曽根さん:ちょっと古い話までさかのぼりますが、弊社は2008年に50mmF1.4 EX DG HSMというレンズを発売しました。標準レンズとは安くて軽くて小さいもの、という呪縛を解いて、最高性能を目指しました。こんなに大きくて高価な標準レンズは売れない…と方々から言われましたが、結果的に大ヒットし、標準レンズのあり方を変えたという自負があります。

シグマ 商品企画部長の大曽根康裕氏

しかし、それが“描写性能は高くあるべし”という新たな呪縛となり、のちに登場するArtラインの単焦点レンズは、軒並み大きくて重たいレンズになってしまいました。たとえば、ウェディングフォトグラファーならばボケを重視するので、それでもいいと思います。しかし、同じ場所でも招待客ならもっと小さなレンズがいい。それによって、招待客しか撮ることができない写真が撮れるのです。

そんな発想から、写りはArtラインと同等で、携行性が良いレンズを企画しました。先ほどお話しした50mmF1.4 EX HSMも、社員たちのチャレンジ精神が実った製品で、絞りを開けたときの写りに未来を感じました。Iシリーズも、そんなフロンティア精神で一本一本取り組んでいます。

桑山さん:50mmF1.4 EX DG HSMは、試作品が出たときに大曽根と盛り上がったのを覚えています。Iシリーズの50mmF2は、それから4本目の50mmになりますが、写りに関してはまさにArtに匹敵するレベルにあると思います。個人的にもとても好きなレンズです。

シグマ プロサポート課長の桑山輝明氏

――すべて切削アルミ製というのもIシリーズの特徴ですが、これまでのシグマ製レンズとは雰囲気が違います。このあたりの経緯もお聞かせください。

大曽根さん:ちょうどfp(Lマウントのフルサイズミラーレスカメラ)の企画が進んでいたころ、Lマウントで弊社と協業関係にあるライカさんのMマウントレンズの話で盛り上がったことがありました。ああいう金属のレンズはかっこいいね、fp向けに何本か揃ったらいいね、という話になりました。小さいからこそ可能なことのひとつに、外装をすべて切削アルミで作るというアイデアがありました。重量が通常に比べて1.3〜1.5倍になるので、1kg近くになるArtラインでは難しいですが、小さな単焦点レンズなら可能です。

Iシリーズは、Artラインに比べると明るさを抑えていますが、描写性能は抑えるどころか、常にArtラインと同じレベルを求めています。描写性能を確保したうえで、小さくて質感の高いレンズを作れば、新たな価値が創造できると考えました。切削アルミの外装自体は他社さんも手がけていますが、ピントリングから絞りリング、さらにフードまでというのはIシリーズしかないと思います。

アルミ加工の技術は、シネレンズの製造で鍛えられました。サンドブラストで艶を消すなど、金属らしさが感じられる表面処理も行っています。絞りリングも、一部のローレットを削り落として、その平らな面に目盛りを刻んでいます。精度を出すのが難しく、切削痕も残りやすいので、常識ならこんなデザインはしません。しかし指がかりがよく、見た目も美しいんです。まあ、フードにまでローレットを入れたり、キャップも金属製という無茶もしていますが…(笑)。

アルミの輝きがまぶしい塗装前のIシリーズ。モックアップではなく撮影できるというが、フードに反射した光がレンズに入ってしまうため、製品版のような描写性能は出ないという。また、手の脂の付着や酸化により、この輝きを保つのは容易ではないそう

フードを含めたアルミ加工の精度の高さが特徴。文字も印刷ではなくアルミを刻んで生成している

桑山さん:キャップについては、45mmでは金属で作る発想がなかったんですが、次の24mmF3.5、35mmF2、65mmF2を企画したときに、オール金属製にこだわっているのにキャップだけプラは変だよね…という話になったんです。そこで急きょ、金属製のマグネット式キャップを開発しました。ただ、フードやフィルターと併用できないし、従来のプラがいいという方もいるだろうと。迷ったら両方入れるというのがシグマの伝統なので(笑)、両方を同梱しています。

――迷ったら両方といえば、IシリーズにはF2の明るいグループと、F2.8〜4の明るくないけれど個性の強いグループがあります。公式ホームページでも分けて紹介されていますが、これも迷ったら両方…みたいなことがあったのでしょうか?

大曽根さん:実際には、それぞれ焦点距離や明るさに合わせて企画意図を練っています。その過程で、たとえばF2のレンズは非常にオーソドックスな、いわば優等生な光学設計をしています。これらは、ズームレンズやArtラインの単焦点レンズ、さらには他社さんのレンズと組み合わせて使われることを想定しているからです。1本だけ描写が独特では使いにくいので、スタンダードな描写を目指しています。

一方のF2.8〜4については、小兵なら“くせ者”でいこうと考えています。たとえば、45mmF2.8はシリーズの1本目ということもあり、解像力よりも味を追求するという冒険をしてみました。球面収差をわずかに残し、距離や絞りで写りをアレンジできるようにしています。また、球面収差が増えるのを承知で、最短撮影距離も24cmとだいぶ短くしました。



――あのレンズは、僕もIシリーズで一番気に入っています。確かに、絞り開放で寄るとフワフワな描写になりますが、被写界深度もかなり浅くなるので、シャープに写したいならそもそも絞る必要があります。絞れば球面収差も消えるので、設計の考え方として理にかなっているなぁと思いました。

大曽根さん:なかなか実現できていませんが、またあのようなレンズを作ってほしいという要望もあります。24mmF3.5も45mmF2.8同様、寄れることを重視しました。ただし、球面収差を残してもボケに生きてこない焦点距離なので、こちらは絞り開放からシャープな設計にしています。一方で90mmF2.8は中望遠なので、ボケ味にこだわりました。ならばF2でボケを大きくしてほしいという意見もあるでしょうが、オール金属で作れるサイズではなくなるので、そこは割り切りました。実際には、F2.8でも十分大きなボケが得られると思います。

最新の17mmF4もフィルター径55mmと頑張りました。ショートフランジバックなら17mmF4がフィルター径55mmでできますよ、という光学設計者からの提案があり、それはおもしろいねというところからスタートしました。ショートフランジバックの超広角レンズにはスーパーアンギュロン、トポゴン、ビオゴンと、歴史に残るものがいくつもあります。今は技術も進んでいるので、17mmF4もそうですが、今後もさまざまな超広角レンズが作れるかなと思っています。



――では、Iシリーズのなかで大曽根さんと桑山さんのお気に入りはどれでしょうか? すべてお気に入りかとは思いますが…。

大曽根さん:新しいレンズが加わるたびに変わるんですが、24mmF3.5、50mmF2、90mmF2.8の3本セットでしょうか。この3本でほぼ何でも撮れます。中学・高校・大学と写真部でしたので、以前は披露宴の撮影を頼まれることがよくありました。そのころの機材といえば、一眼レフに大三元ズームでした。場合によっては、70-200mmF2.8にテレコンとか、35mmF1.4や85mmF1.4も使っていました。それが、今はこのトリオで十分といったところです。

あえて1本だけなら45mmF2.8ですね。どんなものでも優しく写るのが気に入ってますし、カメラがfpというのもありますが。45mmF2.8というスペックを聞くと、一眼レフに慣れた方だとボケないという印象を受けるようです。一眼レフのファインダーは実際よりもずっと被写界深度が深いのでそう感じるだけで、実際にはかなりボケます。

桑山さん:寄れるレンズが好きなので、僕も45mmF2.8を一番使いますね。それに24mmF3.5を加えることもあります。弊社が80年代に発売したスーパーワイド24mmF2.8というレンズがあるのですが、MFの初代、AFのII型ともに最短撮影距離が18cmと寄れるのが特徴でした。あれを復刻してほしいという声を以前からたくさんいただいており、24mmF3.5でようやく実現できました。10.8cmとさらに寄れるので、スーパーワイドを愛用していた方やワイドマクロが好きな方にはご満足いただけるかと思います。

寄れるという点では17mmF4もおもしろいんですが、この画角の広さと最短撮影距離の短さに僕がついていけません(笑)。24mmならラフに寄っていけるんですけど、17mmは真剣にフレーミングしないといけないので…。でも、その技術をお持ちの方にはおもしろいでしょうね。あと、50mmF2も当初仕事で試していたのですが、独特な立体感があって好きになりました。



大曽根さん:周辺の描写性能をしっかり確保すると、立体感が豊かになるんです。そのことをこの50mmF2で証明できたと思います。

――50mmF2は確かにに小さくてよく写るという、標準レンズの理想形だと僕も思います。ただ、兄貴分にあたる50mmF1.4 DG DN|Artも発売からまだ日が浅くて、シグマ製品同士で競合しないか心配ですが…。24mmや35mmも、Artを含めると3本ずつ出していますよね。

桑山さん:確かに、自社製品同士の競合は心配もなくはありません(笑)。たとえば、24mmは2本所有できるならキャラクターのまったく異なるF1.4とF3.5をお持ちいただくと、適材適所でより撮影が楽しめると思います。どれか1本という方には、バランスの取れたF2をご提案できます。同じ焦点距離を複数用意することで、多くのニーズにお応えできるのではないかと考えています。

大曽根さん:私がシグマに入社したころは、ズームレンズは特殊レンズのような存在で、どのメーカーも同じ焦点距離の単焦点レンズが3種類は揃っていたものでした。桑山が話した通り、さまざま選択肢をご提案できるのはカメラ・レンズメーカーのあるべき姿だと思います。

ちなみに、広角の品揃えが手厚いのはいくつか理由があるのですが、ひとつにAPS-Cフォーマット用の16mmF1.4 DC DN|Contemporaryがありました。このレンズは当初競合するものがなく、売れるか半信半疑でしたが大ヒットしました。私も個人的に好きなレンズですが、これがフルサイズ用であったらいいなと考えました。16mmはフルサイズ換算で24mm相当、F1.4のボケ量を同じくフルサイズに換算するとF2相当、そこで24mmF3.5に加えて24mmF2が登場したわけです。さらに広さが欲しい方には20mmF2もあります。



――そういえば20mmや24mm、35mmは充実してますが、28mmがArtも含めてDG DNシリーズでまだ出ていません。一眼レフのDG HSMでも最後の最後に28mmF1.4が発売されました。シグマさんの中で28mmって鬼門なのでしょうか?

大曽根さん:24mmが動画の世界でスタンダードになって、お客様からのリクエストが多かった影響はあるかと思います。16mmF1.4 DC DN|Contemporaryも動画を撮影するために購入された方が多いようです。そのため24mmに注力してきましたが、もちろん28mmが欲しいという声もたくさんあります。別に避けているわけではありませんので、お待ちいただければと思います。

――明るさはF2より暗くてもよいので、パンケーキの28mmが出たら個人的にはうれしいです。45mmF2.8と組み合わせることもできますし。

大曽根さん:他社さんではきわめて薄いレンズもありますし、要望があるのも事実です。ただし、インナーフォーカスを組み込むのが難しいですし、とくにフルサイズでは一定レベルの描写性能を確保しにくいので、Iシリーズでは難しいかなぁ…(笑)。

――やはり描写性能は譲れないところなんですね。Iシリーズは何本も揃えている方もいれば、1本しかないけれどそれを着けっぱなしという方もいると思います。そのあたりのフレキシブルさも魅力ですが、ユーザーの方や、まだ手にしていない方へ伝えたいメッセージなどがあればお願いします!

大曽根さん:個性的で尖ったレンズシリーズではありますが、それが同じコンセプトやクオリティで9本も揃っています。17mmから90mmまでカバーしていますから、この中で理想のシステムを組むこともできます。まさに弊社の“尖り具合”を象徴しているのではないかと自負しています。

Iシリーズは描写はもちろんですが、操作感や剛性感、質感を極限まで高めています。すでに何本もお持ちの方はもちろんですが、まだ使ったことがないという方も、TPOやドレスコードで服装を選ぶように、好みの焦点距離を楽しく選んでいただければうれしいです。



レンズ選びをファッションに例えるあたり、ダンディーでファッショナブルな大曽根さんらしいなぁと思いました。50mmF2がどんなシーンにも似合うフォーマルなら、45mmF2.8はカジュアル、17mmF4はスポーツウェアかな…と想像が膨らみました。コロナ禍でしばらくイベントを控えていたシグマさんも、すでに製品体験会などを再開しています。まだIシリーズに触れたことがない方は、ぜひその質感を確かめてほしいと思います。

鹿野貴司 しかのたかし 1974年東京都生まれ。多摩美術大学映像コース卒業。さまざまな職業を経て、広告や雑誌の撮影を手掛ける。著書『いい写真を取る100の方法』が玄光社から発売中。 この著者の記事一覧はこちら