仕事の視野を広げるには読書が一番だ。書籍のハイライトを3000字で紹介するサービス「SERENDIP」から、プレジデントオンライン向けの特選記事を紹介しよう。今回取り上げるのは『1995年のエア マックス』(中公新書ラクレ)――。
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■「シューズ以上の価値」が与えられたきっかけ

カジュアルなファッションアイテムとしてすっかり定着した「スニーカー」。1995年にナイキが発売した「エア マックス」が大ヒットし、「エア マックス狩り」が横行するほどのスニーカーブームを記憶する人も多いのではないか。

今では、投資の対象となるなど、かつてとは異なるブームが起きているようだ。

本書では、スニーカーについて、現在までの三度のスニーカーブームを検証し、若者を中心とするカルチャーや市場経済、投資などとの関わりを論じている。

スニーカー市場では、人気アイテムをめぐり国境を越えた争奪戦が起き、定価の数十倍で転売されるケースも出てきている。さらにリセール品を株のようにリアルタイムで売買するマーケットも登場。このようにスポーツシューズにシューズとして以上の価値が与えられるきっかけになったのが「1995年のエア マックス(エア マックス 95)」人気なのだという。

著者は雑誌「Boon」(祥伝社)をはじめ、メンズファッション誌、カルチャー誌を中心に編集・執筆活動を行う編集者。著書に『東京スニーカー史』(立東舎)、共同監修に『SNEAKERS』(スペースシャワーネットワーク)がある。

1.“テン”年代のスニーカー
2.「シューズ」から「スニーカー」へ
3.1995年のエア マックス
4.インターネットとスニーカー
5.変容するスニーカー
終.スニーカーの今とこれから

■「この新作は売れないかもしれない」仕入れ数を控えた

今や世界最大のスポーツ関連商品メーカーとなったナイキ。「エア マックス 95」人気が社会現象となり、日本で“空前のスニーカーブーム”が起きたとされるのが1996年前後。実際、1996年からの20年において、ナイキの売上高はなんと約5倍まで増えている。

(1995年に発表された)新作の「エア マックス」(後に「エア マックス 95」と名付けられるモデル)を見て、スポーツ店やメディアは怪訝な表情を隠せなかった。第一印象がとにかく「重々しい」のである。それまでの「エア マックス」シリーズは、ヴィジュアル面を通じて軽快さを表現してきた。

「この新作は売れないかもしれない」。走るためのシューズとして「エア マックス」を扱ってきたバイヤーたちはリスクを恐れ、仕入れ数を控えめにコントロールした。しかしそれこそが、後に空前のブームを巻き起こした一つの原因とも言える。

■原宿界隈ではハイスピードで売れていった

1995年の「エア マックス」の生みの親は、セルジオ・ロザーノ。彼は1990年にナイキへ入社し、ランニングのデザイナーに1994年に就任した若手だった。

(ロザーノは新しいエア マックスの)ミッドソール(靴底と靴本体の間の部分)をランニングシューズでは“掟破り”とも言える黒にした。上に向かうにつれて色を明るくしたのは、(ナイキの本社がある)雨の多いオレゴンでトレイルランニングをしても汚れが目立たないようにしたかったからだと言う。ちなみにアウトドア的な発想で配色されたのは、1stカラー(同モデル第1世代の本体の配色)のイエローグラデのみとなっている。

1995年6月、日本で発売された新作の初速は、全国的に見ればかなり緩やかだった。ただ原宿界隈の販売店舗に限っては、在庫の少なさ(による希少性)も影響して、当初からハイスピードで売れていったという。特に、一連のスニーカーの傾向をしっかりと捉えていたファッション業界人は、ハイテクとアウトドアが結びついた斬新なルックスを見逃さなかったと思われる。

写真=iStock.com/davidf
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■広末涼子がドコモのポケベルのCMで着用

著者の記憶では、本格的に日本で人気が爆発したのは、3rdカラーだった。(3rdカラーのウィメンズである)「ブルーボーダー」は広末涼子がドコモのポケベルのCMで着用した。若者が喉から手が出るほど欲しがっていたポケベルのCMで、人気絶頂のアイドルが、話題のスニーカーを着用する。その掛け算効果はもともと「エア マックス」の存在を知っていた人にも、まったく知らない人にも、同様に絶大なインパクトをもたらしたのである。

2ndカラー以降、1995年の「エア マックス」には(ヴィジュアル面の)軽さが加わり、親しみやすいランニングシューズへと印象を変えていた。メディアでの露出も増え、世の中が少しずつその奇抜なルックスを見慣れたことも後押しし、これまでナイキそのものをよく知らなかったお茶の間にも急速に浸透していく。

嗅覚鋭い並行輸入のバイヤーは、1995年の早いうちからアメリカに飛び、日本で枯渇し始めたタイミングで(エア マックス 95の)「イエローグラデ」を買い漁っていた。また、流行り物目当てに仕入れをする、違うバイヤー層はスニーカー全般ではなく、あくまで「エア マックス 95」を仕入れるためにアメリカへ飛んだ。

しかしたくさんのバイヤーが現地に飛ぶと、当然ながら見つけることが次第に困難になり、日本で膨れ上がっていた需要をカバーすることはすぐにできなくなっていた。そうなると次第に日本人はあらゆるジャンルのシューズに「エア マックス 95」の姿を重ね、似たシューズを求めるようになった。

■「エア マックス狩り」という言葉が目立ち始めた

短期間にあらゆる部署を経験したことが「エア マックス 95」に繋がったというロザーノのデザインは、確かにランニングシューズの枠に収まらないミックス感を備えていた。それが日本に渡って想定外の反響を呼び、ナイキ人気は爆発したのである。

日本での「エア マックス 95」人気は、1997年の前半まで上昇の一途を辿っていた。最初期の「イエローグラデ」がやはり人気で、市場価格は桁違いに跳ね上がっていき、未使用のデッドストックは15万円を超える値段で販売されるようになった。

「エア マックス 95」人気を背景に、1996年後半くらいから新聞やニュースで(強奪など)ブームをネガティブに扱う報道が徐々に増えていく。特に「エア マックス 95」はフェイク品が多く出回った。「エア マックス狩り」という言葉がメディアを通じて、目立ち始めたのもこの頃だ。

日本では世界初とも言えるスニーカーブームが巻き起こり、想定外の盛り上がりを見せたが、それもあり、1990年代にナイキが繰り出すマーケティングとモデル開発は、業界を常にリードし、ほかのメーカーはそれに続いていく、といった図式が確立した。

写真=iStock.com/Kwangmoozaa
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■マネーゲームのようにスニーカーを取引する市場が登場

今の時代のスニーカー好きは、ざっくりと三つに分類できる。一つはおしゃれに着飾るためにスニーカーを必要とする「スタイルメイブン」。二つ目は希少価値の高いモデルを所有することに喜びを感じる「スニーカーヘッズ」。そして三つ目が、スニーカーを金の成る木と割り切って、投資目的でリセールに情熱を注ぐ「リセーラー」だ。

現在、スニーカーのリセール市場の規模は1兆円を超えるとまで言われている。その状況や人々の関心に目をつけたのが、青年実業家のジョシュ・ルーバーが2016年に設立したStockXだ。定価2万円に満たないスニーカーに、ルイ・ヴィトンのバッグやロレックスよりも高い値がつく中、安全でフェアなリセール市場を構築することを目的に生まれた。

StockXは需要と供給のバランスから適正な相場を導き出す株式市場のメカニズムを採用しており、市場価格がリアルタイムで更新されている。ユーザーはその変動を見極めながら取引ができる。まるでマネーゲームを楽しむかのように、スニーカーに熱を上げることができるのだ。

アメリカと同じ、もしくはそれ以上にスニーカーブームを牽引する中国もまた、早い段階でスニーカーと株を同質なものと見なした。Niceや得物といった中国のみで使えるアプリで相場をチェックし、微信(ウィーチャット)という中国版ツイッターを使いこなし、情報を収集するのが一般的のようだ。

■「定価で買えない状況」を操作するメーカー側の問題

日本でもテン年代(2010年代)後半より(リセール品が株式のように取引される)スニーカーの株式化が加速し、激戦の様相を呈している。たとえば2018年には国内でモノカブがスタート。ちなみにモノカブを起業したのは、1992年生まれの元証券マンだ。YouTubeの「atmos TV」出演時のトークによると、1日数千足もの新品スニーカーが倉庫に届くという。彼らは鑑定プロセスを挟むことで、安心できる売買サービスをユーザーに提供している。

小澤匡行『1995年のエア マックス』(中公新書ラクレ)

こうしたリセールマーケット拡大の背景には、「定価で欲しいものを買うことができない」状況を操作しているメーカー側に問題があるだろう。かつて欲しいスニーカーを買うための原則は「First come, first served(早いもの勝ち)」で、その象徴が行列であり、先着順のオンライン販売だった。ただこのシステムについては常々公平性の問題が指摘され、購入権利は「抽選が平等」という考えに帰結している。

狡猾な不正を働かない限り、個人による買い占めが不可能になったことは確かに健全だが、「手に入れられるかどうかは神のみぞ知る」という現状は、ある意味ピュアなスニーカー好きにとって、残酷で味気ないものかもしれない。

一方「人気スニーカーにおいてメーカー希望価格とはあってないような存在で、あくまで時価で買うもの」という、半ば諦めにも近いスニーカーヘッズたちに漂う空気を鋭敏に察知し、それをポジティブに変換すべく知恵を働かせたリセール市場がダイナミック・プライシング、つまり変動相場を取り入れることで、新しいマーケットを確立、拡大したのである。

■コメント by SERENDIP

本文にあるように、「エア マックス 95」は、日本では、親しみやすくなった2ndカラーから一般にも浸透してゆき、3rdカラーで人気が爆発した。一方、“掟破り”の配色でチャレンジした1stカラーは、希少価値のあるモデルを希求する「スニーカーヘッズ」やリセーラーの熱狂的支持を集めることに。結果的にエア マックス 95は多様なファンを獲得した。ナイキがどこまで戦略的に考えていたかはわからないものの、最初に“掟破り”のプロダクトを市場に投入してから、その尖った部分をゆるめた改良版を出すという手法は、他の業種にも重要な示唆を与えるのではないだろうか。

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