ポドルスキが教える「日本の素晴らしさと退団の美学」

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ワールドカップ優勝経験者としてJリーグに降臨し、ヴィッセル神戸でプレーした元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキ。

彼が『Soccerbible』のインタビューに答えていたので、日本に関する部分を抜粋してみる。

ルーカス・ポドルスキ

「素晴らしい冒険だった、多くの異なる国でプレーしてきたからね。

ドイツやイングランドはもちろん、数か月だったイタリア、トルコ、日本、そして、ふたたびのトルコ。

ワールドカップやEURO、代表チームでの様々な試合もね。

世界中のほぼ全てを見てきた、たくさん旅したよ。

多くのスタジアム、たくさんの人々も見てきた。触れ合い、場所、友人もたくさんね。

素敵な冒険さ。いつも言っているように、自分は全てをうまくやってきたと感じているよ。

ピッチ上だけでなくね。当然ながらスポーツでは勝つ時もあれば、悪い状況に陥ったり、監督との間に何かが起きたりもする。それがスポーツさ。

勝つ時もあれば、負けることもある。でも、人生にとっては素晴らしいことさ」

「(様々な文化、新しい人達との出会い、そういった経験を通じて学んだ最大の教訓は?)

個人的にはその文化に適応する必要があると思う。

大事なのは、どこかに行っても、ただ単にそこで人々とフットボールについての不満を言うだけじゃないってことさ。

適応して学ばなくてはいけない。当然ながら、欧州出身の人間が、例えば日本でプレーする場合には文化やフットボールが異なる。

もちろん考え方が違うし、なぜそのプレースタイルなのかを相手に尋ねはするけれど、それを受け入れなくてはいけない。

ファンのため、街のため、人々のために、ピッチ内外で勝つために100%を尽くすハングリーさが自分には常にある。

それが自分にとって常に大事なものだった…トロフィーを勝ちとるためにプレーするだけではなくてね。

ファン、人々、そして、そのクラブをあらゆる面でより良くするためにも常にプレーしている」
ルーカス・ポドルスキ

「(日本について話そう。どんな体験で、それをどう説明する?)

言葉で表現するのは難しいな。異なる文化を学び、日本を見ることができたのは、とても素敵な経験だった。

国全体、街、そして、フットボールの文化も、ヨーロッパとは全然違う。でも、自分は好きだったよ。

3年近くいて、多くを学んだ。

多くの人達とあって、素敵な友達も見つけた。素晴らしいファンと人々がいる素敵なクラブも。

選手やファンとも会いたい時はいつでも戻れることは知っているよ。

戻ることができるために自分は常にハードワークをしてきた。

クラブを去る時には常に自分にとってこれが重要なんだ。

戻ってくるために常にハードワークをする。

クソ野郎みたいになって去ることはしない。そうしないと、人々は(その選手のことを)クソ野郎として覚えているからね。

ピッチ内外でいい人だったと記憶されるために、ハードワークすることが大事さ」
ルーカス・ポドルスキ

「(日本では大きな変化を目にした?)

自分は多くの点でクラブやJリーグをよりよくしたと思う。クラブの見栄えをよくしたよ。

80、90年代にも欧州から(日本に)行く選手はいたけれど、新世代のなかでは自分が最初の大型移籍だった。

新たな世代のなかで最初にヴィッセル神戸に加わった選手だった。自分が加入する前は欧州では誰もこのクラブのことを知らなかったと思う。

あそこに行って、自分は彼らのInstagramのページまで作った。

自分はロッカールームも変えたし、スタジアムもちょっと変えた。クラブと一緒に多くのものを作り出したんだ。

テレビやピッチ上でのプレーしか目にしていない人々はそういったことは知らないかもしれない。でも、自分は裏で多くのことを変えたと思う。

自分はJリーグを人々やイニエスタやトレースなどの新しい選手にとってより面白いものにした。

ポドルスキがいるなら、ここでプレーするのはいいなと彼らは思ったはずさ。

だから、自分は他の選手たちや我がクラブであるヴィッセル神戸に道を開いたと思う。

(クラブを)ピッチ内外でネクストレベルに引き上げるために自分が彼らを連れてきた」

「(日本ではファンの情熱などに驚かされた?)

そうだね、僕のことを知っている人なら、僕がファンとかかわるのが大好きなのは分かっているはずさ。

それがアーセナルだろうが、トルコだろうが、日本であろうが、自分はそれが大好きなんだけれど、本当に驚かされた。

神戸には素晴らしいファンたちがいたし、リーグでもトップクラスだったよ。

アウェイでプレーする時も常に素晴らしい雰囲気だった。

新しいスタジアムも多かったし、2002年W杯のものもたくさんあった。

他にも新しいものや最近改装されたものもあって、本当に素晴らしい雰囲気だったね」

「後は野となれ山となれ」というようにしてチームを去るのではなく、いつでも戻ってこられるように最後までハードワークをするのが彼なりの美学のようだ。

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また、ポドルスキは子供たちにとっても日本を含めた様々な文化に触れ合えたのはいい経験だったとも口にしている。