DeNAで8年間プレーした内藤雄太さん【写真:本人提供】

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連載「Restart――戦力外通告からの再出発」第8回、内藤雄太氏はカシマヤ製作所で営業として活躍中

 日本におけるプロスポーツの先駆けであり、長い歴史と人気を誇るプロ野球。数億円の年俸を稼ぎ、華やかにスポットライトを浴びる選手もいる一方、現役生活を終え、次のステージで活躍する「元プロ野球選手」も多くいる。そんな彼らのセカンドキャリアに注目し、第二の人生で奮闘する球界OBにスポットライトを当てる「THE ANSWER」の連載「Restart――戦力外通告からの再出発」。第8回はDeNAで8年間プレーした内藤雄太さん。

 2013年秋、首脳陣から期待の言葉をかけてもらった翌日に戦力外通告を受け、トライアウトを受験するも現役引退を決意。「パソコンでメールも送れなかった」状態から再スタートを切り、現在はバッティンググローブなどの野球用品のほか、子どもが楽しめるおもちゃも扱うカシマヤ製作所で営業として活躍中。成長を遂げた今に至るまでを語ってもらった。(文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

 ◇ ◇ ◇

 内藤さんのプロ野球人生は2013年10月、思わぬ形で終焉を迎えた。

「横須賀の練習で中畑清監督に『来年の春季キャンプは1軍に呼ぶつもりでいるから』と声をかけてもらいました。でもその日、練習を終えて自宅に戻る途中、ちょうど新横浜駅の近くで球団から電話があったんです」

 電話越しに伝えられたのは「明日スーツで球団事務所に来てくれ」との言葉。動揺した。この時期にこの要請、戦力外通告を受ける状況そのものだった。

 中畑監督から声をかけられてから、僅か1時間後のことだった。「まさかクビかな?」「でも、監督に言われてのこのタイミング……」。半信半疑、モヤモヤした状態で翌日を迎えた。球団事務所に向かう途中、同僚投手の吉川輝昭と交差点ですれ違った。スーツ姿だった。

「吉川さん、もしかして……」
「クビだったよ」
「マジですか……」

 事務所では想像通り、来年の契約を結ばない旨を伝えられた。12球団の編成担当らの前で実力を披露するトライアウトの受験意思などを確認され、ほんの数分で話は終わった。自分を評価してくれていた中畑監督らが報道で戦力外を知り、球団に再考するようかけ合ってくれたが、決定は覆らなかった。

 30歳だったため「戦力外の可能性も頭にあった」とはいうが、2011年には開幕戦で中日・浅尾拓也からサヨナラ打を放つなど、内外野を守り自己最多99試合に出場している。ただ翌12年に右手中指と肘の手術を受け、13年は1軍の出場がなかった。トライアウトを受験したが、3日経ってもNPB球団から連絡はなかった。

球界に残らなかった理由「パソコンでメールも送れない…」

 トライアウトを受けるのは1度だけと決めていた。「家族がいましたし、1人だったら何してもいいかもしれないけれど、とにかく生活をしないといけない」。4日後の朝、野球生活で苦労をかけた妻に伝えた。「次の就職先を探します。ありがとうございました」。自分の中で踏ん切りはついていた。

 DeNAからスクールの事業に携わる仕事を打診されるなど、球界に裏方として残るという選択肢もあった。ただ、内藤さんは野球以外なにも知らない自分に不安を覚えていた。

「アルバイトもろくにしたことがないですし、世の中何もわからない人間でその時点まで来てしまった。パソコンでメールも送れない、タイピングも分からない。これはまずいと思って……まずは一度外で働かせてもらい、なおかつ野球も少し関わりながらの方がいいんじゃないかなと考えました」

 セカンドキャリアのスタートとして選んだのは、スポーツ大型専門店「スポーツオーソリティ」での業務。販売スタッフをしつつ、野球教室などで地域貢献にも携わり、2年間で社会人経験を積んだ。その後、2016年1月から現在の勤め先・カシマヤ製作所で働いている。

 転職のきっかけは2015年。以前から米国のFranklin(フランクリン)玩具の日本代理店となっていたカシマヤ製作所が、この年から野球の打撃用手袋「Franklinバッティンググローブ」においても日本総代理店となったことだ。当時は横浜市内のスポーツオーソリティに務めていた内藤さんのもとに、プロ野球選手を紹介してほしいとの依頼があった。

 カシマヤ製作所の社長・西上茂氏とともに、DeNAに在籍していた石川雄洋、筒香嘉智の下を訪問。バッティンググローブを売り込み、使ってもらえることになった。これがきっかけでヘッドハンティングされた内藤さんは「ステップアップになると思い、有難くお話を頂いた」と新しい環境に身を投じることになった。

おもちゃ営業も重要任務「成長させてもらえた」

 カシマヤ製作所は、社員6人の少数精鋭。営業として勤める内藤さんは社長から「プロ野球統括マネージャー」の肩書を拝命している。

 同社ではFranklinのバッティンググローブの他、MLBで活躍したバリー・ボンズ氏が使っていたハードメイプルバットの最高峰「SAM BAT(サムバット)」、日本ハムの新庄ビッグボスが着用していることで話題になった「100%(ワンハンドレッド)」などを扱っており、内藤さんはプロ選手とも密に連絡を取り合っている。

 大事な仕事はもう一つ。同社の売れ筋商品も多数ある「おもちゃ営業」だ。

 ウォーターガンや公園で遊べる親子スポーツグッズ、なわとびのほか、エンゼルスやドジャースのロゴ入りのおもちゃバット、ミニグラブ、ボールも取り扱う。昨年は大谷翔平投手の二刀流での大活躍もあり、エンゼルスグッズの問合せが多数寄せられた。

「(おもちゃバットなどは)野球を始める裾野の子供たち、3〜6歳くらいまでのお子さんと親御さんに人気です。プロ野球選手へとの関わりもありますが、会社としてはおもちゃがメインですから、僕の中では両方を主の業務のつもりで頑張っています」

 天国から地獄に突き落とされた感覚に陥ったあの日から、8年以上が経過した。「何もできなかった男が、経験をさせていただいたおかげで当時から想像できないくらい成長させてもらえた」。自分と同じように、突然プロ野球人生から進路変更を迫られる未来の“後輩”に伝えたいのは「いろんな所に行って、人と会うのは大事」ということ。

「僕もそうでしたが、クビと言われた後は頭が真っ白になったり、何も考えたくないとマイナスな気持ちになると思います。そういった中でも、いろんな方が声をかけてくれて、お話をしてくれる。頭ごなしに断るのではなく、まず聞くというのが大事なんじゃないかと」

 今後はアマチュア球界、草野球を楽しむ選手にも会社で取り扱う用具を広めたい思いがある。「おもちゃの仕事もまだまだ自分だけではできないことが多いですし、まずはより成長したい」。野球しか知らなかった自分もここまで変われた。その事実が、さらなる成長欲を高めている。

■内藤雄太(ないとう・ゆうた)

 1983年11月29日、神奈川県生まれの38歳。横浜商工(現・横浜創学館)では高校通算23本塁打を記録。八戸大では3年春、秋とリーグ三冠王に輝き、4年時には日米大学野球に出場。打率.563で首位打者を獲得した。05年の大学・社会人ドラフト3巡目で横浜入団。2011年の開幕戦では中日・浅尾からサヨナラタイムリーを放つなど99試合に出場した。2013年限りで現役引退。スポーツオーソリティでの勤務を経て、現在はカシマヤ製作所の営業職として活躍している。現役時代の身長・体重は182センチ・84キロ。右投げ左打ち。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)