76年前に墜落した爆撃機B-29のタイヤが足立区の道端に…驚きの保存状態だった

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■足立区内に墜落した爆撃機B-29のタイヤ

第二次世界大戦終結から76年経った2021年、B-29のタイヤが現存していることを知った。情報源となった東京都足立区の区民報によると、区内で爆撃機に装着されていた当時のタイヤが見られるという。さっそく見に行くことにした。

B-29とは、当時アメリカ軍が使っていた爆撃機のことだ。爆撃機にはレシプロエンジンを使うのが通例だったが、あまり高い高度は酸素が不足するため飛行できなかった。その点、B-29はGE(ゼネラル・エレクトロニック)製のターボチャージャーを装着、過給によって酸素が薄い高度でも飛べた。当時爆撃機に対する地上からの応戦は、高射砲によって撃墜するのだが、B-29は高射砲が届かない空を自由に飛べたのだ。

【画像】土に埋まったB-29のタイヤ

戦局が悪化した終戦近くには、東京にB-29の大編隊があらわれ、焼夷(しょうい)弾を雨のように降らした…それが東京大空襲だ。焼夷弾の中身はガソリンのようによく燃えるナフサをゲル状にしたもので、無差別に東京の街を焼きつくし、死者は10万人以上と伝えられている。

東京をはじめ日本各地を空襲した大型爆撃機B-29。その弱点は、B-29の特徴でもあったターボによる過給だったともいわれ、エンジントラブルをよく起こすことでも知られていた。終戦間近1945年5月26日、足立区内にB-29墜落と公式記録が残っているという。これがエンジントラブルなのか撃墜によるものかははっきりしないが、搭乗員は全員死亡したらしい。墜落機のプロペラは一時、入谷南中学校に保存され、現在は足立区立郷土博物館が所蔵している。


■ひっそりと佇むタイヤ…思ったよりも朽ち果てていなかった
そして本題のタイヤだが、なんと畑の隅にひっそりと置かれたままなのだ。しかも私有地である畑に入ることなく、歩道からじっくりと見ることができる。土に3分の1ほどが埋まり、立った状態。およそ76年もの月日が流れたとは思えない保存状態。特徴的なダイヤモンド型のトレッドもしっかり刻まれており、ゴム自体は当然硬化してはいるもののボロボロとまでは言えない見た目でたたずんでいた。当時の写真と見比べるとよく似たトレッドデザインのタイヤを装着していたことから、このタイヤはB-29のもので間違いないだろう。

それにしても風雨にさらされ、直射日光にも当たり続けてきた(以前は近くに木があり日陰になることが多かったようだ)わりにトレッドゴムが劣化していないように見えるのは、当時からとてもいい材料を使っていたからだろうか。ちなみにタイヤメーカーはもちろんアメリカのグッドイヤーだ。

残念ながら歩道側からはタイヤの裏面しか見えないためグッドイヤーロゴは確認できないが、資料によると1898年にアメリカ・オハイオ州で誕生したグッドイヤーのロゴマークが表側(歩道の反対側)に刻まれている。ロゴの中央にはシンボルマークの「ウイングフット」が入っている。ちなみにウイングフットは、古代神話の神マーキュリーが由来で、足元に羽をたずさえたマーキュリーは、吉報の使者だという。タイヤにははっきりとオールウエザー(全天候型)、さらにMAED IN U.S.A.と刻まれている。

劣化を感じさせないトレッドに対してビード部は朽ち果ててしまっている。通常ビード部にはワイヤーを使うため、サビて脱落したのかもしれない。ビード部から簾(すだれ)のように垂れ下がるのは、カーカスの一部かタイヤコードだろう。現在のタイヤではナイロンなどが使われている部分だが、これを見ると綿素材のようにも見える。しかし、腐っていないように見えるからナイロンなどが劣化したものかもしれない。

タイヤには強度を示す「16PLY」との刻印が。現在では「16PR」と表記するが、「PR」はプライレーティングの意味だから当時は「PLY」と表記していたのだろう。その下の「56」の数字は不明だが、さらにその下、「SMOOTH CONTOUR」は、滑らかな外形という意味示す商品名だったかもしれない。また、旗のマークもあり、その下には製造番号らしきものも見てとれる。

戦争があったことを忘れないためにも、このタイヤはこのまま置いておいてほしい。実物を見に訪れる際は、農業用ハウスが立ち並ぶ一角なので迷惑にならないようにしてほしい。

〈文=丸山 誠〉