鉄道博物館(さいたま市)は鉄道開業150年を記念し、鉄道の開業・発展によって大きく変わった日本人の「旅」と「鉄道」に関する企画展「鉄道の作った日本の旅150年」を開催する。これに先立ち、7月22日にプレス向けの内覧会が実施された。



「鉄道の作った日本の旅150年」は2期に分けて開催。前期の開催期間は7月23日から10月24日まで、後期の開催期間は10月29日から1月30日までとなっている。前期は鉄道開業前から1940年代までの旅について展示。後期は1950年代から現代までの旅について展示を予定している。あわせて鉄道博物館所蔵の貴重な資料も公開。3週間ごとにテーマを分けて公開するという。

○■鉄道の普及で、旅は広く大衆的なものに

展示会場では、かつて東海道本線の特急列車に使用された151系の先頭車・クロ151「パーラーカー」の区分室が来場者を迎える。

前期の展示は、鉄道開業前の旅から始まる。江戸時代の徒歩による旅に関する絵図や書籍が紹介される。1872(明治5)年の鉄道開業により、人々の行動範囲は大きく広がり、旅のスタイルは大きく変わった。初詣は鉄道によって年中行事となり、月刊時刻表も登場、団体旅行も普及していく。私鉄が鉄道網を北海道から九州まで広げ、長距離列車に食堂車や寝台車も連結されるようになった。













1906(明治36)年、鉄道国有法が成立。その後、私鉄の路線は買収され、国有化される。鉄道が普及し、安全で快適な移動が可能になったことで、旅は広く大衆的なものになっていく。1912(明治45)年に特別急行列車も登場した。

○■大正から昭和初期まで、旅が一般化

大正期に入ると、旅は多くの人々にとって身近になっていった。旅行会社が発足し、沿線案内図やポスター、駅スタンプなどが登場。人々を旅へいざなうようになる。欧亜連絡運輸が開始され、広まっていった鉄道網は、国際ネットワークとも接続するようになった。日本の領土が拡大していく中、朝鮮半島や台湾、樺太への旅も行われる。中国東北部は欧亜連絡の上で重要な位置を占めていた。













外国人観光客の誘致も盛んになる。会場では、欧亜連絡のきっぷや旅行案内書、当時のポスターなど展示された。だが昭和初期以降、時代の変化で旅のありようも変わっていくことになる。

○■終戦の日も、鉄道は動いていた

1937(昭和12)年の日中戦争勃発により、戦時体制に入り、一般国民の旅は制約されるようになる。ただし、1940(昭和15)年は「紀元二千六百年」ということで、伊勢神宮や橿原神宮への参詣が盛んになった。さらに、ハイキングやスキーは「国防のため」体を鍛えるということで生き残る。列車の混雑は激しく、肘掛けを外し、2人掛けの座席に3人が座るようになったという。







戦局が悪化し、旅行の制限が厳しくなる中、鉄道は出征や疎開などの輸送を担うようになった。そして、日本中の時が止まったと言われる1945(昭和20)年8月15日、太平洋戦争が終わった日も、鉄道は動いていた。その日の東北本線列車運行図表が展示されており、遅延や運休がありながらも、列車が運転されていた様子を示している。

同じ日に、米坂線今泉駅で終戦の玉音放送を聴いたときのことを記した宮脇俊三『時刻表昭和史』の文章と、駅の写真を合わせたパネルも展示された。







戦後、買い出しのために多くの人が列車に殺到。復員列車が運行される一方で、連合軍は特別な列車を仕立てることができた。一般客には大きな負担がかかっていたという。これ以降(1950年代〜)の歴史については、後期の展示となる。

○■「人物と鉄道」貴重な資料も公開

「鉄道の作った日本の旅150年」の開催に合わせ、鉄道博物館秘蔵の資料も公開されることになった。7月23日から8月12日までの期間は、「人物と鉄道」をテーマに、井上勝、伊藤博文、十河信二ら鉄道に関わった人物について展示を行う。伊藤博文が書いた笹子トンネル扁額をはじめ、近代日本史に登場する人物と鉄道の関わりが示される。







今回の企画展は、鉄道による長距離移動のすべてを「旅」ととらえ、日本人の「旅」と「鉄道」の関わりと変遷の様子を振り返る内容となっている。