インフレと不景気が同時にやって来る…日本がドイツのように「脱原発」を強行すべきでないと言える理由
■ドイツで異例の「賃上げスト」が相次いでいる
ドイツで4月20日から21日にかけて、大規模な賃上げストライキが行われた。まず、さまざまな職業の労働者団体が合併して2001年に設立された統一サービス産業労組「ヴェルディ(Ver.di)」が、ハンブルク空港など4つの空港の保安警備職員にストへの参加を呼び掛け、ハンブルク空港だけで8万人の利用者に影響があった模様だ。
また21日午前中には、鉄道交通労組(EVG)に加盟する旧国鉄のドイツ鉄道(DB)や、地方の公共交通機関など約50社の労働者によるストが行われた。EVGは経営側に対して12%または月額650ユーロ(約9万6000円)の賃上げを要求、またDBは5%の昇給と2500ユーロ(約37万円)の一時金の支払いを求めている。
EVGは4月25日に、またVer.diは27日から28日かけて次回の労使交渉を予定している。近年のドイツでここまで大掛かりの賃上げデモが行われることは、極めてまれである。
■消費者物価は前年比6.9%上昇
その最大の理由は、物価の急上昇にある。ヨーロッパの中でも物価が安定していることで知られたドイツの消費者物価だが、2022年は6.9%も上昇した(図表1)。
1990年、東西ドイツが統一した(ドイツ再統一)。その際、旧東ドイツの復興需要の増大から、再統一後のドイツの消費者物価は1992年に5.1%にまで上昇が加速した。5%台のインフレを経験したのは西ドイツ時代の1982年以来10年ぶりのことだが、2022年のインフレはそのときよりもさらにひどかったことになる。
過去の高インフレを経験していない「働き盛り」の労働者にとり、2022年のインフレは強烈な体験だったはずだ。Ver.diやEVGといったドイツの労組が大幅な賃上げを要求すること自体、致し方がないことといえる。労組側の賃上げ要求の全てを経営側が受け入れることはないだろうが、相応の賃上げは行われることになるのではないか。
■警戒される賃金・物価スパイラル
そもそも賃上げは、物価の上昇に遅行する。物価が上昇したなら賃金が増加しなければ生活が苦しくなるため、労働者とすれば賃上げを要求することは当然である。難しいのが、賃金が増加すると、それが企業の生産コストを増加させ、家計の需要も刺激してしまうことだ。つまり、賃金の増加は、需要を刺激し、さらなる物価の上昇につながる。
こうした賃金・物価スパイラルが生じると、インフレが粘着性を強めるため、物価はなかなか安定化しない。さらに、物価上昇に賃金増が追い付かないため、個人消費が圧迫され続けることになる。結果的に、物価高進と景気停滞が併存する状況、すなわちスタグフレーションが定着することになる。こうなると、状況は厄介である。
■ドイツが「物価の安定」に注力してきたワケ
ドイツは、物価の安定を最優先とする経済運営を貫いてきたことで知られる。
第1次大戦後、巨額の賠償金を捻出するために、当時の中銀であるドイツ帝国銀行が金融緩和を強化した結果、ドイツはハイパーインフレに陥った。それが後のナチス政権の誕生の一因となった苦い記憶から、戦後のドイツは物価の安定に注力してきた。
特に、戦後の西ドイツ、そして1999年のユーロ加盟までのドイツの金融政策の担い手であったドイツ連邦銀行は、世界でも有数のタカ派の中銀として知られていた。その伝統は現代でも生きており、ユーロ加盟後もドイツ連銀総裁は、欧州中銀(ECB)の理事会において、物価の安定を最優先とするタカ派の立場から一定の影響力も持つ。
また物価の安定は、ドイツ政府が健全財政を志向する大きな理由の一つにもなっている。いたずらな財政の拡張は、景気を刺激して、インフレを加速させるからである。ユーロ加盟で金融政策の自律性を失った以上、財政政策を引き締めることでしか、物価の安定を図ることはできない。そのためドイツは、健全財政を志向してきた面も大きい。
■エネルギー価格が高騰する中、ショルツ政権は脱原発を優先
2022年後半から、欧米を中心に世界の中銀は利上げを続けている。つまり、金融政策については、インフレにブレーキをかけようとしているわけだ。物価の安定を最優先とするなら、財政政策も金融政策に協調して引き締められるべきだが、各国の政府は、景気の過度な冷え込みを恐れて、インフレ対策として補助金の給付を増やすなどしている。
ドイツのオラフ・ショルツ連立政権もまた、補助金の給付でエネルギー価格の引き下げに努めている。一方で、ショルツ政権は2023年4月15日をもって、国内で稼働していた3基の原発を送電網から切り離し、脱原発を完了した。国民の声はこのタイミングでの脱原発には慎重だったが、ショルツ政権がそれを押し切ったかたちである。
電源構成の6%に過ぎない原発を停止したころで影響は限定的だという見方は楽観的過ぎる。言い換えれば、6%の安定した電源をドイツは失ったことになる。
■「物価の安定」より「脱炭素・脱ロシア」
一方で、ショルツ政権が電源構成の中核に据える再エネの出力は、気象条件に大きく左右される。風や日照、水量が不足すれば、発電量は減少せざるを得ない。本質的に再エネは不安定だ。
それに再エネを補うガス火力も、パイプラインを通じたロシア産天然ガスの利用をさらに削減するため、今後は液化天然ガス(LNG)への依存を高めることになる。LNGは市況性が強いため、価格が高騰するリスクを抱える。国内に豊富に存在する石炭を使わないなら、ドイツの火力発電はこうした脆弱(ぜいじゃく)性を抱え続けることになる。
そもそもショルツ政権は、脱炭素と脱ロシアにかなうとして再エネ投資を後押ししている。こうした再エネ投資はドイツの景気を下支えしているが、反面でドイツのインフレを促してもいる。つまりショルツ政権が推進するエネルギー戦略は、物価の安定という、ドイツ政府が伝統的に重視してきた経済観と相反する性格を強く持っているのである。
■物価高に苦しむドイツ国民は置き去り
2022年のインフレが歴史的なひどさだったからこそ、労組は賃上げを要求している。とはいえ、賃上げはかえって物価の安定を阻み、家計の対する圧迫を強める恐れがある。財政を緊縮させずにインフレ圧力を和らげようとするなら、ショルツ政権はエネルギーの安定供給に努めるべきだったが、それと真逆の決断を行ったことになる。
歴史的なインフレを受けて、ドイツの世論は、脱原発の延期を支持するように、風向きを変えていた。最大野党であるキリスト教民主同盟(CDU)と姉妹政党の同社会同盟(CSU)のみならず、ショルツ政権に第3党として参加する自由民主党(FDP)もまた、電力供給の安定を優先し、原発の時限的な稼働の延長を模索していた。
にもかかわらず、ショルツ政権は、高インフレ下での脱原発という決断を下したわけだ。この決断を、ドイツの有権者はどう判断するのだろうか。次期のドイツの総選挙は2025年10月より前を予定しているが、この間にドイツの物価が安定し、また経済の活力も十分に回復したと有権者が評価すれば、ショルツ政権は続投となるだろう。
■政権に逆風が吹き始めている
しかし足元の各政党の支持率を確認すると、ショルツ政権には厳しい逆風が吹いている。特に、ショルツ首相を擁する社会民主党(SPD)と同盟90/緑の党(B90/Gr)という脱原発をけん引した両党は、支持率が低下している。代わってCDU/CSUが支持率を伸ばしており、また極右の「ドイツのための選択肢(AfD)」も復調している(図表2)。
このタイミングでの脱原発は、やはり、ドイツの社会経済に禍根を残す決断になるのではないだろうか。日本もまた、脱炭素化の取り組みに注力しているが、一方で最優先されるべきは、経済の血液であるエネルギーを安定的に供給することに他ならない。当たり前のことであるが、脱炭素化の潮流の中で、その当たり前が軽視されてはならない。
(寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です)
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土田 陽介(つちだ・ようすけ)
三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員
1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。
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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員 土田 陽介)