サイトガイドのナオヤの声を頼りに、アメリカのフィッシャー・タワーズのクライミングに挑戦するコバ(C) Life Is Climbing 製作委員会

視力を失ったクライマー小林幸一郎、通称コバ。競技者として、2006年に世界初のパラクライミングワールドカップに出場し、視覚障害クラスで優勝。2014年から2019年(46〜51歳)まで、鈴木直也(ナオヤ)をサイトガイドに迎え、パラクライミング世界選手権視覚障害男子B1クラス(全盲)にて4連覇を達成。そして今年3月に開催されたパラクライミング日本選手権出場をもって現役の引退を表明した。まさに日本が世界に誇るパラクライミング界のレジェンドである。

2019年に世界選手権4連覇を成し遂げたコバと相棒のナオヤが、次の目標に掲げたのが、アメリカ・ユタ州の大地に聳(そび)え立つ真っ赤な砂岩フィッシャー・タワーズの尖塔(せんとう)に立つことだった。

そんなふたりのチャレンジに密着したドキュメンタリー映画『ライフ・イズ・クライミング』が5月12日より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて全国公開される。そこで今回は、大人が夢中になれるものとは何なのか、なぜ彼はチャレンジをするのかなど、ビジネスマンにも重なるような話を通じて、彼の生きざまに迫った。

夢中になれる人・なれない人がいる

コバが代表を務めるNPO法人モンキーマジックが開催する「交流型クライミングイベント」には、健常者も障害者も、大人も子どもも広く参加している。


コバの練習風景。ジムにいる女の子もサイトガイドのお手伝い(C) Life Is Climbing 製作委員会

「子どもはわりと誰でも夢中になってやってくれるんですよ。でも大人になると、夢中になれる人と夢中になれない人の差をものすごく感じますね。大人が真剣に悔しがったり、喜んだりするような姿を見る機会ってあまりないじゃないですか。だってクライミングって生産性ゼロなんですから。もう自己満足でしかない」

「だからといって“もういい年なんだから”という言葉を出すと、人生を楽しむとか、豊かにするというようなことがどんどん削られていくような気がするんです。僕は岩を登るとき、足が地上から離れた瞬間、頭の中は登ること以外、一切考えてない。いわゆるビジネスの世界で言うところのマインドフルネスですよね。登って足が地上から離れた瞬間に、人はもう上に行こうとしか考えなくなるから。ほかの一切を捨てて、その瞬間にストレスフリーな状態になるんです」

健常者が思い浮かべるクライミング像といえば、クライマーがひとりで山に向き合い、黙々と登り続けていく姿だと思うが、パラクライミングは、サイト(視覚)ガイドとクライマーがペアとなって実施。

サイトガイドが「右手、1時半、遠め。右、右、右!」など、登るために必要な「方向」「距離」「ホールドの形」などの情報を伝え、クライマーがその情報を頼りに登ることで成立する。遠くから聞こえる相棒の声を自分の目のように頼り、8の字結びのロープでつながり、命をゆだねて岩を登る。むしろチーム競技ともいうべきものだと言える。


2人はフォルクスワーゲンの白いキャンパーバンに乗ってアメリカの旅に向かう(C) Life Is Climbing 製作委員会

誰であっても分け隔てなく接する

「自分の中では、この映画の主人公はサイトガイドの鈴木直也だと思うんです。この人は相手が障害があろうが、外国人だろうが子どもだろうが、誰であっても、分け隔てなく同じように付き合い、人生を楽しんでいる。そしてそれがまわりの人に笑顔をもたらすわけですが、それこそ人が本来あるべき姿じゃないかと思うんです。そういう意味で映画をご覧になる方が自分と重ねられるのって、ナオヤの姿だと思うんですよね」


サイトガイドのナオヤ(左)とコバ(右) (C) Life Is Climbing 製作委員会

本作の監督を務めたのは、テレビ番組「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ系)で小林を密着取材した中原想吉。もともとはアメリカでのクライミングを短い映像でまとめ、それを世界に向けて配信できないかというのがはじまりだった。

そこでコバたちが中原監督に撮影を依頼したところ、中原監督から「せっかくなら映画にしませんか?」と逆に提案されたことで映画の企画がスタートした。

「僕たちが最初に監督に話を持ちかけたときは、こんな壮大な話になるなんて思ってもみなかった。僕らはただフィッシャー・タワーズの頂上に行く映像を撮りたいね、というだけだったんで。今の時代は、人との関係が希薄になったり、新しいことへの挑戦に気がひけてしまいがちですけど、だからこそ、自分の人生と重ねて考えられるような映画になってほしい。
実際、この映画はクライミング映画でもなければ、福祉の映画でもない。僕らが旅をしていく中で、人生ってもっと楽しいんじゃないかと見つけていくような映画だと思っています」

16歳の時にクライミングに魅せられたコバだったが、そんな彼が進行性の病気である「網膜色素変性症」を発症したのは28歳のこと。それまで見えていたものが、徐々に見えなくなっていくと診断され「一瞬にして、今までの人生がすべてがれきと化してしまったようだった」という。

先の見えない不安に押しつぶされそうな日々を送っていた彼だったが、リハビリテーションセンターのケースワーカーから「あなたがやりたいことをやりなさい。あなたが自分自身の生き方を見つけ、あなたの人生を生きるのです」と言葉をかけられたことや、全盲のクライマーとして初めて世界7大陸の最高峰を制覇したエリック・ヴァイエンマイヤーとの出会いによって、しだいに自分の生きる意味を見つけていった。

人生を変えた出会い

「僕はすごく幸運な人間だと思います。たまたまの出会いでしたから。もちろんそのケースワーカーさんにかけられた言葉というのも、人によっては突き放されたような感じがして、受け入れられない方もいると思うんです。

でも僕の場合は、それがたまたま自分にとっての荷物を降ろしてくれるような言葉だった。エリックとの出会いもそう。たまたま彼が(メールに)返事をしてくれたから、彼に会うことができた。そういうふうに、たまたまが重なったものを逃がさずにできたのは、本当に運がよかったと思います」

エリックとの出会いは、コバの人生を大きく変えた。クライミングなら、障害があってもなくても、誰でも楽しむことができる。なら自分も日本で障害者にクライミングを教えたい。

「もし日本にそれが行われてないなら、それをやるのがコバの仕事なんじゃない?」。エリックが背中を押してくれたこともあり、「見えない壁だって、越えられる。」をコンセプトにしたNPO法人モンキーマジックを立ち上げることになる。

「2005年にNPO法人を立ち上げてからもう18年。よくここまで続いたなという感じではあるんですけれども。ただ、わたしがNPO法人の代表ですという話をすると、いまだに『小林さんの本業は何なんですか?』と聞かれることがあるんですよ。

だから『わたしはこのNPO法人モンキーマジックが仕事です。これで食べてます』というお話をするんです。ただどこかからお金をもらえるわけでもないので必死ですよね。日々のお金をつくるのにどうしたらいいのか、知恵をしぼり続けないといけないので。やはりアメリカと日本には寄付文化の違いがあって。社会がコミュニティーを支えていくという意識に違いは感じますね」

モンキーマジックが行っている「交流型クライミングイベント」は、障害の有無に関係なく、同じ場所、同じルールで楽しむことができる。そこでは健常者と障害者が「助ける・助けられる」の関係ではなく、同じクライミング仲間として「助け合い・楽しむ」ことができる場所となっている。

「今はこの『交流型クライミングイベント』を全国に広げて、全国47都道府県、すべてに持っていこうとしています。ここは障害者と障害のない人がクライミングというスポーツを通じて、同じ立場でみんなで楽しもうという場所。これは自分にとってあるべき社会の縮図だと思う。

そしてこの場所を体験した人たちが、それぞれ自分のコミュニティーに帰って、ここで経験したことをまた別の形で広げていく。そういうふうに着地できたらいいなと思います」

過去の経験はすべてつながっている

NPO法人を立ち上げる前は、旅行会社やアウトドアの会社に勤めていたというコバ。彼の自立心や、コミュニケーション能力、行動力などは、ビジネスマン時代の経験が生きているようにも思われる。

「NPO法人を立ち上げたこともそうですけど、過去の経験は全部、線になって今につながっているなと感じますね。会社に行っていたころは、毎朝起きると『今日、課長休んでないかな』と思うような日々をすごしていたわけです。ああいう経験はものすごく生きているなと思います。それが結果、障害者と健常者、両方の視点から見ることができるようになったわけですから」

とにかく“好奇心と行動力”の人である。エリックの著書を読んで「この人に会いたい」と思ったら、とりあえずアポを取ってみて、アメリカ・コロラドの自宅に会いに行く。そしてそのエリックから突如、イベントがあるから来ない?と誘われれば、お金がなくともまずは行きたいと声を挙げ、それから何とか行ける方法を見つけ出す。

たまっているマイルで渡航することもあったし、寄付文化が根付いている海外では、時に手を差し伸べてくれる友人も現れた。だがそれができるのは彼が行動したからこそである。

今やれることはやっておきたい

「高校3年生のときに、いちばんの親友が脳梗塞で突然亡くなったんです。それから2年後に自分の父親も亡くなったんですが、離れて暮らしていたので、それを知ったのは新聞の訃報欄でした。だから心のどこかで、人はいつ死ぬかわからないと思っているところはあると思うんです。もちろんそれほど刹那的に生きてるとは思わないんですが、でも今やれることはやっておかないともったいないなと」

そんなコバにとってこの映画は「人生の宝物」だという。

「人生の中の宝物が1つ増えました。僕みたいな人間の映画が世の中に出ていくなんて、人生に1回のことだから。しかもこの映像はずっと残って、たくさんの人に見続けてもらえる。そういう意味で、生きている自分がそこに描かれているのは本当に大きくて。特に言葉の力が描かれているのは大きい。やはり見えない自分にとっては言葉と音がすごく大事なので。僕にとっては本当に宝物ですね」

なお、視覚障害者が映画を楽しむためには、画面に映るものを補足的に説明する「音声ガイド」が必要となるが、当然のごとく本作でも劇場公開にあたり、(携帯端末で使用する)UDキャストの「音声ガイド」が提供される。

「そういう意味で僕は(取材日の)つい2週間前にようやく自分の映画の全貌を知ることができたんですよ。それまでももちろん観てはいたんですが、それは僕にとって音とセリフしか聞こえないものだった。

とにかくUDキャストの音声ガイドってすごくいいんです。スクリーンに映し出されるアメリカの景色を、どこまでも奥行きがあるような、3次元の言葉にしてくれてるので。むしろ逆に健常者の人も副音声ガイドを聞いてもらいたいです」

(壬生 智裕 : 映画ライター)