岩崎恭子に懸けた人は少なかった。しかし、末脚のキレは決勝のレースでも存分に発揮された。最初の50mは確か6位だった。そこからジワジワと追い上げ、ラスト5mで先行するアニタ・ノールを差し、追いすがる林莉(中国)を振り切り、優勝した。万馬券を当てたような感激を遙かに超えていた。レース展開に酔いしれながらの金メダル。自分自身の選択センスにも酔いしれたくなる、まさに痛快な勝利だった。

 柔道的に言えば、柔よく剛を制す、となるが、日本人がスポーツに求める理想像を、あの時の岩崎恭子のレースに見た気がした。表彰式。日の丸は、ポールに巻き付いて靡かなかったが、あの日のことはよく覚えている。そこから、丘を駆け下り、スペイン広場に向かい、タクシーに飛び乗り、予定通り30分後には、パラウ・ブラウ・グラナに到着していた。

 ちょうど、小川直也が準決勝を戦う前だった。周囲にいた日本人に、岩崎恭子が金メダル獲得したと告げれば、えーと驚かれた記憶がある。現場には、ネットの時代では考えられないタイムラグが存在していた。

 金メダル確実と言われた小川直也は結局、銀メダルだった。しかし、吉田秀彦(78キロ級)と古賀稔彦(71キロ級)が獲得した金メダルは、この目でしっかり見ることができた。バルセロナ五輪で日本人選手が獲得した金メダルはこの3つ。つまり僕はそのすべての現場にいたことになる。

 ところが、その半年後、僕は日本勢唯一の金メダルを見逃すことになる。アルベールビル冬季五輪。三ヶ田礼一、河野孝典、荻原健司が出場したノルディック複合団体だ。僕はその時スピードスケートの会場にいて、複合の日本チームが金メダルを獲得したシーンは、スピードスケート会場の脇に設置された大型モニターで見た記憶がある。

 五輪の魅力はここにある。スポーツ好きとして、究極の選択センスが問われている気がしてならないのだ。