17歳少女が「知らない中年男性」と同居する事情
17歳の女の子が、なぜ見知らぬ中年男性と同居しているのか(写真:metamorworks / PIXTA)
「Yahoo!ニュース|本屋大賞 2019年ノンフィクション本大賞」にノミネートされるなど、大きな話題となった『東京貧困女子。』で、都会の暗部をあぶりだした中村淳彦氏。
最新刊『日本の貧困女子』では、急速な人口減少と、高齢化で消滅の危機が叫ばれている地方に住む貧困女性の実情に迫る。そこから見えてきたのは衰退途上にある日本の未来の縮図だった。本著から一部を抜粋し、加筆、修正して掲載する。
フィリピン人の母親に捨てられ、親権者にウザがられ
群馬県在住の百合奈さん(仮名、17歳)という未成年の女の子に会った。
SNSで知り合った子で、メッセージには「悩みがあります。けっこうツライ状況です」と書いてあった。
子どもの貧困やネグレクトがキッカケとなるパパ活や違法風俗勤めなど、非行少女を想像していた。しかし、待ち合わせ場所に現れたのは、理知的でまじめそうな華奢な女の子だった。まだまだ幼さが残り、女子中学生といった印象だ。
17歳には見えなかった。
最初に伝えておくと、百合奈さんが非行に走っているわけではなく、彼女の母親が不倫や不貞行為を繰り返し、彼女は人生を振り回されていた。
「先日、お母さんに親権を切られてしまいました。もうどうしていいかわからないし、本当にショックだった。けど、なんとか生きていかなければならない。今はある男性の家で暮らしています。まさか実の子どもの親権を切るとは思わなかった」
われわれを見るなり、みるみるうちに泣き出してしまった。未成年児童ということで民生委員の真理子さん(仮名)にも同席してもらった。民生委員とは、非常勤の地方公務員であり、住民の相談に応じて自治体との橋渡しをする。
百合奈さんはかわいいハンカチで涙を拭っている。落ち着くまで待ち、いったい何が起こっているのか聞く。見た目ではわからなかったが、彼女はフィリピン人と日本人のハーフ(母親がフィリピン人)で、学年でいえば高校2年生の年齢だった。
「とても高校に通学できるような状況じゃなくて、1年生のときに中退しました。去年です。半年前に母親に親権を切られて、今は知人男性の家で暮らしながら1人で生きていける資格が欲しくて美容室で働いています。すごく長時間労働ですけど、月給は6万円しかもらえなくて、本当にギリギリの生活です」
1度聞いただけではわからない境遇だった。母親はフィリピン人で、現在35歳。母親が18歳のとき、フィリピンで旅行者だった実の父親と知り合い、結婚するために来日。彼女が2歳のときに離婚、実の父親のことはいっさい記憶になく、誰だかわからない。
それから母親と同棲する日本人男性の居住地にあわせて、東北、東京、静岡などを転々とした。小学校5年生のとき、群馬県に引っ越し、母は現在の義父と再婚した。義父は自動車工場勤務、母親は食品系の工場に勤めている。
落ち着きを戻した彼女は、その年齢とは思えないしっかりした口調で語る。頭のいい子だと、すぐにわかった。
「ずっとアパートで暮らしていました。私が母の連れ子で、妹は義夫との子ども。4人暮らし。でも半年前に母親が一方的に離婚して家を出てしまって、私は親権を切られて男性の家に預けられたって状態です。母親はもう別の日本人男性と一緒に暮らしています。その男性との子どもを妊娠して、近いうちに結婚するようです。私のことが邪魔だし、いらなくなったんです。
今、私の親権者は義父なんですが、母親がいないので、とても何かを頼れる関係性はないです。私はもう家を出たので、義父が現時点で何をやっているかわからないし、会っていないです。お母さんも親権を切って、別の男性と暮らしてからは、知らぬ存ぜぬで全然会っていません」
親戚でもない赤の他人の男性と同居中
現在、暮らしているのは38歳未婚男性が住む一軒家で、料理と洗濯をする条件で2階の1室を使っている。その人は母親と義父が連れてきた男性で、娘との同居を母親が交渉したという。
母親は自分の子どもの扶養義務を血のつながっていない義父に押しつけて離婚。困った義父が知人である中年男性を見つけてきた。母親が娘との同居を交渉。娘を押しつけた流れのようだ。
「その男性は義父の知り合いで、親戚でもなんでもない。その方が一軒家を買うってことで部屋が余る。それで私のことを頼んだみたいです。システムエンジニアで出張が多く、ほとんど一人暮らしみたいな状態です。母親と義父がその方に私との同居を持ちかけて、母親は何度も頭を下げて説得していました」
母親と義父の離婚理由は、母親が別の男性との子どもを妊娠したこと。母親は義父との結婚生活の継続ではなく、離婚し、妊娠の相手と再婚することを望んだ。相手の男性は母親に対し、現夫との離婚、それと連れ子がいないことを条件に出した。それで百合奈さんが邪魔になった。
「義父も私の面倒をみるのを嫌がりました。下に妹がいて自分の子がいるので、いっぱいだって。親権は父親が持っても『面倒をみることはできない。行き場所があるなら、出ていってくれないか』ってはっきり言われました。児童養護施設に入ろうか考えました。すごく悩みました」
実の母親に捨てられ、親権者の義父にウザがられた揚げ句、知らない中年男性との生活、低賃金の長時間労働、どこにも居場所がないなど、彼女の状況は問題だらけだ。彼女の意思次第では、公的機関に助けをいつ求めてもおかしくない状況にある。すべての出来事が彼女のストレスになっている。会ったときに感情が高ぶって泣いてしまったのは、母親に親権を切られたことのショックが理由だという。
「自分の血のつながっている親は、お母さんしかいなかった。勝手に親権を切られたのを知ったとき、病みました。本当に心からショックでした。どっちにつくとか聞かれもせず切られました。『私はリセットしたいから』ってそれだけ。そう聞かされたとき、お母さんにももう新しい家庭がありました。
本当は一人暮らしし、高校に行きたかった。でも、自分で働いて高校に行きながら、一人暮らしまではどう考えても不可能です。アパートも借りることができないし、収入が圧倒的に足りない。それに高校に行くにしても、義父に頭を下げにいくのは嫌でした」
そして悩みに悩み、高校を中退して働き、現在居住する中年男性の家に住むことにした。
「光熱費とか家賃はいらないって。家事してもらって、自分の生活費とか食費とかだけ負担してくれればいいよって。それで、今一緒に住まわせてもらっています」
肉体関係があったほうが、気持ちは楽になる
本当に幼く見える。子ども、女子児童だ。聞きづらい。「その中年男性と深い関係は?」と、さらりと質問を投げた。「ありません」と何度も首をふる。「でも、あったほうが気持ちは楽かな」と、また涙目になった。
「恋愛関係はないです。でも、それっぽい雰囲気になることはあります」
そう言い出した。「彼ではなくて、私が、です」と言葉が強くなる。
「いい人だな、の延長です。年齢差もあるし、ただでさえ、同情で一緒にいるのかわからないけど、そういう子をそういう目で見ることができないと思う。言わないですけど、私はそういう関係になりたい。
2階の部屋を分けて使っていて、リビングでは一緒に過ごしています。一緒に住んでいても、住まわせてもらっている身なので安心できないというか、いつも不安。だから恋愛関係になったほうが私の気持ちが楽だし、私は心の奥底でそうなることを望んでいます」
恋愛関係だけでなく、結婚まで望んでいるようだった。17歳なので結婚できる年齢ではある。
「彼が私でいいなら、結婚したいです。私も今から誰かと出会って、時間とお金をかけて関係を構築する自信もなくて、もう人生を諦めているというか。人生、無理かなって。本当は通信制の高校に通って美容の専門学校に行きたい。けど、未成年だし、収入が低いし、親がいないし、いろいろ難しいです」
今も残る興行ビザ制度の影響
日本にフィリピン人女性が増えたのは1980年代後半から。群馬県一部地域では現在もフィリピンパブだらけである。
1980年代後半、タレントや芸能活動をする外国人の入国を許可する興行ビザの制度が始まった。芸能活動とは建前であり、全国各地にフィリピンパブが乱立した。
自国で貧しさに苦しむフィリピン人女性は、自国の家族のために日本で出稼ぎする女性が激増した。ダンサーや歌手として活動する興行在留資格で入国し、ほぼ全員が芸能活動をすることなく、資格外活動であるホステスをやらされた。そして「優しいフィリピーナ」は日本で大流行となった。
先日、私は日本で子ども2人を育てるフィリピン人シングルマザー(43歳)の聞き取りをした。彼女は22歳のとき、家族のためと親戚に説得されて日本行きを決断、来日して東北地方のフィリピンパブで働いた。
フィリピン人女性が日本のフィリピンパブで働くためには、興行ビザ取得、渡航、入国、住居の確保、所属する店の決定など、さまざまな手続きや準備が必要であり、自国と日本の人材ブローカーが介入する。当然、搾取の温床となる。
結局、人材ブローカーからの借金、渡航費、諸費用などいろいろ引かれ、週6日みっちり働いても、もらえるのは月9万円だけだった。月給9万円から5万円をフィリピンの親に欠かさず送り、日本ではアパートと店を往復するだけの最低限度の生活となった。
4回目の来日のときに客だった日本人男性からプロポーズされて結婚、出産した。10年の結婚生活を経て離婚。養育費はもらえず、食品工場で低賃金な肉体労働の収入だけで子ども2人を育て疲れ果て、「もう限界です」という内容だった。
人権的に問題がある悪しき興行ビザの制度は、2004年アメリカ国務省に「人身売買」と非難され、厳格化されている。
百合奈さんの母親はどうだったのか。
「実の父親はいないし、父親からの愛情みたいなことがわからなかったので、母親の男性関係はあまり気になりませんでした。正直、次々です。また新しい男の人がいるなって感覚で、今回は妊娠してしまったので離婚、これから再婚ですけど、それまでも、お母さんが義父がいないときに自宅に男性を連れ込むのは日常でした。だから家に男の人がいるのは慣れていました」
自宅に男性を呼ぶときは、「部屋から出るな」と言われる。義父が働きに出ている平日の昼間、夜から深夜にかけてが多かった。彼女が高校生になってからは夫婦間に亀裂が入っていたのか、義父がいるときでもさまざまな男性を自宅に連れ込んでいた。
妻が男性を自宅に連れ込み、また朝帰りが繰り返され、義父のストレスは日々大きくなった。母親がいない家は彼女と2人の子どもである妹、そして義父である。義父のいら立ちは百合奈さんに向かった。
救う道はあるのか…
「虐待がひどい時期もありました。お母さんが帰ってこない時期は、ファイルの角でよく殴られた。硬いのですごく痛い。地元の合唱団に入っていて、楽譜のファイルがあって。
そこに通うためにお父さんに送り迎えを頼んでいたんです。帰り道、すごくイライラして殴られる。なんか怒鳴られて、殴られる。昔怒られたようなことを引っ張り出して殴られる。痛いです。家の手伝いをしないとか、俺が思っていることをしないとか。気が利かない、役立たずみたいな」
彼女は母親の苗字が変わっても、まだ父親の苗字を名乗る。それはすごく嫌なことの1つだという。
「同じ苗字でいるのは嫌です。虐待のことは誰にも言えなかったし、この人がいるから今学校に通えているってこともわかっていた。だから、何をされても反応しなかった。どんなに痛くても、泣くこともしなかった。我慢です。妹がいたので。恥ずかしいところを見せたくなかった。
でも、耐えられなくてリストカットとか癖ついちゃった時期があって、さすがにこのままだとダメになっちゃうと思って、スクールカウンセラーに相談したこともあった。でも、精神科は保護者と一緒じゃないと行けない。だから受診はできませんでした」
このまま中年男性との暮らしを続けるのか――。もう1度、生活を立て直すのに何が必要なのか。
福祉や制度から放り出されている彼女の厳しい境遇は、これからの日本で勃発しまくるだろう事態であり、看過できない。
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