2021年3月まで日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の理事を務め、いまは女子ゴルフ界発展のため尽力し、自身のゴルフ向上も目指す、女子プロゴルファーの原田香里。まだまだこれからと話すゴルフ人生、そして女子ゴルフ界についての未来を語る。
ゴルフを愛するみなさんこんにちは。原田香里です。開幕したばかりのツアーでは、今年も楽しみな顔ぶれが見られます。彼女たちの活躍を見ると、それぞれがアマチュア時代をどんな風に過ごしてきたのかなと、興味を持つ方もいるでしょう。
今日、お届けする、藤田光里さんとの対談第2弾では、藤田さんと私のゴルフ人生を、アマチュア時代から振り返ります。
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―現在、活躍する女子プロのほとんどが、子供の頃からゴルフに打ち込んでプロになっています。お二人もお父さんの影響でゴルフを始めたということ、ごきょうだいもゴルフをしていたという共通点がありますね?
原田:うちは父(武さん)がのちに練習場も始めてしまうほどのゴルフ好き。兄、私、弟、妹、妹の5人きょうだいなのですが、みんな一応ゴルフはしました。でもプロを目指したのは私だけ。兄も弟も高校受験で辞めちゃいました。父は「オマエにはセンスがあった」と言ってたみたいですが、プロになれ、と言われたことはなかったです。プロゴルファーになってくれたらいいなぁと思っていた、とあとから聞きました。
藤田:5人ですか!? すごい。うちは私、妹、弟の3人ですけど全員、子供の頃からプロを目指していました。
―藤田家では、毎晩“儀式”があったとか?
原田:儀式? なになに?
藤田:毎晩、きょうだい3人が父(孝幸さん=故人)の前で正座して「私(僕)はプロゴルファーになって賞金女王になります」って言わないと寝られない(笑)。
原田:スゴイ!
藤田:原田さんはそういうのなかったですか?
原田:小学校6年生から中学生くらいの頃かな。毎日、素振りをするのは当たり前でしたけど、毎晩、兄と弟と一緒に正座して父の素振りを見る、そして自分たちも順番に素振りをしていく、というのがあったなぁ(笑)。練習場を始めたのは私が実家を離れた高校生の頃ですね。
―“見取り稽古”ってやつですね。
藤田:うちでは妹(1歳下の妹、美里さん)がいちばんセンスあるって言われてたんです。「美里のほうがうまい」って。でもコースに出ると美里は“普通の人”になっちゃう。弟(3歳下の亜久里さん)は今、大学を出てプロを目指しています。
―原田さんは11歳から、藤田さんは3歳からゴルフを始めてらっしゃいます。年齢が28歳違うし、山口県と北海道と育った場所も違ってジュニアゴルフを取り巻く環境も違ったと思いますが、どんなジュニア時代でしたか?
原田:中学時代はテニス部。「ゴルフのためにいいから」と、父に言われて、です。ゴルフの練習はそのあとでしたね。高校ではゴルフをするために京都(平安女学院)に行ったので家を出ています。
藤田:私はきょうだい3人を、ずっと父が教えてくれていました。すごくよく覚えているのは、小学生の時に引っ越したこと。3人にゴルフをさせるにはすごくお金がかかることと、練習環境のために、建てたばっかりの家を売って、練習場のそばの小さなアパートに引っ越したんです。友達に不動産関係のおうちの子がいて、学校に家が売りに出た広告を持ってきて「これ,光里ちゃんの家だよね?」って言われたんです。
原田:なんと!
藤田:卒業まであと9カ月、というときに転校しました。「お金はこれしかない」と言われて、「本当にゴルフをちゃんとやらなくちゃいけない、と最初に思ったのはこの時でした。
原田:それは、なかなか…。私は高校卒業後、東京で日大ゴルフ部に入ったの。
―当時、本当に強かったですよね。同期は川岸史果さんのお母さんになった喜多(旧姓)麻子さん、史果さんのお父さんで怪物と呼ばれていた川岸良兼さん、鈴木亨さん…。すごいメンバーですけど、どんな感じだったんですか?
原田:基本は各自で練習なんです。男子は合宿所がありましたけど、女子はそれぞれ。私は一人暮らしで、みんなに会うのは月1回、多摩トレといわれるトレーニングがあるときと、合宿や試合の時くらい。
―一人暮らしで各自練習、ってものすごく意志が強くないと大変じゃないですか?
原田:最初は学校の近くの千歳烏山の女子学生寮みたいなところに住んで、近くの練習場に毎日通って、ただただボールを打ってました。マジメだったなぁ。というか、休みに実家に帰ってさぼっていたのが父にバレるのも怖かった(苦笑)。
藤田:中学からゴルフばっかりであまり学校に行ってなかったので(受験のための)ランク(内申点)がない、みたいなことになっていて。私立光星高校に進んだんですけど、2年の11月に辞めて通信制の飛鳥未来高校に変わりました。
原田:なんで転校したの?
藤田:勉強も厳しくて、赤点とったら部活に出られない、補習受けてからラウンドすることもあったんですけど、高ゴ連(高校ゴルフ連盟)の試合とプロの試合に推薦で出られる日程がカブったことがあって。元々、プロゴルファーになりたいから、と学校側にきちんと話していたのにかみ合わなくて…。それで辞めたんです。2年生までで単位がほとんどとれていたので、転校した後は週3回、2時間ずつ行けばいいだけで、ゴルフの練習はたくさんできました。高校を変わるときに、プロになることをはっきり意識しました。「やるしかない」って。
原田:そうだったんだ。
藤田:結果的に、普通高校と通信制と両方経験できたのはよかったですね。最初の高校で部活の上下関係や人間関係の作り方を勉強したり、色々な子がいるってことをわかったのはよかったですね。転校後は、通信だけどスクーリングもあるし、広い世代の人がいるので、色々な話が聞けました。卒業アルバムなんて、金髪の人とか普通にいる(笑)。
原田:なるほど。私はプロになるつもりはなくて、大学終わったら就職するつもりだったの。
藤田:え? そうなんですか?
原田:候補の会社はあったんだけど、その後、日本女子学生に勝って、プロテストを最終から受けられるようになったの。だからプロテストを受けてみたいという気持ちになった。受けるからには一発で受かろうと思って練習したよ。
藤田::女子学生勝ってるんですね…。スゴい。
―全く違う環境で育ってきたお二人ですが、ともにプロテストは一発合格。プロとして活躍することになります。(続く)
原田香里(はらだ・かおり)
1966年10月27日生まれ、山口県出身。名門・日大ゴルフ部にで腕を磨き1989年のプロテストに合格。92年の「ミズノオープンレディスゴルフトーナメント」でツアー初優勝。93年には「日本女子プロゴルフ選手権大会」、「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」勝利で公式戦2冠を達成。通算7勝。その後は日本女子プロゴルフ協会の運営に尽力し21年3月まで理事を務めた。
藤田光里(ふじた・ひかり)
1994年9月26日生まれ、北海道出身。北海道のアマチュアタイトルを総なめにし、2013年のプロテストに一発合格。同年のQT(予選会)で1位に入り、翌14年にツアーフル参戦で初シード入り。15年の「フジサンケイレディス」でツアー初優勝。その後はケガに悩まされるが、19年のステップ・アップ・ツアー「ユピテル・静岡新聞SBSレディース」で優勝。レギュラーツアー復帰を目指している。
(聞き手・小川淳子)

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