精神的な支柱になってきた年上メンバーたち(写真:Johnny Nunez/GettyImages)

BTSのメンバー・Vが、今年3月に韓国ソウルでおこなわれたコンサートで言及し、過去にRM(アールエム)も読んだと言われている詩集『愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように』。

前回の記事では、「推しとファンの関係性」やBTSの人気の秘密について多くの発信をしている教育者の鳥羽和久氏に、改めてBTSの魅力や、彼らと文学の関係などについて話を聞いた。ここからは、詩集の中から鳥羽氏に7人のメンバーそれぞれのイメージに合う詩を選んでもらい、詩を読み解きながら、彼らの個性の奥深さに触れていく。

BTSがスターダムに登りつめたのは、チームとしての連帯の強さはもとより、個々のメンバーの突出した実力と独自性が理由なのは言うまでもない。

本稿ではチームの中でも年上メンバーであるJIN(ジン)、SUGA(シュガ)、RM、J-HOPE(ジェイホープ)の4人を紹介しよう。

JIN――執着を持たず日々を生き切る

人生の階段

花がみなしぼみ

青春が歳月に屈服するように

どのような人生の過程や知恵、悟りも

そのときどきに咲いては枯れる花のように

永遠には続かない。

人生に呼びかけられるたびに心は悲しまず

新たな扉に向かって歩いていけるよう

別れと再出発の覚悟をしなければならない。

およそあらゆる始まりには

神秘的な力が宿っている。

それが私たちを守り、生きることを支えてくれる。

私たちは空間を1つひとつ

通り抜けていかなければならない。

どの地にも故郷に抱くような執着をもってはならない。

宇宙の精神は私たちをとらえようとも縛りつけようともせず

私たちを一段一段高め、広げようとする。

旅に出る用意のできている者だけが

みずからを縛りつけている束縛から解き放たれるだろう。

そうすれば死を迎えるときにもなお新たな場所に向かって

ほがらかに旅立てるだろう。

私たちを呼ぶ人生の叫び声はけっして

途絶えることがないだろう。

それでいいのだ、心よ

別れを告げ、すこやかであれ。

─―ヘルマン・ヘッセ

BTSのもっとも年上メンバーであるJINは、人生の階段を大切にしながらも、執着を持たずに生きることを努めて意識している人です。動画を観ていると、よく「嫌なことはすぐに忘れるようにする」「良いことも悪いことも軽く考える」というようなことを言っています。彼は何も考えていないようで、考えないことをあえて選ぶという強さを持ち合わせている。もちろん悩むこともあるけれど、その姿は「BTSのJIN」としてはファンに見せなくていい、とも話している。デビュー当時はたびたび涙を見せていた彼が、弱さを見せずに明るさばかりを振りまくようになったのはその覚悟のあらわれです。


JINのこのような姿勢が、詩の中にある「どの地にも故郷に抱くような執着をもってはならない」という言葉にリンクします。執着を身にまとわないことが、私たちの人生における「呼び声」を聞き分けるために必要なのだということを、彼は知っているのでしょう。

BTSというチームは表現者の集まりで、メンバーそれぞれが別の表現を持っていることが魅力です。しかし、チームに表現者しかいないと行き詰まります。JINはBTSのボーカルとしてれっきとした表現者ではあるものの、同時に、生活者の視線のようなものを持っている。彼はその繊細で冷静な目線で、物事をあるがままに受け取ってきました。

チームが表現者だけだと、その表現が聞く人の生活や感情に根づきにくい。JINの生活者の目線があるからこそ、チームとしてのメッセージに説得力が出るし、表現に広がりや深みが増す。ここにBTSの大きな魅力があります。また、「そんなに深刻にならなくてもいい」という考え方を持った人が、しかも、温かい愛情を秘めたユーモアあふれる人が、年長者を敬う韓国社会において「チームの長男」だったことは、大きなプラスだろうと思います。

SUGA――「苦悩」をエネルギーに変換

人生を1つの模様として見てみなさい

幸せと苦しみは

ほかのこまごました事件とまざりあい

精巧な模様を織りなして

試練もその模様をつくり上げる色になる

だから最後の瞬間が近づいてきたとき私たちは

その模様の完成を喜ぶのだ

――映画『キルトに綴る愛』より

この詩はSUGAそのものという感じがします。彼は、私の中では「幸せ」と「苦しみ」のアンビバレンスの象徴のような存在であり、それがBTSというチームが放つメッセージの中心にあると思います。

彼自身、そのアンビバレンスについて語り続けてきましたが、それをネガティブにとらえる向きがあることはいささか残念です。実際に、今年の「防弾会食」では、「この仕事をしながら、楽しかった瞬間のほうがずっと多いけれど、本当につらかった瞬間もすごく多い」という発言が誤解されました。幸せや喜びだけを手にすることなんてできないし、それではむしろつまらないと、彼は思っているのですが。

変にポジティブすぎるメッセージは、リアリティがありません。子どもを持つ親の中には「うちの子には楽しいことや好きなことだけやってほしい」という人もいますが、それだけしかやっていない大人なんていないじゃないですか。むしろ、幸せと苦しみが混ざり合っているからこそリアルなわけで、そういうネガティブな面をまったくごまかさずにデビュー当時から伝えてきたのが、BTSの楽曲です。大人は自分の人生を漂白したい願望があるのか、子どもにきれいな部分だけ伝えようとするところがあります。SUGAの一貫したアンビバレントな姿勢は、そういう大人の虚偽に対するカウンターになっているのです。

今年6月にリリースされた『Yet To Come(The Most Beautiful Moment)』のMVでは、砂漠に立つメンバーたちが映し出されます。彼らはそこで波の音に耳を澄ませながら、砂漠に居続けようとします。

BTSの楽曲において海と砂漠の比喩は希望と絶望の象徴として何度も登場してきました。このMVが語るのは、彼らが波打ち際に立ち続ける意志です。つまり、この世界ははじめから絶望であり、試練が絶えないけれども、それをごまかして安楽に浸ることはせずに、その現実世界のリアリティのままに幸せと苦しみを味わっていきたいという誓いがこの曲とMVには込められています。まさにBTSのアンビバレンスを凝縮したメッセージがそこには詰まっていました。

RM――貪欲に新しい表現を模索する

沈黙の音

存在の言語で会いましょう。

衝突と感覚と直感で。

私はあなたを定義し、分類する必要がありません。

あなたの表面だけを知りたいわけではないのですから。

沈黙の中で私の心が

あなたの美しさを映し出す。

それだけで十分です。

手に入れたいと欲するのではなく

あなたに会いたいというこの思い

その思いは

ありのままの私たちを許してくれます。

一緒に流れていこうと、1人で留まろうと自由です。

私は時間と空間を越えて

あなたを感じられるのですから。

─―クラーク・ムスターカス

RMは、BTSに加入する前からラッパーとして活動していましたが、ヒップホップは、その音楽が好きな人はもちろん、言葉をどうとらえるかということを煮詰めて考える人たちが生業(なりわい)とするジャンルだと思います。彼は特に言葉で表現する人なので、その伝える手段としてヒップホップを選んだのは理解できます。

ただ、今後はその表現方法が必ずしも音楽だけであるとはかぎらないと彼は発言しています。最近は以前から興味のあった現代アートに傾倒し、美術館に足を運んではその様子をインスタグラムなどにアップして、世界中のアート界隈をざわつかせています。

この詩「沈黙の音」は、「存在の言語で会いましょう。衝突と感覚と直感で」という一節から始まりますが、まさに今後RMが向かう世界観ではないかと思いました。彼が今後、歌詞以外に、詩や小説を書くようになったとしても、または抽象画を描くようになったとしても不思議ではありません。

言葉とアートの世界は、つながっています。言葉は意味作用を持つ部分が注目されがちですが、一方で遊戯作用もあり、それを担っているのが「詩」なのです。詩というのは、自明とされる言葉の意味を宙吊りにして、言葉の戯れだけを楽しむことができるジャンルです。つまり、言葉を通して抽象を扱うことができるのです。彼らの音楽の原点であるヒップホップは韻を踏むことが特徴ですが、やはりその中には、言葉を物質的に扱うだけで、意味がない戯れの場合があります。BTSの歌詞の中にもたびたび言葉遊びが出てきますよね。

こういう言語の物質的作用とアートの抽象性は完全に連動しており、RMは言葉とアートをある面ではつなげて考えているのだろうと思います。彼が言葉を紡ぐとき、今後はますます「存在の言語」を目指した表現を追求していくことになるでしょう。

J-HOPE――真摯に「喜び」を体現する

イヌイットの歌

夜が明けて太陽が空の屋根の上に昇ってくると

私の心は喜びでいっぱいになります。

その冬に人生は驚きで満ちていました。

でも冬が私に幸せをもたらしてくれたでしょうか。

いいえ、靴と床に敷く皮を調達するために

いつも心配ばかりしていました。

十分に使えるだけの皮があるときも

そうです、私はいつも心配をかかえて暮らしていました。

その夏に人生は驚きで満ちていました。

でも夏が私を幸せにしたでしょうか。

いいえ、トナカイの皮と床に敷く毛皮を調達するために

いつも心配ばかりしていました。

そうです、私はいつも心配をかかえて暮らしていました。

氷上の魚釣りの穴の横に立っているとき

人生は驚きで満ちていました。

しかし、魚釣りの穴の隣で待ち続けながら

私は幸せだったでしょうか。

いいえ、魚が釣れないんじゃないかと

いつも細い釣り針を心配していました。

そうです、私はいつも心配をかかえて暮らしていました。

祝いの席で踊りを踊るとき人生は驚きに満ちていました。

でも踊りを踊ったからといって

私はもっと幸せだったでしょうか。

いいえ、歌を忘れてしまうんじゃないかと

いつもひやひやしていました。

そうです、私はいつも心配をかかえて暮らしていました。

教えてください。

人生は本当に驚きに満ちているのか。

それでも私の心はまだ喜びであふれています。

夜が明けてきて太陽が空の屋根の上に昇ってくると。

─―イヌイット族の伝統的な歌

この詩の中でイヌイットたちは生活のこまごましたことについて、あらゆることを心配しています。でも、その心配とは無関係に、人生は驚きと喜びに満ちあふれているのです。この矛盾にこそ、人生の大いなる幸福のヒントがある。この詩はそのことを示唆しています。

J-HOPEは、心配性で怖がりな人として知られています。でも、それなのにAMRYたちから「私たちの希望」「私たちの太陽」と呼ばれる彼は、「夜が明けて太陽が空の屋根の上に昇ってくると 私の心は喜びでいっぱいに」なる人なのではないでしょうか。この詩を読んで私はすぐに、ホビの明るい笑顔が頭に浮かびました。本当にこの世界にこの笑顔があってよかったと、思わずありがたい気持ちにもなります。

実は、いちばん「熱い」人

ホビはメンバーの中でも実は一番熱い人なのでは?と思っていたのですが、先ごろのソロ活動でそれが証明されてしまった感があります。初期のころから、パフォーマンスに対するストイックさは人一倍でした。BTSのダンスの屋台骨になってきたのは彼で、それを成し得たのは、誰よりもパフォーマンスとメンバーに対する熱い情熱があったからこそでしょう。

J-HOPEは、メンバーから「欠点がないのが欠点」とも言われるほど、いつも明るくチームのムードメーカーで、常にメンバー間の調整役に努める配慮の人です。言葉よりも先に、行動で示す人です。そんな彼がファンにとって太陽のような存在であるのは、きっと彼が人生の中で不安にさいなまれながらも、いつでも驚きや喜びを見出す心を忘れない人だからでしょう。私たちはそんな彼を通して、人生の幸福に触れることができるのです。

(構成:能井聡子)

(鳥羽 和久 : 教育者、作家)