世界で注目される「日本の着物」の魅力とは?(写真:Ushico/PIXTA)

世界各地に、その土地の風土や暮らしに根付いた個性豊かな民族衣装がある中で、日本の着物は世界的にもユニークな伝統衣装の1つとして知られています。

私が海外旅行に出かけた際、着物を着て外を歩いていたら、「日本から来たのですか?」と笑顔で声をかけられたことが何度もありました。日本国内でも、旅行に来ている外国人から電車の中やレストランなどで、「着物、ステキですね」などとよく声をかけられ、いろいろと質問もされます。

2019年までは京都や浅草などの観光地では多くの外国人旅行客がレンタル着物を楽しんだり、リサイクル着物をお土産に購入したりしていました。少し前の話となりますが2020年2月にはイギリスのロンドンで着物展「Kimono:Kyoto to Catwalk」が開かれました。実はロンドンには日本の着物専門店があり、着物愛好家たちがいます。NHKの番組でこれについての特集が組まれたこともありました。

拙著『世界のビジネスエリートを魅了する 教養としての着物』でも詳しく解説していますが、着物には色や柄、素材など、1000年の時をかけて日本人が育んできた美意識が凝縮しています。また、モノを大切にして使い切るリサイクル、エコロジーな知恵もたくさん詰まっています。

知っておきたい着物の基礎知識

そもそも着物がどのように作られているかをご存じでしょうか。

着物がユニークな衣装である理由の1つは、描かれた柄にあります。

四季の花を細やかに散りばめた着物、源氏物語のような平安貴族の邸宅や庭を描いた着物、里山や漁村など日本の原風景を呼び起こす着物など、時に細やかに、時に大胆に、着物に描かれた柄はまさに絵画そのものです。

着物に絵画のような絵柄を入れられる理由は、着物が長方形の平面の布8枚をつなげて作られていて、絵を描くスペースがあるからです。平面の布を縫い合わせて、丸みのある人間の身体に合わせて着ていく服が着物なのです。

どれくらい大きな絵を描くことができるのかと言うと、巻きスカート状になっている裾まわりを広げると、横150センチメートル、縦80センチメートルほどの広さにもなります。肩から裾へ、また肩から袖へとつなげることでも縦長の一枚絵をデザインすることができます。


着物や帯はたたむと小さいのですが実は大きな絵が描かれているのです(写真:kie/PIXTA)

帯も、着物と比べると面積は狭くなりますが、やはり平面の布なので、絵を描くことができます。着物を着ることは、まるで大きなキャンバスを2〜3枚着ているようなものなのです。洋服は、人の身体に合わせた立体裁断なので、絵を描けるスペースは多くありません。着物のように、大きく絵を描ける衣装は珍しいのです。

そんな着物は何でできているのでしょうか?

「コットン?」「ポリエステル?」

正確に答えられる人はきっと少ないでしょう。

着物や帯の9割は絹=シルクでできています。残り1割がウール、木綿、麻、ポリエステルなどです。

家で家事をしたり、仕事をしたりする時には、着心地の良い木綿やウールが、夏の着物には涼しい麻が愛用されてきました。最近は、ポリエステルの着物も増えてきています。ポリエステルの着物は自宅でも洗濯しやすいため、「洗える着物」「雨の日でも着られる着物」として人気があります。

それでも今も、着物の多くが絹で作られています。絹の着物を着て外を歩くと、陽の光の下で色がパッと明るくなります。歩くと袖や袖の布が柔らかに揺れます。着てみると見た目の印象よりもずっと軽く、しっとりなめらかで肌にも優しい。繊細で美しいのに丈夫で長持ちすることも絹の特徴です。

絹布は、世界各地で古くから高級品として扱われてきました。王族貴族など身分の高い人たちしか着ることが許されなかった時代も長くありました。

「着物は絹、シルクでできています」と答えると、海外の方からは「シルク!とっても綺麗!」と驚かれ、羨望のまなざしを向けられることも多いのです。

普段着としてもこうして絹を着ることができるんだなんて、着物はなんてステキな衣装だろうと思うのです。

今の着物スタイルが生まれたのは江戸時代以降

日本の着物の歴史を紐解くと平安時代にまでさかのぼり、1000年の歴史があることがわかります。奈良時代まで、日本の衣服は中国の影響を強く受けていました。

当時の朝廷が中国の隋の国に遣隋使を、唐になると遣唐使を派遣し、中国の政治や文化を学ぼうとしていました。服装も唐風文化と呼ばれ、中国から影響を受けたものでした。

それが大きく変わったのが平安時代。遣唐使が廃止され、国風文化と呼ばれる日本の気候風土にあった文化が花開きます。また、摂関政治に移行した後は、政治的な話し合いが天皇の御前で座って行われるようになります。こうして、女性も男性も、十二単のような、袖や裾が長いゆったりとした服を着るようになります。この時、外側に着ていたものを大袖、内側に着ていた大袖より袖の小さな下着を小袖と言いました。

この大袖の下着だった小袖が、現在の着物の原型です。小袖の定義は、上下一体となった前開きの服を、別の布で結び留めたもの。このシンプルな服が、着物の原点です。

鎌倉時代から小袖だけで着る習慣が広がり、江戸時代初期に一般の町民から武家まで日常の衣服として小袖が一般的になります。江戸や大坂などの都市が発展した時、町人達の暮らしに小袖はぴったりだったのです。

構えて肩肘張る必要もない

その後、江戸時代から小袖の袖が長くなったり、結び留めていた布が豪華になって帯になったり、帯の結び方が変わったり、中に重ね着をしたりと、変化していきます。

ですから、着物は1000年、同じ形で同じ着方をされていたわけではないのです。私たちが着物だと考えているものは、比較的新しいスタイルの着物なのです。

このように、時代とともに変化してきたのが着物ですが、歴史ある着物について知っている人も着物を着る人も日本では少数派です。着物は晴れ舞台の時に着るもの、伝統的作法にのっとって着こなすものという認識が戦後に広がり、ハードルが高くなってしまったためと考えられています。


ただ、そのような場で、少し着方を間違えていたり、TPOと合わないものを着てしまっても、その場で怒られたりするということもありません。「より相応しい装い」はあっても、「間違った装い」はよほどのシーンでなければないからです。

令和に入った現代では、自分らしさを表現するファッションの1つとして着物を着こなす人もいます。日常着として気軽に着たり、洋服のアイテムと組み合わせたり、自分なりの着こなしを楽しんでいるのです。

休日にちょっとしたお出かけの際に着物を着て、普段と違う感覚を楽しんだり、和柄を楽しんだりすることから着物を始めてもいい。「晴れの舞台だけ」に構えて肩肘張らなければ着られない衣装では決してなく、せっかくの日本の伝統を体験しないのは勿体ないと私は思うのです。

(上杉 惠理子 : 和装イメージコンサルタント、「和創塾 ~きもので魅せる もうひとりの自分~」主宰)