「論破」するさまは痛快だけど……日常ではコミュニケーションに支障を来す恐れがある(写真:muku/PIXTA)

日本を代表する一部上場企業の社長や企業幹部、政治家など、「トップエリートを対象としたプレゼン・スピーチなどのプライベートコーチング」に携わり、これまでに1000人の話し方を変えてきた岡本純子氏。

たった2時間のコーチングで、「棒読み・棒立ち」のエグゼクティブを、会場を「総立ち」にさせるほどの堂々とした話し手に変える「劇的な話し方の改善ぶり」と実績から「伝説の家庭教師」と呼ばれ、好評を博している。

その岡本氏が、全メソッドを初公開した『世界最高の話し方 1000人以上の社長・企業幹部の話し方を変えた!「伝説の家庭教師」が教える門外不出の50のルール』は発売後、たちまち12万部を突破するベストセラーになっている。

コミュニケーション戦略研究家でもある岡本氏が「インターネットの匿名掲示板『2ちゃんねる』創設者で『論破王ひろゆき氏』の話し方」を徹底解剖する。

他人を「論破」したい人が増えてきている

「それ、何の意味があるんすか」「そのやり方、不毛ですよね」……。PR会社に勤める管理職のAさんは、最近、やたらと「一方的に物言い」してくる部下たちに辟易しているそうです。


最近は1対1のミーティングでも、「上司が部下の話を聞く」ことが推奨されているため、Aさんは、聞き役に回らなければなりません。何か口を挟めば、まるで「戦い」に挑むかのように、猛然と否定し、攻撃的に「自分の主張」を展開してくるというわけです。

「上司が部下にマウントをとり、説教をする」といったやり方がNGとされ、部下が上司にモノを言いやすくなってきているのは歓迎すべきことですが、部下はあくまでも対決姿勢で、聞く耳はもたず「お互い平行線」のまま。それでは、まったく話になりません。

「他人を論破したくて仕方ない人があふれている。まるで『ロンパールーム』だ」とAさんはため息をつきます。『ロンパールーム』。若い方はご存じないかもしれませんが、1960〜1970年代に放映されていた人気の子ども番組で、幼児用の服「ロンパース」がその語源です。

一方的に相手を攻撃するクレーマーなど、ちびっこのように、言いたい放題の「論破(ロンパ)ーズ」が増えてきているということかもしれません。相手を喝破する姿が痛快で、かっこいいと「論破教」の教祖となっているのがインターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」創設者のひろゆき」さんです。

ひろゆきさんの「論破術」5つの特徴

「理路整然と、相手の言質を取り、矛盾を突く」「論破王」と形容されるわけですが、なぜ、ここまで彼の言説は人を引きつけるのでしょうか。彼の「論破術」には、いくつか特徴があります。

【1】相手が答えにくい超基本的な質問を多用する。
「それってどんな意味ですか」
「どうして〇〇って言い切れるのですか?」
「根拠はなんですか?」
「データあるんですか」

【2】相手の主張の盲点や欠点を突く。
「それってあなたの意見(感想)ですよね」
「どうして□□は△△ということになるんですか? おかしくないですか」

【3】データやエビデンスを示し、言い分の正当性を主張する。
「××といったが、別の〇〇っていうのもありますよね? それについては?」

【4】逃げ道を作っておく。
「〇〇は絶対、××である」と断定せず、「〇〇は××であると思う」とかわし、矛盾を指摘されても、「それは事実ではなく意見である」として、攻撃されにくくする。もしくは、言い切るのではなく、「●●さん、頭悪いんですかね」と質問形式にして、言質を取られないようにする。

【5】素直に謝る。
「おいら、全然勉強不足ですから」
「すみません」

といったように、じわじわと追い詰めていき、相手が取り乱し、感情的になればなるほど、有利に進められるということになります。

「チェリー・ピッキング(数ある事例の中から、自分の主張に有利な事例のみを並べ立てる)」「ストローマン(相手の主張をゆがめて引用し、そこに反論する)」などの、いわゆる「詭弁術の手法」も上手に活用している印象です。

ご本人も著書『論破力』の中で、基本は「揚げ足取り」で、「相手が嫌がることを言ってやろうと弱点を探りながら話し」「その人が言った間違いを強調して繰り返し指摘」するやり方、とおっしゃっています。

実際に、私も彼のこの「破壊的話法」を身近で目撃したことがあります。あるインターネットTVの討論番組に出演したときの話です。

私とあるベテラン政治ジャーナリストがゲストで、彼がコメンテーターでした。「菅総理推し」のジャーナリストと、ひろゆきさんの間で、議論がヒートアップ、ひろゆきさんがジャーナリストに容赦なく詰め寄り、大激怒に追い込むという顛末でした。

その応酬に圧倒され、私は蚊のように、一言コメントしただけで終わりました。

「論破」と「説得」は似て非なるもの

ひろゆきさんがこれだけ人気を集める背景には、「自分が言いたいけれど、なかなか言えないことや不満をズバッと言語化し代弁してくれる」「不快に思う人を、代わりに攻撃してくれる」といった要因があるのでしょう。

同調圧力で、なかなか言いたいことが言えない日本人の中には、意味のない慣習や非効率な因習、老害、迷惑な人などをバッサバッサとぶった切る姿に「溜飲を下げる」「痛快と感じる」という人は少なくないでしょう。

確かに「ひろゆき」話法の威力はすさまじく、試しに、私も口答えするティーンエージャーの息子に上記のように畳みかけたところ、彼は戦闘力を失い、押し黙ってしまいました。ただ、彼が私の話に納得したというわけではなく、「話をしても意味がない」と諦められただけだったのです。

前述のジャーナリストも同様です。論破された側が自らの過ちを認め、「私の負けです」「なるほど、たしかにあなたの言うとおりだ」と考えを変えることなど実際は、ほとんどありません

ここで、われわれ凡人は、「『論破』は『説得』とは似て非なるものであること」この「『論破』手法を踏襲することは、あまりにリスクが高いこと」を知っておく必要があります

私が息子に、この調子で延々と「論破」し続けたとすれば、息子はグレるか、私を「毒親」と呼ぶことになるでしょう。夫婦関係は破綻し、友人を失い、部下は病み、パワハラで訴えられるのが関の山です。部下が上司のメンタルを壊す、などといったことも、これからは起きる可能性が大いにあります。

彼の手法は、ネット上で、数々の論戦を制してきた経験から「編み出された弁論術」。炎上を一切恐れない「異能」だからこそできる力技ということです。それをひろゆきさん自身もよくわかっています。

「実生活でも論破力は両刃の剣。夫婦げんかで相手を論破しても、いいことなんてまったくない」
「論破しようなんて考えるよりも、酒でも飲みに行ってお客さんと仲よくなるほうが、効率がいい」
「その場で相手をやり込めたところで、実は何の意味もない。人を説得するときは論破したその先、つまり人生うまくいく可能性まで想像しましょう」

(『論破力』より)

ひろゆきさんによれば、「ジャッジ」がいない状況では議論しないものだそうです。「論破」とは、相手と討論することではなく、ジャッジとなる「見ている人」(例えば視聴者など)にどうプレゼンするかということであり、「いかに第三者に刺さる形で説明するのかということが『議論』というゲームの攻略法」

つまり、彼にとっては、「論破」は、見ている第三者からどれだけ支持をされるかを競う「ゲーム」「ショー」のようなものというわけです。

だから、「どういう意見を言えば、視聴者から支持を得やすいか」を即座に読み取り、その人たちの「代弁者」として、拳を振り上げるということ。議論の相手の考え方を変えるとか、「アンチ」を「シンパ」にすることなどは目的とはしていないのです。

一方、「説得」は相手と向き合いながら、その行動や考え方に影響を及ぼそうとするものです。論破は「対戦」であり、説得は「対話」。この2つは似て非なるもの、というわけです。

「正しさに固執」と「いい人間関係」は両立しにくい

英語で、「Do you want to be right or do you want to be in a relationship and happy? (あなたは正しくありたいですか? それとも、よい関係性を築きハッピーでありたいですか)」というフレーズがあります。

「『正しくあることに固執すること』と『いい人間関係』は両立しにくい」ということです。

「私が100%正しく、お前が100%間違っている」ということは、そうそうないわけで、そのグラデーションの中で、折り合い、落としどころを探るしかない。現実の人間関係は残念ながら、「そう簡単には白黒つけられない」のが難しいところなのです。

かように、「論破」は「劇薬」。私も「ひろゆき」のようになりたい、と真似をし、実社会に論破を持ち込む「ロンパーズ」は、ことごとく、地獄を見ることになりかねません。くれぐれもご注意ください。